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5800.「58」列伝

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ブログナンバー5800を記念し、「58」列伝と参ります。

「58」「ゴハチ」といって真っ先に頭に浮かぶのは、電気機関車のEF58ではないかと思います。それと、国鉄~JRでの「58」を語る上で外せないのが、気動車のキハ58系と、蒸気機関車のC58。よって、当記事ではこれら3つの「58」を取り上げることにいたします。
勿論、客車や電車(旧型国電)にも「58」はありますが(マイテ58など)、きりがないので取り上げません。悪しからずご了承ください。

それでは参りましょう。
 

【EF58】

 

 

実車の写真がありませんので、模型の写真でご容赦を。

EF58は、当ブログをご覧の各位にはもはや説明の必要がないほど、国鉄時代からJR発足後に至るまで、絶大な人気を誇っていた電気機関車。
機関車としてのEF58は、昭和21(1946)年にまず31両が登場、その後昭和27(1952)年から改良型が量産され、全部で172両が登場した(32~34号機が欠番となっているため、ラストナンバーは172ではなく175)。
初期型はいかにも戦前型を引き継いだような、茶色の車体にデッキ付きの風貌だったが、改良型は同じ茶色のボディでありながら、デッキ無し・正面2枚窓の流線型という、洗練された風貌で現れた。勿論、初期型も後に車体を載せ替えて仕様を統一している。もっとも、上越線に投入されたものは、トンネル内のツララによる正面窓の破損防止のため正面窓上に庇を設け、これが日除けとしても有用だったことから、後に東海道・山陽などに転用された後も撤去されなかったもの、上越線での運用がなかったのに庇が取り付けられたものがある。その他、正面窓が大きいか小さいか、正面窓のガラスがHゴム支持かそうでないかなど、形態としてはかなりのバリエーションがある。
EF58は、生粋の旅客機として製造された経緯もあり、高速運転時の性能には定評があったため、特急列車の牽引機を多く務めている。151系電車に置き換えられる前の「つばめ」「はと」は勿論、初の夜行特急「あさかぜ」、東北初の夜行特急「はくつる」の牽引機も務めた。特急牽引の機会は昭和40年代初頭にEF60 500に譲って一旦は消滅したものの、昭和47(1972)年10月2日のダイヤ改正で、関西発着の一部のブルトレ牽引にEF58が抜擢され、再度特急牽引機に返り咲く。
車体色は、登場当時は茶色、その後東海道線全線電化を記念した特急「つばめ」「はと」用の「青大将塗装」、車体をダークブルーに塗り込めた「夜行特急塗装」といったバリエーションがあった。末期は旧型機でありながら、EF60以降の新型直流機と同じ、インディゴブルー(青15号)と正面警戒色のクリーム(クリーム1号)の塗分けとなっていた。
これらの例外となっていたのが、「お召機」60・61号機。この2機は、退役まで茶色の車体色を保っている(61号は『ため色』という独自調合の色)。この2機の特色は、同型の罐から状態の良いものを選び出してお召機に指定するという従来の慣例を破り、当初から「お召機」として製造されたこと。60号が予備機、61号が本務機とされていたが、新幹線開業などにより在来線直流区間でのお召列車の牽引機会が減少した関係で、60号機は国鉄時代に早々に退役、61号機がJR東日本にも承継されて生き延びた。現在61号機は車籍こそ残存しているものの、本線走行は不能な状況となっている。
EF58は客車列車の減少とともに勢力を縮小していった。まず昭和55(1980)年に特急牽引仕業がなくなり、同じ年に上越線からもEF64 1000に置き換えられ撤退。さらにその4年後、東海道・山陽の荷物列車もEF62に置き換えられた。最後に残った紀勢線でも昭和61(1986)年に客車列車が廃止。これによりEF58の定期運用がなくなった。
JRには前述の61号機の他にも、東日本・東海・西日本の3社に承継されたが、いずれも「準動態保存機」としての扱いであり、定期運用はなかった。いずれも平成13(2001)年ころまでに退役。現在は鉄道博物館、リニア・鉄道館、京都鉄道博物館などで保存され、その流麗な姿を今にとどめている。

【キハ58(系)】

 

 

こちらも実車の写真がなく模型で失礼。

キハ58(系)は、国鉄の急行形気動車というだけではなく、国鉄車両のベストセラー。「キハ58系」というとき、北海道用のキハ56系・横軽対策を施したキハ57系を含むか含まないかという問題があるが、ここでは含まない「狭義のキハ58系」として取り上げる。富士急行でも急行「アルプス」などへの併結の便宜のため、同型車を3両導入した。
当時既に準急用キハ55系があり、一部が急行に使用されていたが、接客設備が急行用としては不十分だったこと(特に1等車がリクライニングシートではなかったこと)に鑑み、急行用として真にふさわしい車両を作ろうとしたもの。
1000両を超える車両が製造され、北海道以外の全国に足跡を残した。しかし1970年代から主要幹線の電化の進展や相対的な性能の低下(列車密度が高くなるとキハ58系がダイヤ構成上の足枷になってしまうこと。特に電化区間では顕著だった)、さらに急行の特急格上げ政策などにより、昭和50(1975)年3月には中央東線「アルプス」及び房総半島から撤退、その7年後の11月には東北本線「いいで」「おが」廃止により東北本線の現宇都宮線区間から撤退、最後に残った常磐線「ときわ」「奥久慈」も昭和60(1985)年3月に撤退、これにより東京都内を発着する気動車急行が消滅した。その後、東北地区でも高速バスの攻勢に晒さるなどの要因で急行列車が減少、特に「多層建て列車」はJR発足前までに壊滅している。
これらにより、キハ58系は普通列車用に転用されたり、ジョイフルトレインの改造種車として活用されたりするようになった。昭和62(1987)年4月のJR発足に際しては、ジョイフルトレインとして改造されたものも含め、多くの車両が北海道以外のJR各社に承継された。しかしそこでも、新系列気動車の台頭などにより徐々に勢力を縮小し、JR東海で平成13(2001)年に退役したのを皮切りに、続々と退役・廃車に追い込まれている。本来の任務である急行運用も、平成19(2007)年に「みよし」(広島-三次)廃止により消滅。最後に残ったJR東日本所属車も平成30(2018)年に運用を離脱、2年後に廃車。これによりJRからキハ58系が消滅した。
現在はいすみ鉄道で余生を送るものがあるほか、海外に譲渡された車もある。

【C58】
 

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やっと実車の写真が出てきた(^_^;)

亜幹線用の貨客両用機として確固たる地位を築いた、国有鉄道蒸気機関車の傑作。昭和13(1938)年から戦時中の中断を挟み、昭和22(1947)年までの間に431両が製造され(内地の国有鉄道向けのみの両数)、北海道・四国を含む全国で使用された。
特急牽引の実績はなく(迂回運転を除く)派手な運用はないが、北海道では夜行「大雪」くずれの普通列車を北見-網走間で牽引する運用があった。普通列車とはいえ、急行編成の先頭に立つその姿は、「SLブーム」末期に愛好家に注目され、多くの作品が残されている。
現在は2両が動態保存されていて(239号と363号)、前者は岩手地区で「SL銀河」の牽引機として、後者は秩父鉄道籍となり同社路線で「パレオエクスプレス」を牽引している。以前は1号も動態保存されていて、「SLやまぐち号」の牽引機としてC57 1の代わりに先頭に立つこともあったが、国鉄時代末期から本線走行はなくなり、事実上の静態保存となってしまった。

以上、駆け足ですが「58」列伝でございます。
それぞれにドラマの多い車両であり、どの車両・系列も、語り尽くすには恐らく連載にして1年あっても足りないくらいの情報量があると思われますが、きりがないので上澄みだけ掬っております。「あの話が抜けてるじゃねえか!」というご批判は甘んじてお受けいたします。

皆様のお好きな「58」はどれですか?
 

【おことわり】

当記事で掲載している写真は、全て以前の記事からの転載です。


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