東京の東村山が生んだ、偉大なコメディアンが天に召されてしまいました…。
志村けんさん死去 所属事務所が正式発表 死因は新型コロナウイルス肺炎 通夜・葬儀は近親者で
「ザ・ドリフターズ」のメンバーでタレントの志村けん(しむら・けん 本名・志村康徳、やすのり)さんが29日午後11時10分、新型コロナウイルス肺炎のため亡くなった。所属事務所が30日に発表した。70歳だった。東京都東村山市出身(以下略)
(Yahoo!ニュースより)
志村さんのギャグというか、印象に残っている番組に何を挙げるかは、世代によって異なります。管理人は何と言っても「8時だヨ!全員集合!」と「ドリフ大爆笑」。あれはまさにど真ん中でした。特に「全員集合」は、土曜の夜「まんが日本昔ばなし」→「クイズダービー」→「8時だヨ!全員集合!」の黄金リレーでした。「全員集合」が終わった後は、丹波哲郎さん主演の「Gメン'75」となるのですが、このころになると管理人は布団の中に入らされていました。もっとも、当時はPTAが目の敵にするなど、世間的な評価は決して芳しいものではなかったのですが、志村さんはじめドリフターズの笑いは「素人いじりをしない」「他者を蔑んだり貶めたりしない」という特徴があり、後になって完成度の高さに驚いたものです。
そして志村さんの功績といえば、出身地の東京都東村山市を全国区の知名度に押し上げたこと。その原動力は「東村山音頭」。勿論正調のそれとは異なりますが、ギャグの中で披露されることで、東村山という地名が全国的に有名になりました。
新型コロナウイルス肺炎に罹患したということですが、このウイルスは高齢者や既往症あるいは合併症のある人に大きなダメージを与えるようで、現に志村さんはかつてヘビースモーカー(4年前に肺炎を患ったのを機に禁煙した)であり、なおかつ大酒飲みでもあったそうなので、そういうものが体にダメージとして蓄積されていったのだろうと思われます。
これが志村さんと東村山市を全国区にした「東村山音頭」。
こちらも一世を風靡した「ヒゲダンス」。
以下は志村さんにちなんだ写真。まずは東村山駅で撮影した2000系のリニューアル済みの初期車。
高架化を見ることはなかった
現在東村山駅周辺は高架化工事の真っ最中ですが、その完成を見ることはありませんでした。
こちらは新宿線に活躍の場を移した10000系「レッドアロークラシック」。
退役せず新宿線に異動
東村山は「小江戸」の運転開始当初は特急停車駅ではなかったのですが、後に停車駅に加えられています。
そして志村さんといえば「バカ殿」でしょう。
そしてこちらが、鉄道趣味界でいうところの「バカ殿」。
バカ殿つながりで
西武6000系が副都心線乗り入れ対応改造を受けた際、FRPの前面を白く塗り込めましたが、その白くなった「顔」を、鉄道趣味界では誰からともなく「バカ殿」と呼ぶようになりました。「バカ殿」というのは、↑で貼った動画のとおり、「全員集合」「大爆笑」の後の志村さんの定番コントですが、志村さんは顔面を真っ白に塗り込めた滑稽なメイクでした。その「真っ白な顔」が「志村さんの『バカ殿』」と同じということで、この車が「バカ殿」といわれるようになったわけで。
ともあれ、志村さん、お疲れ様でした。
※ 当記事の写真は、全て以前の記事からの転載です。なお、3枚目は東急横浜駅で撮影した写真ですが、現在はホームドアが設置されていますので、このような写真を撮影することは不可能になっています。