既に以前の記事で取り上げた、旧3000番代の吊り掛け車を模したラッピングトレインの出現。
現車が12月になって出てきましたので、去る12月4日、多摩川線内の運用に入っているという話を聞きつけ、捕獲に出かけました。
対象編成として、中央貫通扉を持つ編成ということで1013Fが選ばれたということですが、冒頭の写真と次の写真、先頭部の出来はいかがでしょうか?
窓周りの黒はない方がよかった?
管理人は窓周りの黒はない方が…と思うのですが、皆様はどうでしょう? まあ所詮は「リアルウソ電」ではありますが。
1013の先頭部には、かつての旧3000番代にもあった形式・自重などの表記が。
「トン」が漢字
これ、旧3000番代だけではなく、初代5000系にも書かれていました。懐かしいです。ステンレス車に移行してから、車体に直に書く方式ではなく、プレートになったような。
車内はこんな感じです。既に座席モケットが緑のものに交換されていましたが、これはまさに、旧3000番代を彷彿とさせる色です。ただし、デハ3450やデハ3500の緑の無地ではなく、模様が入っているのは異なっていますが。
気分はデハ3450
管理人はこの後、この編成に蒲田まで乗車。その後蒲田駅で撮影しました。
30年ぶりに復活した「緑の電車」に、キッズも興奮気味。
君は吊り掛け車を知らないだろ(^_^;)
吊り掛け車が全車退役したのがちょうど30年前、平成元(1989)年の3月ですから(実際には7月ころまで予備車として3連2本が残り、時折試運転をしていたらしい)、1013Fにカメラを向けている子供が30年前には生まれていないのは無論のこと。もしかしたら、子供を連れているお母さんも、30年前には生まれていないかもしれません。それだけの時の流れということです。
人のいなくなった降車ホーム側から、側面を撮影します。
「T.K.K」のロゴが入る
昔の東急の電車には必ず入っていた「T.K.K」のロゴ。このロゴを付けていたのは8000系までで、8500系は登場当初から現在の社紋を付けて登場しました。最近現れた2020系の最新編成は、東急の組織変更を反映し、従来の「TOKYU CORPORATION」が「TOKYU RAILWAYS」に変更されました。
1312の側面先頭部の接写。
屋根肩部は…。
屋根肩部にはラッピングがなされておらず、ステンレスの地肌が剥き出しになっていますね。これは何故なんでしょうか。やはりここをラッピングすると剥がれやすくなるから?
窓枠や扉周りに緑色のラッピングがないことは、なんとも思わないんです。むしろ、この銀色がアクセントになっているとすら思えますから。しかし、これは興ざめですね…ラッピングの限界を見たような気がします。屋根肩部とはいえ車体の本体ですから、本体はラッピングして欲しかったと思います。
こちらは車号が分かるように撮影したもの。1000系の車号は、側扉の戸袋部に表示されていますが、この編成は窓下、車体の下部に表示されています。これはやはり、旧3000番代吊り掛け車に合わせたものと思われます。
車号が下部に移っている
そして最後は、赤帯のままの1012Fとの共演。
彼らはかつて同じ編成を組んでいた
登場当初、1012Fと1013Fを2本つないで日比谷線直通運用に充当されていました。日比谷線直通用にもかかわらず、なぜ4連×2で登場したかといえば、当時4連で運転されていた目蒲線(名称は当時)と予備車を共通化する目論見があったから。とはいえ、地下鉄乗り入れを行う関係で中間の貫通路を確保する必要から、中間に組み込まれるクハ1000とデハ1310は、通常の1000系とは異なる中央貫通路の風貌で現れました。この中間館通路を備えた車両は、クハ1000の1011と1013、デハ1310の1310と1312。
しかしその後、目蒲線の運転系統変更と日比谷線直通運用の減少に伴い、1011と1310は伊賀鉄道に譲渡され、現在も東急に残る中央貫通扉の1000系車両は、1013と1312だけになっています。
そういう意味では、彼らは「平成の東急」の生き証人。その生き証人の片割れであり、唯一の中央貫通扉を持つ編成である1013Fが、今回のリバイバルカラー編成に起用されたのは、何か因縁めいたものを感じてしまいます。
こうなると、この緑の電車があの「きになる電車」と並ぶのが楽しみです。
【おことわり】
当記事は後で並べ替えるため、最初のアップの時点ではブログナンバーを振りません。