当記事は、こちらの記事の続きとなります↓
佐倉から先は、成田空港行きが先発し、鹿島神宮行きが後から出発します。鹿島神宮行きは、ここから列車番号を2545Mと改めます。
佐倉到着直後、分割作業に入ります。分割後の成田空港行き最後部となる運転台に係員が乗り込みます。
奥の車両の乗務員扉が開いていることに注目
この作業には、愛好家の各位も注目されていたようです。
もしかして:目的は管理人と同じ?
佐倉で分割するとなると、佐倉-成田間では成田空港行きと鹿島神宮行きが続行することになりますが、それなら成田で分割すればいいのでは…と思ってしまいます。しかし、総武快速にはもう1本、佐倉での分割運用がありますので(成田空港・成東行き)、分割作業を行う駅を集約しているのでしょう。
分割作業といっても、かつての東武の快速などとは違い、幌がつながれているわけではありませんので、あっさりしたものです。
すぐに作業は終わり、1915に成田空港行きが出発していきました。
分割の瞬間と走り去る写真を2点ノーキャプションで。
これにより、鹿島神宮行きはホームの千葉・東京方にかなり偏って停車した状態になりますが、このあとホーム中央に移動したのには驚きました。これは恐らく、通常の4連の停車位置に移し、乗客の便宜を図るためでしょう。
佐倉到着から11分後、1919に成田空港行きの後を追って発車。
成田からそれなりの数の乗車がありましたが、佐原までにはほぼはけてしまい、鹿島線にはがら空きの状態で突っ込んでいくことになりました。
鹿島線は新しい路線のため、全線高架で踏切がありません。しかも水郷地帯を進むため橋梁が多く、橋を渡るときの轟音ががら空きの車内に響き渡ります。
潮来で209系の佐原行きと交換し、鹿島神宮には2029に到着。終着駅に降りた人の数は、2桁あるかないかくらいでした。
夜更けの鹿島神宮駅
20時台といえば、東京都内であればまだまだ喧騒の中ですが、ここではまるで深夜のような雰囲気でした。
以下、鹿島神宮駅にE217系がいる証拠写真を2点。これもノーキャプションで。
2枚目は分かりにくいですが、右側に停車中なのが鹿島臨海鉄道の6000形気動車です。鹿島臨海鉄道の気動車とE217系が並ぶのは、鹿島神宮駅しかありませんから。
ここからは2120発の高速バス「かしま号」京成バス担当便に乗車。鹿島神宮駅からは管理人を含め2人しか乗客がいなかったのが、鹿島セントラルホテルで大量乗車があり、面目を施しました。
感想。
少なくとも下りについては、存在意義がどこまであるのか疑問でした。上りは朝の鹿島神宮発東京方面行きの列車があるので、もしかしたらlこちらの列車にはそれなりの利用があるのかもしれません。だとしたら、下りの鹿島神宮行きは、翌朝の上りの「送り込み」といえます。来春の改正では鹿島神宮発着の総武快速は残るでしょうが、今後は分かりません。
E235系による乗り入れが実現することは確実ではあるのですが、ではそれがいつまで見られるかというと…ついつい悲観的に見てしまう利用状況でした。
最後におまけ。
E217系は正面の貫通扉は非常用であり、後期型はダミー(非貫通)とされていますが、それが分かる写真を貼っておきます。
とくとご覧あれ
右側の車両には車体下部の出っ張りにドアレールがありますが、左側の車両にはありません。
これは、右側の車両は貫通扉があり、左側の車両にはないということです。後期型は設計変更により非貫通型とし、コストダウンを図っています。
なお、今回の記事のタイトル、ネタ元はあいみょんさんの「空の青さを知る人よ」です。