東武のスペーシア・りょうもうのリバイバルカラー登場という、どちらかといえば晴れがましいニュースがリリースされたのと同じ日、京急からはこんな寂しいニュースが。
かつての路線延伸計画の終点近くに位置し、多くの観光客を集めた名物水族館が、閉館することになりました。
2021年9月30日(木)をもって京急油壺マリンパークを閉館することといたしました。
京急油壺マリンパークは、西に相模湾が広がり、江ノ島、富士山、伊豆半島そして伊豆大島まで一望できる風光明媚な位置に、1968(昭和43)年の京急電鉄創立70周年記念事業として開業しました。開業当時、東洋一といわれた大回遊水槽をはじめ、 魚の生態をいろいろな角度から示し、魚や自然への理解を深め、かつ科学教育の一助に資するという、世界でも例を見ない水族館として運営をしてまいりました。
しかしながら、建物や設備の老朽化が著しく、これ以上の維持管理は困難であると判断し、このたび、閉館することといたしました。なお、動物類については、他の施設と受け入れに関する協議を進める一方で、閉館後も、飼育・施設管理に必要な要員・体制を維持し、すべての動物類の移譲を完了するまで、責任をもって対応してまいります。
開業から53年間、地域の皆さまをはじめ、たくさんのお客さまにご愛顧いただきましたことに、厚く御礼申し上げます。
(京急公式より)
ここから線路が伸びることはなくなった
「京急油壺マリンパーク」の開業が昭和43(1968)年ということは、まだ京急久里浜線が三崎口に達しておらず、油壺延伸計画が現実味をもって語られていた時期です。実際、「京急油壺マリンパーク」の開業は、油壺への延伸開業の機運を高める効果があったとか。
しかし油壺延伸は諸事情によりかなわず、とうとう平成28(2016)年、延伸事業と土地区画整理事業等による大規模宅地開発事業の凍結が決定され、延伸計画は事実上白紙となってしまいました。このときをもって、油壺延伸計画は白紙になったとみていいのでしょう(詳細はwiki『京急久里浜線#路線の延伸計画』をご参照ください)。
「京急油壺マリンパーク」の閉館が意味するものは、かつての私鉄が行っていた「沿線(の終点)に集客が見込める娯楽施設などを作って鉄道路線の乗客を増やす」というビジネスモデルが、終焉に至ったということです。既にモータリゼーションの展開により、このような需要拡大策は有効性を失いつつあったものの、それでも西武園ゆうえんち・西武球場(現メットライフドーム)など、一定の成功例があったのは事実です。もしかしたら、油壺という土地自体が、東京や横浜から「中途半端に遠い」ことが裏目に出たのか、あるいはしながわ水族館やすみだ水族館など「エキチカ」あるいは都心部の水族館が出現し、わざわざ油壺まで出かける必要がなくなったこともあるのかもしれません。
「京急油壺マリンパーク」の食堂には、マグロでだしを取った「マグロラーメン」があるそうですから、閉館までには是非とも実食してみたいものだと思います。いつでも食べられるとばかり思っていましたが、やはり何事も、機会あるときに・思い立ったときに実行しないと後悔するもの。今回は何とか叶えたいものですが(´・ω・`)
【おことわり】
当記事で使用した写真は、全て以前の記事からの転載です。また投稿日を05/14にしております。