冒頭の写真は、「週刊文春」最新号の中吊り広告です。隣は女性雑誌「an・an」。
インターネット及びそれを閲覧できるスマートフォンなどのモバイル機器の急激な普及により、雑誌の売上げは長期にわたって低落傾向にありますが、このたび「2大週刊誌」ともいわれる「週刊文春」が、電車の中吊り広告の出稿を取り止めることになりました。
そして取り止めるのは「週刊文春」だけではなく、「週刊新潮」も追って取り止めるということです。
以下はこのニュースのソースです。少々長くなりますが、全文を引用します。
週刊文春、週刊新潮が中づり広告終了へ 2021/8/17 19:58
「週刊文春」と「週刊新潮」の編集部は17日、電車内の中づり広告を終了することを明らかにした。文春は8月26日発売号、新潮は9月末が最後となる。両誌は今後、デジタル事業の強化を図る。かつては通勤や通学の電車内で目を引く存在だった週刊誌の中づり広告だが、各誌がインターネットに力を入れる中、その存在感は薄まっている。
週刊文春は現在、東京メトロの丸ノ内線、日比谷線など5路線で計1700枚、大阪メトロで計1500枚の中づり広告を掲載。週刊新潮は東京メトロのみに出している。
中づり広告をやめる理由の1つとして、週刊文春編集部は、誌面の校了直前に取れたスクープのタイトルを締め切りの早い中づりには反映できないなど、雑誌制作の制約となるケースが増えていたことを挙げる。週刊新潮は、駅売店やスマートフォンの普及に伴い、「電車内で広告を見て、関心を持った人が雑誌を買うという購買モデルの効果が薄れてきた」と説明した。
週刊文春は今後、宣伝費を同誌の電子版に投入し、強化していく方針。同誌の加藤晃彦編集長は「中づりは、週刊誌の象徴とも言うべき存在で、終了は寂しい思いがある。ただ、ニュースのスピードが速まる中、スクープを掲げる『週刊文春』にとって、デジタルの世界で挑戦していくことはチャンスでもある」とコメントしている。
週刊新潮編集部は、中づり広告の終了で浮いた「余剰の資源」を「取材活動や雑誌づくりにいかすとともに、デジタル戦略として小社展開のニュースサイト『デイリー新潮』の内容増強や宣伝にも活用していきたい」としている。
(産経ニュースより。赤字は管理人)
両者とも中吊り広告を取り止めるのは同じでありながら、その理由が異なるのが興味深いところです。「週刊文春」編集部は、中吊り広告とスクープ記事とのタイムラグの問題を取り上げているのに対し、「週刊新潮」のそれは、インターネット、というよりスマートフォンの普及による購買モデルの崩壊を正面から認めています。
確かに、インターネットの出現により、雑誌はその生命線である「速報性」を失って久しくなっています。この問題は以前に鉄道趣味誌を題材に論じたことがありますが、時事問題を扱う週刊誌であれば、情報の遅さや広告出稿と実際の出版との間のタイムラグは、まさに致命傷となってしまいます。主要週刊誌で最初に中吊り広告の出稿を取り止めたのは「週刊ポスト」でしたが(平成28(2016)年に取り止め)、このとき「週刊ポスト」編集部は、その理由として「本誌の主な購買者層が定年退職する年齢に達し、電車など公共交通機関を利用しなくなるため、広告としての宣伝効果が見込めなくなった」としていたように記憶しています。つまり購買者層が高くなりすぎたから中吊り広告の効果がなくなったという、ある意味では「身も蓋もない」理由ですが、同誌が主要購買層として想定しているシニア層にも、スマートフォンなどはかなり普及してきていますので、中吊り広告を止めたことは正しかったように思われます。
ちなみに「週刊ポスト」に続いて「週刊現代」も中吊り広告の出稿を取り止めていますから、今回「文春」「新潮」が取り止めると、4大週刊誌全てで中吊り広告がなくなることになります。
かつて管理人が学生のころ、そこまで遡らずともインターネットをPCで見るしかなかった2000年代までは、新聞や雑誌はそれなりに売れていました。それが一変するのが、スマートフォンの普及。あれによって、世界中の情報に瞬時にアクセスできるようになりました。これでは、雑誌は到底かなうものではありません。
昭和のころの電車・バスの車内風景を見ると、多くの人が新聞、雑誌、文庫本に目をやっています。今はそれがスマートフォンやタブレット端末に変わりました。要するにやっていることは同じなのですが、道具(デバイス)が変わったということです。
今後、週刊誌は生き残ることができるのでしょうか。
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