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平成の間に変わったもの その3 模型をめぐる変化

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その2(№5015.)から続く

「平成の間に変わったもの」第3回は「模型」です。
もっとも、管理人が模型に手を染めていたのは中学~高校時代と、当ブログを開設した翌年の平成19(2007)年以降であり、その間には約20年のブランクがあります。また、管理人は所謂「Nゲージ」(日本型の場合、縮尺1/150)のみしか嗜んでおりませんので、HOゲージなど他のジャンルに関しては全くの門外漢です。したがって今回の記事は、「平成の間に変わったもの」というより、「昭和と比べて変わったもの」という内容にならざるを得ませんし、また「Nゲージ」に特化した話しかできませんが、よろしくお付き合いください。

では本題。
かつて、管理人が中高生だった35~40年くらい前は、まだ個人経営の鉄道模型店が数多くあり、「鉄道模型趣味」などの模型雑誌にも、そのような鉄道模型店の広告が多く掲載されていました。そういったお店は「うるさ型の店主」のもとに「マニアックなモデラー」が集うという、いかにも「趣味人の社交場」という雰囲気だったように思います。勿論、だからといって初心者には厳しいかといえば、決してそんなことはなかったような。
それと、当時は鉄道模型の専門店でなくとも、玩具店やプラモデルの店に鉄道模型が置いてあるところも多くありました。管理人の住まいの近くにもそのような店があり、そこでよく旧型客車や旧型国電のキットを買い、拙い腕で組み立て塗装したものでした。そんな環境もあり、鉄道模型の専門店は管理人にとって何となく「敷居が高い」イメージもあり、足を向けにくかったのも事実です。
その後管理人は「乗り鉄」に目覚めてしまい、模型はその後20年近くにわたって放置していました。

そして20年経って模型の世界に戻ってみると、環境が激変していることに仰天したものでした。
その環境の激変とは

・ 単品販売からセット販売が主流になったこと
・ 個人経営の模型店が激減し、大規模店が一部のエリアに集約されたこと
・ キットを組み立てる人が減少している(と思われる)こと

です。順に述べていきましょう。

【単品販売からセット販売が主流になったこと】
中高生時代の管理人は、485系特急編成の11連(食堂車・グリーン車2両入り。山陽~九州・北陸系統)を作りたくて、毎月の少ない小遣いの中から資金をひねり出し、1両また1両と買い足していったものでした。しかし、昭和60(1985)年ころ、モハ485が品切れになってしばらく入手困難になり、そのころから管理人は模型の世界から遠ざかってしまいました。模型の世界に戻ってきたとき、その11連を作ろうとしたのですが、今度は単品としての485系が売っておらず、秋葉原のお店を回って中古品やジャンク品をかき集め、何とかして11連を作ることに成功しました。このとき、単品販売からセット販売が主流になったことを実感したものです。
セット販売が主流になったのは、恐らくMA社がニッチな車種・レアな車両を製品化したことによると思われますが、これによって、20~30年前には考えられなかった車両が製品化されるなど、プラスの面もありました。しかし、セット販売となると高額化する傾向があるのは否めません。MA社は高額化を避けるためか、日本ではなく国外で製造していますが、その国外でも経済成長に伴って人件費が増大する傾向にあり、そのため同社の製品も、最近では価格が高騰する傾向があるようです。
MA社以外、大手とされるK社やT社においても、かつての単品販売からセット販売にシフトするようになりました。特徴的なのは、特定の時代を再現した編成のセット販売、あるいは「さよなら列車」つまりラストラン列車を再現した編成のセット販売も目立つことです。前者はK社の、後者はT社の、それぞれ「お家芸」といえます。
そして、かつてはキットを多く販売していたGM社(米国の自動車メーカーではない)も、完成品のセット販売に乗り出すようになりました。こちらは国鉄~JRよりも私鉄の車両が多く、それだけに根強い需要をつかんでいますが、K社やT社の製品に比べ高額であることがネックになっています(管理人はかつてGM社の阪急3300系8連を揃えようとしたが、値段を見て断念したことがある)。
セット販売は、単品販売よりもどうしても高額になってしまうことで、少しずつ買い足していくことができないという問題もあります。今の若いモデラーさんは、いったいどうやって集めているのでしょうか。

【個人経営の模型店が激減し、大規模店が一部のエリアに集約されたこと】
これは飲食業界など他業種でも見られる傾向ですが、昭和のころに比べたら、個人経営の模型店は激減しています。この原因はいろいろありますが、飲食業界などと同様、店主の高齢化の問題もあるようです。その他、商売としてはどうしても大規模店舗に敵うものではないことも挙げられるでしょう。昭和の「鉄道模型趣味」誌に掲載されていた個人経営の模型店の広告のうち、一体いくつ現存する店があるでしょうか。
生き残っている個人経営の模型店は、例えばナローゲージ、あるいはライブスチームなど、特定分野に特化したところも多くなっています。特定分野に特化した個人経営店が生き残るのも、他業種と変わらないようです。
以上とは別に、量販店などに鉄道模型が置かれることも多くなった一方、街の玩具店やプラモデル店についでに置かれるということもなくなっています。これは少子化により、そのような店そのものが減っていることも理由です。管理人の住まいの近くにあったプラモデル店も、十数年前に閉店してしまいました。

【キットを組み立てる人が減少している(と思われる)こと】
以前のNゲージには製品化されている車両が少なかったこともあり、キットを組み立てる人、あるいはそれを材料に全く別の車両を作り上げる人も多くいました。キットといってもHOゲージのような金属製のものではなく、プラスチック製でプラモデルの延長のようなものですが、それでも管理人にとっては、プラモデルの延長で入っていくことができたので、当時の戦略としては悪くはなかったと思います。
しかし、上記のようにレアな車両でも製品化されることが多くなったせいか、完成品を買い集めることに終始し、キットの組み立てをしない人も目立つようになってきました。それと同時に、キットを切り継いで全く別の車両を作り上げるとか、完成品を改造するとかの工作をする人も減ったように思います。これは住宅事情(集合住宅では臭気を伴う塗装作業などは困難)もあるのでしょうが、「作る楽しみ」を味わった(というよりも『ない』ものだから作らざるを得なかった)世代としては、寂しい気持ちもあります。
それよりも心配なのは、工作・改造のノウハウが引き継がれていくのかどうかということです。こうした技術をまとめたインターネットサイトもいくつかあるようですが、あるサイトなどは、ある日突然閉鎖されていたりしますし、最近の鉄道模型雑誌ではこうした加工技術、制作過程を記した記事が激減しているようですから。

やはり30年も経ってしまうと何もかもが変わってしまうのは、鉄道模型の世界も例外ではないようです。
次回は最終回として、鉄道趣味の成果の発信方法の変遷についてお送りします。インターネットの出現はそれを大きく変えましたが、それも初期のころと現在とでは、状況が全く変わっています。

-その4に続く-

 

【おことわり】

当記事は後で並べ替えるため、最初のアップの時点ではブログナンバーを振りません。

また、頂いたコメントへの返信は追って行いますので、しばらくお待ちください。
 


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