都営バス「業10」の降車停留所に残る、古い型のバス停ポール。この写真だと「業10」の隣がテープのようなもので見えなくなっていますが、これはここに昭和63(1988)年まで発着していた「橋14」が記されているとのこと。
…で、↑の写真を撮影したのが、今から5年前の平成22(2010)年2月のことなのですが(したがって、この写真は以前の記事からの転載です)、それから5年経った平成27(2015)年4月に、右の貼ってあるものが剥がれ、「橋14」が露になっているとは、誰が想像し得たでしょうか。いや、できない(反語)。
現在の同じ場所の停留所ポール↓
「橋14」の文字が見える!
いつの間にか剥がれてしまったんですかね?
「橋14」が廃止されたのが昭和63年のことで、これは同じ年の地下鉄有楽町線新富町-新木場開業と引き換えに廃止されたものです。「橋14」は、当時豊洲地区にあった発電所や造船所などの労働者を運ぶ足として運転されていたもので、かなり乗客も多かったそうですが、有楽町線開業により廃止されました。それと前後して、発電所・造船所とも豊洲地区から撤退し、現在は商業地兼住宅地として再開発がなされ、タワーマンションが林立しています。
しかしこのポール、「橋14」廃止後26年にわたってここに立ち続けていたわけですね…。
前回このポールの写真をアップしたときには、三菱エアロミディのツーステや、旧「都03」用の元杉並の都市新バス車両などがまだ残っていたのですが、これらの車両は全て退役してしまいました。バスは鉄道車両以上にサイクルが速いですからね。
21世紀も15年目となり、管理人が子供のころに慣れ親しんでいた、このような型のバス停ポールは激減し、東京都内は勿論、地方でも見ることが少なくなってしまいました。
ここにこの型のポールが残っているのは、乗車停留所ではなく降車専用の停留所だからでしょうけど、ずっとこのまま残ってほしいものです。
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№1260.撮りバス@新橋駅
※ 当記事は04/11付の投稿とします。