冒頭の2枚の写真は、いずれも「5500形」。かたや都電、かたや地下鉄ですが、両社の登場年次には実に63年の開きがあります(2枚目の写真は以前の記事からの転載)。
都電の5500形は、米国の技術を導入した「和製PCC車」として名高いのですが、実は国産技術を導入した5502の方が、写真の5501に先んじて昭和28(1953)年11月に落成しており、純粋な米国のライセンス生産となった5501は、やや遅れて昭和29(1954)年に登場しています。
しかし当時の日本の工業・鉄道技術では、米国ライセンス生産による車両を量産することも使いこなすことも難しく、国産技術を導入した5502の方をベースとした量産車を投入することに決定、5503~07の5両が登場、全7両が揃い、当時の都電の看板系統である1系統(品川-新橋-銀座-日本橋-須田町-上野)に限定運用されました。
しかし、5500形はあまりに先進的過ぎる機構のため、運転・メンテナンスのいずれにも難があり、そのためか昭和42(1967)年の都電第1次撤去に伴い1系統が廃止された際、5500形はそれと運命を共にし、全車退役の憂き目に遭っています。このあたりは、斬新な機構を備えながら運転・メンテナンスに難があったがために、僅か14年で退役を余儀なくされた、東急玉川線のデハ200形に相通じるものがあります。
5500形が全車退役した後も、トップナンバーにして米国のライセンス生産車である5501だけは、大切に保存されてきました。当初は上野公園で静態保存されていましたが、荒廃が進んだため荒川車庫に移され、その後平成19(2007)年には荒川車庫に隣接する「都電おもいで広場」に据え付けられ、現在に至っています。現在は定期的にメンテナンスが行われているようで、外観は美しさを保っています。
その5500形の退役からちょうど50年が経過した平成29(2017)年。
5500形が帰ってきました。今度は都電ではなく、地下鉄の車両として。
こちらの5500形も、様々な先進的な機構を採用しています。まずステンレス車体としては「第4世代」といえる「Sustina」を採用、平滑な側面が特徴となっています。また車内案内表示装置にLCDディスプレイを採用して情報量も激増(5300形はマップ式とLEDスクロール式の併用)、さらに高速性能にも意が払われ120km/h運転にも対応(5300形は最終の第24編成を除いて110km/h対応)、成田スカイアクセス線の運用にも対応可能となっています。
こちらの5500形は7本(7編成)にとどまるわけはなく、順調に増備が進められ、5300形を順次置き換えています。現在、5300形は数本が残るのみとなり、退役も時間の問題となっています。
残り編成数は少なくなった
昨今の情勢に鑑みると、さよならイベントのようなものは行われないでしょう。コロナ禍はおくとしても、撮影スポットで傷害事件まで起こってしまうようでは、「撮り鉄」が集結するようなイベントの開催には躊躇せざるを得ないでしょうし。もっとも、その後この犯人は自ら警察に周到したようですし、被害者も生命に別条がないようですから、それだけが救いといえば救いです。
(この事件に関しては、コメントをご遠慮願います)
地上を走る5500形の退役から50年後に現れた地下鉄の5500形は、5300形を置き換え、全て出揃った暁には、「アクセス特急」への充当や京急線内における高速運転など、その本領を遺憾なく発揮してくれることでしょう。
「白い悪魔」5300形の退役は寂しいですが、5500形の本領発揮が今から楽しみです。
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