今回はブログナンバーにちなみ、デハ3650形のネタを。
以前の記事 で戦災復旧車である3600系を取り上げましたが、このデハ3650はこれらとは全く別の系統に属する車両で、性能的にはデハ3450・デハ3500と共通するものです。
デハ3650は、末期にはサハ3360を組み込んだ3連を組成し、池上線で活躍していたことをご記憶の方も多いと思います。3連化された以後は殆ど池上線を離れたことがなく、平成元(1989)年3月の吊り掛け車一斉置き換えの直前、目蒲線(当時)に入線したことが鉄道趣味界で話題になるくらいでした。勿論、全6両が欠けることなく、吊り掛け車一斉置き換えのときまで走り続けました。
しかし、デハ3650は、製造された当初は「デハ」ではなく「クハ」でした。「クハ」といえば、自走できない制御車ですが、なぜこんな車両が6両も製造されたのか?
それは、当時の東急の車両事情が関係しています。
実は、クハ3650形は、東横・京浜・小田急が合併した所謂「大東急」成立後初めて、旧東横系の路線用として投入された新車で、相棒になる電動車のデハ3550形の製造が予定されていました(後年登場した同形式の車両とは全く無関係)。両者は当初から片運転台であり、運転台のない連結面には広幅貫通路を備え、デハ3550+クハ3650で2連の固定編成を組む予定でした。
ところが、戦況が厳しくなり本土が空襲を受ける機会が増えていきます。戦争末期の昭和20(1945)年5月25日には、永福町にあった車庫が空襲を受けて大半の車両が被災、井の頭線で稼働可能な車両が激減してしまいます。そこで、旧東横系に投入する予定だった電動車は、急遽井の頭線へ配属されることになり(デハ1700形)、クハ3650は相棒を得ることができないまま、8月15日の敗戦を迎えます。
なお、井の頭線に投入されたクハ3650の相棒となるはずだった電動車デハ1700は、昭和23(1948)年の「大東急」分割・京王帝都電鉄(当時)成立後も井の頭線に残り、両者は生き別れになってしまうことになります。
その前後、クハ3650は広幅貫通路に蓋をし、デハ3450や3500などに増結用として使用され、前寄りを進駐軍専用区画として白帯を巻いたこともあります。
クハ3650は、世相が落ち着いた昭和27(1952)年に電装が施され、デハ3650と形式が改められました。ただし、連結面側の広幅貫通路は依然として塞がれたままで、デハ3450や3500の増結用として使われているのも、クハ時代と変わりませんでした。
転機は昭和33(1958)年のことです。この年、戦災復旧車クハ3220などの車体を載せ換えた付随車・サハ3360形が登場、デハ3650の中間に組み込まれました。勿論、サハ3360の貫通路は広幅。クハ3650として生を受けてから16年、デハ化されてからでも6年の月日を経て、漸く3650ご自慢の広幅貫通路が日の目を見ることになりました。
その後はしばらく池上線での活躍が続きますが、昭和48(1973)年から更新が開始されます。このとき、中間に組み込んだ付随車の早期退役を見越し、クハを増結させることが可能になるよう、偶数番号車の先頭部を貫通化したのが特筆されます。
最初に更新を受けたのは3653・3654で、当初はデハ3450に準じたメニューとされていたため、3653はデハ3500と、貫通扉が新設された3654はデハ3450と、よく似た風貌になったものです。
しかしその翌年に更新を受けた残りの4両は、張上屋根化改造、前照灯・尾灯の窓下ユニット化が同時に実施され、正面上部の「おでこ」には何もない、所謂「海坊主」と呼ばれるスタイルで出場し、当時の鉄道趣味界を唖然とさせました。後に3653・3654も同じスタイルに改められています。
ちなみに、この「海坊主」化はデハ3500にも波及し、22両全車がそのスタイルになりました。
中間のサハ3360ですが、実際には廃車になることはなく、昭和51(1976)年から更新が実施されています。ただし両端のデハ3650やクハ3850改造のサハ3370のような張上屋根化は実施されず、通常の屋根形状のままとされています。しかし側窓の窓桟は、他車のように上部にではなく中央部に入っており、これはかなり異彩を放っておりました。
結局、デハ3650形6両は、平成元年3月の吊り掛け車全面置き換えまで東急で稼働し、退役しておきました。退役後は解体されましたが、その中で1両だけ、デハ3655が十和田観光電鉄へ譲渡され、モハ3603となりました。同車は、平成14(2002)年に7700系に追われるまで同社で活躍、その後も路線廃止まで動態保存のような形態で現役を維持しました。同車は、定期運用を降りる前後から外板塗色を東急時代のライトグリーンに改め、現役で残る最後の東急旧3000番代吊り掛け車として、存在感を発揮していました。路線廃止後の現在もなお、車両基地のあった旧七百駅構内で保存されているとのことです。
現在も旧七百駅構内で保存中
(平成22年8月に撮影・以前の記事から転載)
現在も旧七百駅構内で保存中
(平成22年8月に撮影・以前の記事から転載)
47年の生涯を東急で過ごし、そのうち31年をほぼ池上線で過ごしたデハ3650形。
熱狂的なファンが沢山いたデハ3450や、22両全車が最後まで健在だったデハ3500に比べると、地味な存在であったことは否めません。
しかし、「大東急」時代の新車であることの歴史的意義、コンビを組むはずだった電動車との生き別れなど、その生涯はなかなかドラマチックでもあります。
東急ファンとしては、記憶にとどめたい車両のひとつです。