-その9(№5463.)から続く-
今回は予告編とは内容を変えて…と思いましたが、やはり予定通り「185系運用の変わり種」を取り上げることにいたします。
それほど変わった運用や「ネタ運用」はなかったはずの185系ですが、それでも探せば結構あるもの。
なお、「ムーンライトながら」や団体臨時列車などは、ここでは取り上げません。
【信州リレー号】
前回の時点で言及したとおりです。
【「シュプール号」などスキー臨時列車】
これも前回取り上げました。
【モントレー踊り子】
JR東日本の発足半年後の昭和62(1987)年10月から、前橋-伊豆急下田間を高崎線・山手貨物線・品鶴線経由、つまり現在の湘南新宿ラインのルートで運転された列車。「モントレー」とはイタリア語(だったと思う)で「3つの山」。「上州三山」とよばれる赤城山・榛名山・妙義山をイメージした愛称とされています。
この列車には新前橋の185-200が充当され、ヘッドマークは通常の「踊り子」の図案に「モントレー」の頭文字「M」をあしらった特別バージョンが用意されました。当時はまだ、185-200の塗装は白地に緑の横帯でしたから、横帯の185系が湘南・伊豆を走るということで「撮り鉄」の各位にも大いに注目されたものです。
「モントレー踊り子」は、平成2(1990)年の冬まで運転されましたが、その後は設定がなくなってしまいました。ちょうど伊豆急行の旅客輸送のピークが、その翌年の平成3(1991)年度で、その後は加速度的に減少していきますから、もしかしたらこのとき既に、伊豆への観光客の入れ込みが減少傾向にあったのかもしれません。
なお、平成元(1989)年8月に運転された、成田-伊豆急下田間の「ウイング踊り子」は、185系ではなく、幕張の183-0が充当されました。戸塚-千葉間は横須賀・総武快速線と同じルートで走りましたが、当時の運転条件と保安基準では、185系が品川-錦糸町間の東京トンネルを通ることができなかったためと思われます。ちなみにJR東日本が成田空港駅を開業させ、成田空港ターミナルビル直下への乗り入れを果たすのはこの1年半後で、「ウイング踊り子」運転当時は、成田空港へは成田駅からバス連絡でした。
【小田原-熱海間の普通列車】
東海道線小田原-熱海間の合理化を図ったものか、平成3(1991)年3月のダイヤ改正から、小田原-熱海間の普通列車に185系を充当したものが登場します。
しかし、この列車には、グリーン車の入った7連でも10連でもなく、グリーン車の入っていない普通車のみの5連付属編成が充当され、鉄道趣味界を驚かせました。5連は修善寺行きあるいは熱海での増解結する運用が組まれてきましたが、分割併合や増解結を伴わない、純粋な単独運用は、今回が初めてでした。
この運用、一時期はJTB時刻表などにも「(特急型車両)」の注意書きが付され、短区間ながら「乗り得列車」でもあったのですが、東京方面からの直通運転を増やした結果か、その後ほどなくして姿を消しました。
【特急はまかいじ号】
この列車は、横浜方面から甲府方面を目指した臨時特急で、運転開始は平成8(1996)年から。
この列車の面白いのは、何といっても走行ルート。横浜から新宿を経由して中央本線方面に向かうのでも、武蔵野線(武蔵野南線。通常は貨物列車しか走らない)を通るのでもなく、何と、横浜線を経由したこと。横浜線といえば純然たる通勤通学路線で、定期特急列車はおろか他路線へ直通するような足の長い列車もない路線です。そのような路線を、臨時とはいえ特急が走るということで、趣味的には絶大なインパクトがありました。
「はまかいじ」が横浜線経由になった結果として、同じ横浜駅でも東海道線や横須賀線のホームではなく、京浜東北線ホームの発着となったことも、大きなインパクトがありました。何しろ、普段は通勤電車しか発着しないホームに、特急列車が発着するのですから。
さらに京浜東北線・横浜線はATCの導入線区であり、かつ横浜線には10連が入れないことから、185系の7連の先頭車の一部にATC装置を搭載する改造が施されました(クハ183-1500とは異なり車号の変更はない)。この改造の対象となった車両は、ATC装置を客室のスペースを潰して設けたため、定員が4名減少、また先頭部の窓が1枚埋められています。
同時に、高尾以遠の中央東線の狭小トンネルに対応するため、該当編成は折り畳み高さの低いパンタグラフに換装されました(こちらも車号の変更はなし)。
この「はまかいじ」、行楽シーズンの週末やGW、夏休みなどに運転され、また当初は横浜-甲府間の運転だったものが、平成10(1998)年7月から松本まで延伸され、それなりの人気を博しました。また同じころから183系を活用し、臨時列車でありながら2往復体制としていたこともあります。この2往復体制は、平成14(2002)年まで続きました。
しかし、思わぬ伏兵がこの列車に引導を渡してしまいます。
それは、横浜駅京浜東北線ホームに整備されたホームドア。
これにより、ホームドアの位置と扉の位置が合わない185系は、横浜駅京浜東北線ホームに乗り入れることができなくなり、平成31(2019)年の正月を最後に、設定がなくなってしまいました。
「はまかいじ」廃止は、ホームドア導入の他にも、同年春に実施されたダイヤ改正から行われた、中央東線の特急政策の変更も影響しています。この改正から「あずさ」「かいじ」は全席指定とされ自由席がなくなったため、自由席を設けていた「はまかいじ」は運転が難しくなったということです。そして勿論、使用車両の老朽化・陳腐化(E353系と比べたら格差は明らかでしょう)、も大きな要因です。
なお前後しますが、「はまかいじ」には一貫して185系のグリーン車入り7連が充当されていましたが、平成25(2013)年7月6日の運転からグリーン車を抜いた6連での運行に変更されていました。
185系の変わり種運用、他にもあるかもしれませんが、今回はこのくらいで。
次回は、185系のリニューアルの経過を取り上げます。新前橋の車と田町の車では、着手の時期が異なっていました。
-その11に続く-
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5473.準特急とよばれて~185系物語 その10 185系運用の変わり種
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