-その9から続く-
平成12(2000)年8月6日。
この日をもって、目蒲線の運転系統が目黒-田園調布-武蔵小杉間の「目黒線」と多摩川-蒲田間の「東急多摩川線」に変更されたことは、これまでにも何度か言及してきました。またこの日をもって、長年親しまれた「多摩川園駅」は、末尾の「園」を取って、「多摩川駅」と変更されています。
今回は、切り離された側の「東急多摩川線」の20年の歩みを概観します。
なお、東急多摩川線ですが、多摩川線だけだと厳密には間違いで、「東急」まで含めたのが正式名称です。これは、同業他社に「多摩川線」を名乗る会社があるため(西武の多摩川線)、それと区別するためと、かつて東急に存在した「玉川線」「新玉川線」との混同を避けるためです(新玉川線はこの日をもって田園都市線に編入され名称が消滅している)。
それまで目黒-田園調布-蒲田間を運行していた列車は、この日を境に多摩川-蒲田間の折返し運行に変更され、田園調布-多摩川間の連絡線には列車が走らなくなりました。連絡線は多摩川駅の地下線へと通じていますが、当初はこの連絡線の多摩川駅構内田園調布方に両渡り線を設け、引上げ線としても使用する計画があったようです(枕木がそのような形になっている)。しかし、この計画は実現せず、多摩川駅の蒲田方に両渡り線を設け、そこで列車が転線しています。
そして列車の編成も、これまでの4連から、池上線と共通の3連とされました(3連化自体は系統分離を前にした同年7月から一部で実施)。一部には「東急多摩川線」の車両基地は変わらず奥沢に置かれ、奥沢-多摩川間を回送あるいは客扱いするのではないかという憶測も流れましたが、そのようなことはなく、雪が谷所属の車両を使用しています。
その結果として誕生したのは、蒲田駅の2番線を発着する多摩川線の列車と、蒲田でターンして多摩川線と池上線の相互を直通する列車。これは言うまでもなく、雪が谷の車庫から車両を出し入れするための方策ですが、一部には五反田から蒲田へ達し、そこで多摩川線へターンして入る列車もあります(逆もある)。従来、蒲田駅は1・2番線を池上線が使用し、目蒲線を3・4番線が使用していて、それは「東急多摩川線」発足後も変わりません。ただ、目蒲線側から2番線へ達する渡り線があり、それを活用して上記のような列車が運転されているということです。それまで回送列車しか走っていなかった、蒲田駅の2・3番線連絡渡り線を、乗客を乗せた営業列車が通過するようになり、当時の鉄道趣味界ではちょっとした話題になったものです。ちなみに該当列車は、駅の時刻表にはその旨の記載はあるものの、列車の行先表示や車内放送などでは、多摩川線内で「雪が谷大塚行き」「五反田行き」、あるいは池上線内で「多摩川行き」などと案内されることは、原則としてありません(7000系の車内案内表示には直通する旨が表示される)。
さらに「東急多摩川線」列車が3連化された結果として、鵜の木駅の車掌用仮設ホームが無用の長物となりました(後に撤去)。これは、鵜の木駅の両端が踏切に挟まれていて、ホームを延伸することが困難だったため、4連化の際にやむなく目黒方の1両を締切り(非扱い)にしたことで、扉扱いのために必要になったものです。3連に戻って非扱いの必要がなくなれば、必要がなくなるのも、撤去されるのも道理ということです。
また、既に池上線がワンマン運転となっていたことから(平成10(1998)年から実施)、車両運用を共通化した結果として、東急多摩川線でもワンマン運転を実施することとなり、各駅には安全確保のため、センサー付きのホーム柵が設けられました。
東急多摩川線の各駅は、地下駅の多摩川・高架駅の蒲田という両端の駅以外、全て地平に所在していますが、いずれの駅も上下線で改札が分離されており、所謂「構内踏切」も跨線橋・地下通路もありません。この構造のため、東急多摩川線の途中駅の各駅は、改札内で上下線ホームを行き来できない構造となっています。
車両の面では、7200系が全車退役して7600・7700・1000系といったVVVF車に統一され、二大幹線の東横線・田園都市線よりも先んじて、VVVF車への統一がなされました。
7600・7700系は車体が古くなっており、しかも初期のVVVF車であるため装置の老朽化もあり、新車に置き換えることになりました。平成19(2007)年、そのための新型車両として7000系(2代目)が登場しました。7000系は5000系列を基本とした車両でありながら、18m級の中型車体とされたこと、既存の池上・多摩川線車両とは異なり、本家5000系列よりも丸みの強い先頭形状とされたこと、緑系の色をあしらいつつ、東急のコーポレートカラーである「赤」を一切使わないカラーリング、さらに車端部のクロスシートが注目されました。
当初は7000系を集中的に投入して7600・7700系を置き換える予定だったようですが、その後東横線の副都心線乗り入れに伴い日比谷線への直通を取り止めることになったことから、1000系に大量の余剰車が出ることが考慮され、一部は同系のリニューアル(1500番代化)で賄うものとされ、7000系の新造は一時中断されました。その後、種車の1000系の払底から平成27(2015)年に増備が再開され、現在は3連15本の陣容となっています。
現在の東急多摩川線で運用される車両は、1000系(赤帯)・1000系1500番代(緑帯)・7000系の3種となり、初代7000系を改造した7700系、7200系を改造した7600系は全て退役しました。
このように、進境著しい「目黒線」と比べると、のんびりした雰囲気が保たれている「東急多摩川線」ですが、平成19(2007)年の11月、「古代から未来へ 10分7駅多摩川線」をテーマに、東急多摩川線の全駅で「多摩川アートラインプロジェクト アートウイーク2007」が開催されました。具体的には、多摩川線の全駅にアーティストによる芸術が施され、多摩川・蒲田の両駅ではインフォメーションコーナーを設け、そこで各種グッズの販売も行われました。これに合わせ、同年11月末まで7700系の1編成を「レインボートレイン」として運転していました。
「多摩川アートラインプロジェクト」はこの年限りで終わりというわけではなく、翌年以降も継続予定だったようですが、現在該当のHPは閲覧不能になってしまいました。こういうのは継続的に行わなければ意味がありませんし、終わらせるなら終わらせるで、ちゃんと告知しなければ、やはり意味がないのではないかと思いますが。
そして現在、のんびりした雰囲気の東急多摩川線も、ある2つのプロジェクトの展開いかんによっては、大化けする可能性を秘めています。それが「エイトライナー計画」と「蒲蒲線計画」。
次回と次々回は、「目蒲線」の将来を占う記事としますが、次回はこれら「エイトライナー計画」と「蒲蒲線計画」について論じていきます。
-その11へ続く-
※ 当記事は後で並べ替えるため、アップの時点ではブログナンバーを振りません。