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3467.さらば「青ガエル」~熊本に残る最後の1両も本日退役

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昭和29(1954)年に当時の鉄道車両の常識を覆す「超軽量車」としてデビューし、高度成長期の東急を支え、多くの地方鉄道に転出した後もそこで主力として活躍していた、「青ガエル」こと元東急の初代5000系(以下単に5000系といいます)の最後の残党が、今日惜しまれながら引退することになりました。
現車は昭和32(1957)年製だそうですが、今年は2016年。足掛け60年を現役として過ごしてきたことになり、この種の軽量車としては破格の長寿を全うしたことになります。

この最後の残党は、熊本電鉄で運用されていました。管理人も今から9年前の平成19(2007)年5月、当時最後の九州ブルトレだった「はやぶさ」に乗り、熊本電鉄を訪れた際に乗車しています。
当時の写真を2点、ノーキャプションでどうぞ。


2007-05-12_10-48.jpg


DCSA0031.JPG


2枚目の写真にもう1両が写っていますが、当時は2両体制でした。それが、元東京メトロ01系の導入に伴い、稼働車は1両だけになっていました。その最後の1両が、今日を最後に退役したということです。

で、この「青ガエル」最後の残党の退役は、何とNHKのお昼のニュース、それも全国ニュース枠で放送されました。
ネット上でもこのとおり↓

「青ガエル」引退へ 全国から鉄道ファン 2月14日 12時13分NHKニュースサイトより)

さらば「青ガエル」…ラストランに鉄道ファンの惜しむ声続々 全国で唯一運行の熊本電鉄でも引退産経ニュースWESTより)

詳細は上記URLをクリックしてお読みいただきたいのですが、かなり人が集まったようです。集まったのは鉄道愛好家ばかりではなく、地元の方や沿線の出身者も多数いらしたようですね。いかに地元に愛されていたかということです。

東急5000系が地方私鉄に転籍することになった嚆矢は、昭和52(1977)年の長野電鉄への転籍でした。当時長野電鉄は長野市中心部の区間の地下化を進めていて、そこを走る電車には難燃性が求められることから、5000系が希望され、東急もその希望を容れて譲渡に応じたということです。本当は東急は1世代前のデハ3450を譲渡したかったのですが、前述の理由から5000系になったとか。
その後も、5000系は長野電鉄と熊本電鉄以外でも岳南鉄道・福島交通・上田交通(当時)・松本電鉄(同)に譲渡され、これらの会社に在籍していた旧型車を放逐し、車両の近代化に大きく寄与しました。
しかし、5000系はその車体構造から冷房装置を搭載できなかったこと、外板の劣化の進行が急激だったことなどにより、これら転籍先でも1990年代に入ると淘汰の対象となってしまいます。東急でも、戦前型のデハ3450や3500よりも3年も早く、昭和61(1986)年限りで退役しました。しかし東急では戦前型より早く退役したはずの5000系が、東急での戦前型が退役した後(平成元(1989)年)、熊本でそれ以後30年近くにわたって生き延びるとは。運命というのは、本当に分からないものです。

そのような次第で、松本電鉄(当時)で5000系が退役した後は、熊本電鉄に生き残るだけになったわけですが、東急から退役してちょうど30年の今年、遂に引退のときを迎えた、ということになります。最後は故障が頻発し、しかも冷房を搭載していなかったことから乗客の評判も必ずしもいいものではなかったそうですが、それでもさしたる事故もなく、60年もの長きにわたり走り続けてきたことは、心から「お疲れさま」と言ってあげたいと思います。

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№194.ブルトレと青ガエルとつばめとはやとの風 -青ガエルとつばめ編-
№2519.安曇野に生きる「青ガエル」
№3005.最後の青ガエル、遂に退役へ~後任は何とメトロ01系 

※ 当記事は、車両としての5000系の話題であることから、「その他の鉄道(西日本)」ではなく、5000系の元の所属先である「東急」にカテゴライズしています。


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