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5572.乗ったにもかかわらずその後廃線になった路線(民鉄・公営交通編)

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当記事はこちらの記事の続きとなります↓

 

 

前回が国鉄~JRの路線を取り上げたので、今回は民鉄と公営交通を取り上げようということです。

 

以下北から順に。

 

函館市交通局 松風町-十字街
弘南鉄道黒石線 黒石-川部
十和田観光電鉄線 三沢-十和田市
日立電鉄線 大甕-常北太田など
鹿島鉄道線 石岡-鉾田
長電屋代線 屋代-松代-須坂
名鉄三河線 吉良吉田-碧南
名鉄岐阜市内線・谷汲線・揖斐線 岐阜駅前-黒野-揖斐・谷汲
北陸鉄道 鶴来-加賀一の宮
西鉄北九州線 砂津-折尾

西鉄宮地岳線 三苫-津屋崎
 

順次取り上げます。

 

まず函館市交通局というのは、函館の路面電車のこと。

現在は2系統運行されていますが、かつては五稜郭駅などへも路線が伸びていました(五稜郭方面への路線は、管理人が乗る前に廃線になってしまいました。残念(´・ω・`)

それでも平成2(1990)年の段階では、まだ松風町-十字街間が残っていて、この区間を通る系統もありました。しかしその運転間隔たるや驚くなかれ、何と1時間当たり1本! これでは路線存続の意味もなく、この区間は平成5(1993)年に廃止されています。

 

東北は、弘南鉄道黒石線と、十和田観光電鉄線。

 

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@旧七百駅

 

十和田観光電鉄線は平成22(2010)年の夏に乗りに行ったのですが、その2年後に廃線になってしまいました。

弘南鉄道黒石線は、まだ元号が昭和のころ、弘南線とセットで乗り潰したのですが、こちらもあえなく廃線。こちらは国鉄黒石線を弘南鉄道が引き継いだものですが、国鉄黒石線が廃止対象になったとき、第三セクターが設立されて弘前-黒石間の直通運転がなされては弘南線の利用客が激減するとして、いわば企業防衛のために弘南鉄道が引き受けたという、なかなかに生臭い話もあります。

そのためかどうか、利用者が振るわないとみるとさっさと廃線にしています。

 

関東・甲信越地区は、日立電鉄が全路線を廃止にしたのには驚きました。まさかそこまでとは思わなかったので。現在は一部を専用区間にしてバスを運行しているようです。

そして、やはりというか、よくぞもったという感じだったのが、長電屋代線と鹿島鉄道。

 

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@須坂駅

 

この路線は屋代と須坂を結ぶ路線として、かつては上野から急行「志賀」が乗り入れていたものですが、昭和57(1982)年11月のダイヤ改正で「志賀」廃止により国鉄との直通がなくなり、屋代線はその存在意義のひとつを失いました。しかし、それでも何本かの特急「あさま」が屋代駅に停車し、屋代線はその限りで存在意義が残っていたのですが、平成9(1997)年の長野新幹線開業と在来線特急「あさま」廃止が、屋代線の息の根を止めました。

 

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@旧鉾田駅

 

鹿島鉄道は、航空自衛隊百里基地へのジェット燃料輸送と、親会社である関東鉄道からの補助で経営を維持していたのですが、ジェット燃料輸送がなくなって収入源が消えました。さらに不運だったのは、つくばエクスプレス(TX)の開業で、関東鉄道が収益が悪化する予想を理由に補助を打ち切ったこと。これにより、鹿島鉄道は存続が困難になり、廃線の憂き目に遭うことになります。

 

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@旧谷汲駅

 

「乗ったにもかかわらず廃線になってしまった路線」は大手私鉄にもありまして、それが名鉄の「600V路線」と呼ばれる路線と、名鉄三河線などの閑散路線。特に前者は平成11(1999)年に乗車したのにもかかわらず、なくなってしまいました。写真のモ510形には乗ることはかないませんでしたが、それでも当時乗ったモ750形以外の車両が、福井鉄道や豊橋鉄道で現役なのが、せめてもの救いです。

名鉄の普通鉄道区間だと、三河線の通称「海線」の吉良吉田-碧南間が該当します。この区間は管理人が乗車したとき、既に電化設備を放棄して気動車による運転となっていました。それでも途中区間には架け替えられた立派な橋梁があり、これなら存続するだろうと思っていたら、何とその橋が竣工して10年もたたないうちに廃線が決まってしまったという…(´・ω・`)

 

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@鶴来駅

 

北陸鉄道石川線の鶴来-加賀一の宮間も、乗ったのに廃線になった路線です。加賀一の宮駅は白山比咩神社の最寄り駅で、お正月には大変な活況を呈したようですが、それだけでは路線維持には足りないということか、あえなく廃線になってしまいました。管理人は平成20(2008)年の9月にこの区間を乗っていますが、当時でも電車は鶴来折返しが多く、加賀一の宮まで通す電車は少なかっものでした。

 

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@津屋崎駅跡

 

大手私鉄の「乗ったにもかかわらず廃線になってしまった路線」のもう一つは西鉄。北九州線の砂津-折尾間と、宮地岳線(現貝塚線)の三苫-津屋崎間。

前者は昭和63(1988)年の乗車で、既に門司方面や八幡方面への路線は廃止されてしまっていましたが、それでもこの区間は乗ることができました。

後者は平成13(2001)年の乗車で、西鉄全路線完乗の地となったものでした(同時に、関東以外の大手私鉄で初めての完乗達成となった)。しかしまさか、その6年後に完乗の地がなくなるとは、当時は夢にも思いませんでした。

 

こうしてみると、結構あるものです。

廃線になったのは残念至極ではありますが、今から乗ろうと思っても絶対に乗ることのできない路線に乗れたのだから、それはよかったのかと思います。

 

「花に嵐の例えもあるさ さよならだけが人生だ」

 

これは別に人に対するものだけではないようです。


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