武庫川駅からは、武庫川線の廃線跡を探索することにします。
実は、武庫川線は今でこそ武庫川団地の居住者の足となっていますが、もともとの建設の目的は、同じ場所にあった軍需工場への物資・従業員輸送。従業員輸送は阪神が電車を運転することで担いましたが、物資輸送は国鉄線から線路を引き入れて行っていました。そのため、洲先までは標準軌と狭軌の3線軌となっていました。3線軌はかなり後年まで残っていたようですが、現在は勿論取り払われてしまっていて、現武庫川線区間ではその面影を偲ぶことはできなくなっています。
では、廃線跡の方角へ歩きましょう。
この写真で、線路が伸びている方に向かって歩いていく(以前の記事から転載)
↑の写真の踏切の部分から見たのがこちら↓
留置中の車両
線路沿いに歩いていきますが(↑の写真の左側へ)、実はこの先にも線路や架線は残っています。車両の留置には長すぎるとも思いますが、まさか復活させるとも思えません。復活させるには中途半端な距離ですし。
↑の写真から進んだ場所で撮影したのがこちらの写真。1枚目は武庫川駅、2枚目は甲子園口駅の方角を望んだものです。1枚目には留置中の車両が写っているのでわかりますよね。あえてこれら写真はノーキャプションとします。
線路が錆びておらず、輝きを放っているのがお分かりいただけるでしょうか? これは、列車が通過している証拠。線路が「生きている」証拠でもあります。
しかし、一体何のために、ここまで長く伸ばしているんですかね?
踏切も生きているようだ
これは上の2枚の写真を撮った踏切なのですが、この踏切もきちんと生きているようですね。
さらに進んでいくと、武庫川橋へとつながる陸橋をアンダーパスする部分にぶつかります。
明らかに鉄道線路をまたいでいた
このアンダーパスの手前で、線路は途切れています。
この写真を撮影した位置で、回れ右して撮影したのがこちらの写真↓
ここで途切れていた
線路は、ここからさらに武庫川大橋(国道2号線・阪神国道線との結節点)、さらに甲子園口へと伸びていたのですが、この先には線路があったことを偲ばせるものは、ほとんど残っていません。僅かに、緩やかにカーブを描いた道路の形状がそれらしく見えるのみです。
かつてここを、SLに牽かれた貨物列車が走っていた。
そのことは、現在の様子からは到底想像はできませんが、そういう歴史的事実があったことは、しっかり記憶しておきたいと思います。
このあと、管理人は武庫川駅に戻り、尼崎・梅田の両駅で阪神電車を撮影します。「赤胴車」塗装で残る8000系が来ないかと思ったのですが、留置線に引っ込んだままでしたorz
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2753.武庫川線の「知られざる歴史」に触れる~国鉄とつながっていた面影を探して
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