鶴岡駅から湯野浜温泉行きのバスに乗って訪れたのは、善宝寺(お寺の正式名称は『善寳寺』らしい)にあった鉄道記念館跡でした。
「善宝寺鉄道記念館」は、昭和50(1975)年の庄内交通湯野浜線廃止を惜しみ、当時の資料を保存し鉄道資料館として旧善宝寺駅跡に開設したのですが、訪問者数減が祟って数年前に閉鎖され、現在は建物しか残っていません。しかし、一緒に保存されていた湯野浜線の車両はそのまま残っています。
鉄道記念館跡の前は公園というか広場になっていて、立派な門柱があります。
立派な門柱
全景はこんな感じ。
お寺の建物を模した駅舎だったようだ
この駅の湯野浜温泉寄り(上の写真の左側)には大きな駐車場があり、鶴岡駅寄り(同右側)には土産物店が並ぶなど、地元の名刹・善宝寺が大きな観光資源として機能していたことを伺わせます。ただ、この日(12月21日)は参拝者がおらず、2軒の土産物店も開店休業の体でしたが。
そして、元駅舎から改札口だったところを見て撮影したのがこの写真。
車両は健在(実況中継記事から転載)
もちろん現在はここは立入禁止になっていて、これ以上は近寄れなかったため、これが限界ですが(写真は立入禁止エリア外から撮影しています)、車両の状態があまり良くないように見えるのが気がかりでした。管理人の記憶に間違いがなければ、確かこの車両は旧京王帝都の小型車であり、このグループの車両で現存するものは「京王れーるランド」の2401号だけであることから、貴重な車両であることは疑いないのですが…。
駅名の由来となった善宝寺は、駅のすぐ正面、電車を降りた乗客が真正面に見えていました。
あくまで静か
管理人も参拝しましたが、他に参拝者もなく、凛とした静寂があたりを包んでいたのが印象的でした。聞こえてくる音といえば、管理人自身の足音と時折通る車の走行音の他は、お寺のお堂の屋根から雪が落ちる「ザーーーーッ」という音だけ。これらの音が、周囲の静けさをさらに強調させていました。
では、湯野浜線の痕跡がどこかにないか? 周囲を探してみました。
まずは鶴岡方から。
ホームの様子はわからない
この高くなっている場所はホームだったはずなんですが、木が生い茂っていて中の様子は分かりませんでした。
上の写真を撮った場所から、鶴岡駅の方を向いて一発。
道路になっている
痕跡らしきものは残っていないようです。
反対側の湯野浜温泉方に回ってみましょう。
こちらも植え込みが邪魔をする
正面の架線柱やホーム上屋は、現役時代のものではないかと思われるのですが、これ以上近づけないのが残念です。
思ったこと。
路線廃止後40年近く経過していますから、そりゃ痕跡が残っていないのも当たり前ですよね。それと、もったいないと思ったのは鉄道記念館の中にあるであろう各種資料です。これらの資料は、恐らくは湯野浜線の歴史にとどまらず、郷土史を研究するにあたっても第一級の資料であることは容易に想像できます。このような資料が散逸してしまうおそれはないのか、そのことが気がかりです。できれば市の博物館か庄内交通の会社で保存できないものかと思いますが、費用負担の問題がありそうですね。この問題はこのくらいにしておきます。
ちなみに、今回の記事のタイトルの元ネタは → こちら
このあとは、湯野浜温泉訪問は断念し、鶴岡市中心部に戻って市内を観光することにしました。
そしてそれが終わってから鶴岡駅前のホテルにチェックイン、鶴岡駅17時54分発の列車に余目まで乗車してJR全線(暫定)完乗を達成したのは、以前の記事のとおりです。
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