ある意味地元ネタ。
現在、東京23区の中で唯一、都営バスの路線がないのが目黒区なのですが、その昔は都電も走っていました。都電といっても、元は玉川電気鉄道が敷設したものですが、それが東京市→東京都の路線になり、昭和42(1967)年まで、中目黒まで都電が来ていました。
そのことを示すように、「中目黒立体交差」という駒沢通りと山手通りの交差点では、駒沢通りの都心側が明らかに道幅が広くなっています。これは都電の線路が通っていたことの名残です。
現地の地図はこちら↓(ガラケーの方すみません)
こちらが、道幅の狭い側(駒沢方面)を撮影した写真。
片側1車線になっている
今度は、同じ交差点の恵比寿側を見てみます。
広くなっているのが分かるかな?
ちょっと写真だと分かりにくいかもですね。
こちらは片側3車線という、広い道路となっています。
中目黒の折返し停留所は、青い車の後ろの横断歩道の、その中央あたりにあったのでしょうか。
ちなみに、ここから出ていた都電は「8系統」。
8系統は、中目黒を出ると、駒沢通りの上を恵比寿駅へ向かい、そこから現在の明治通りを、都営バス「都06」と同じルートで天現寺橋~赤羽橋とたどり、その先は桜田通りの上を神谷町~虎ノ門~桜田門と進み、桜田門から晴海通りへ右折して日比谷公園~銀座四丁目と走り、築地に達していました。
8系統は、昭和42年12月に廃止されていますが、都電の他系統とは異なり、代行バスの設定はされなかったようです。経由地をご覧になればお分かりかと思いますが、8系統はその大半が日比谷線と一致しており(違うのは六本木を通るかどうかくらい)、必要ないと考えられたからでしょう。
ちなみに、この「中目黒立体交差」から北側、つまり東横線の中目黒駅があるあたりは、「東京都目黒区中目黒」ではなく「東京都目黒区上目黒」なんですよ。
中目黒駅は中目黒にない。「目黒区にない目黒駅」「品川区にない品川駅」と同じような感じです。
東横線の駅は中目黒ではなく「上目黒」にある
これはなぜかというと、東横線の中目黒駅ができる前に、玉川電気鉄道の手によって、先ほどの駒沢通り上に「中目黒」の停留所ができていたから。玉川電気鉄道の中目黒停留所の開設が昭和2(1927)年の3月29日ですが、東横線の中目黒駅はその5ヶ月後の同年8月28日で、東横線の駅を玉川電気鉄道の停留所との乗り換え駅にしようということで、駅名を揃えたということです。それが昭和42年12月10日、都電の路線廃止により中目黒停留所がなくなったことで、東横線・日比谷線(※)の駅が取り残されたんですね。
※=日比谷線が中目黒に達したのは、中目黒から都電が廃止される3年前の、昭和39(1964)年7月22日。ただしこのときは霞ヶ関-東銀座間が未開業。この区間が開業したのが同年8月29日で、この日から日比谷線と東横線との相互直通運転が開始された。
都電が走っていたころの様子は、流石の管理人もリアルでは知りませんが、子供のころからこの交差点を境に、駒沢通りが急に道幅が広がるのはなぜなのだろうと不思議に思っていました。長じてから、ここまで都電が来ていたことを知ったわけですが、急に広がる道幅はそのときの名残だったのです。
かつて東京の都心部に、網の目のように張り巡らされていた都電の線路。その名残がこうして、東京のあちこちに残っています。他にも色々あるようですから、探訪してみようかな。
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№2163.都電20系統の面影を今に伝える~池之端の7506号