こちらも2ヶ月連続で平日の恩田視察でございます。
冒頭の写真、アントの後ろに続くのは3000系の中間車(2両)ですが、これは定期入場でしょう。相鉄との相互直通運転を控え、主な相互直通ルートになると思われる目黒線。その目黒線の主力3000系も、去就が注目されるところです。
まずは工場正門前から、工場が見渡せる高台へ。
今回は、正門前の庭の写真は撮影しませんでした。クーラーキセなど以外、あまり見るべきものがなかったので。
というわけで、いきなり車両留置中の姿をいかせていただきます。
2003Fの車両が留置中なのは変わらない
恩田に着く前に電車の中から見たところでは、相変わらずなのかと思ったのですが、実は全くそんなことはなく、奥の2253が、仮台車を履かされて内装の工事中でした。噂される機器の換装もここで行うのでしょうか?
そして最も注目すべきなのは、恐らく福島交通向けと思われる、1000系を改造した3連が「派手車」デヤ7500・7550に連結されていたこと。これは搬出一歩手前なのでしょうか。ちなみに、この3連、デヤが連結されていない方を恩田駅ホームから見ることができます。冒頭の写真で、小さく写っている先頭車の写真こそ、この3連です。
以下、この3連がデヤと連結している姿、2003Fと絡めて3両を撮影したもの、2点をノーキャプションで。
ちょっと日が傾いて光線が微妙になってしまいましたが(^_^;)
これら3両の車号は、長津田方から順に1212-1314-1111。確か福島交通では、先頭車・中間車を問わず下2桁の車号は通し番号にするはずですが(戦前の東京地下鉄道や初期の営団地下鉄と同じ方式)、それならなぜ中間車の車号が「1313」じゃないんでしょうかね?
こちらが、1212とデヤ7550が連結されている部分の写真。
確かにがっちり連結されている
実はこの編成の他にも、2連か3連か、あるいは1両だけなのかは不明ですが、やはり福島交通向けと思われる、もう1本の編成(車両?)がスタンバイしておりました。
そして↑の写真、よーく見ると扉上部に緑の帯が入っている車両が見えませんか? しかも扉が極端に車端部に寄っている。
これって明らかに
6扉車の旧サハ5810
ですよね。まだ残ってたんだ。まさか保存されるとも思えないのですが(失礼)、いつまで残しておくのでしょうか。
おまけ。恩田駅前で転回する「青55」。
写真中央近くに小さくバスが写っている
このバス、あかね台バス停に折返所がないので、ここで折り返すのは知っていましたが、まさかその瞬間を見ることができるとは思っていませんでした。時間帯によれば、テクノシステムの敷地(中庭)で折り返すときもあると聞いたことがあるのですが、今日は見られませんでした。あるいは、今はやらなくなったのでしょうか。
今回はこれで撤収。いつもの中恩田橋からの東急バス又は横浜市営バスではなく、そのままこどもの国線で長津田にとんぼ返りしました。
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