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4367.路地裏の超特急~京急「快特」物語 その4 600形の冷房改造にまつわるあれこれ

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その3(№4357.)から続く

今回は、600形(Ⅱ)の更新・冷房改造について取り上げます。
600形(Ⅱ・以下省略)に関しては、「快速特急」運転開始前後において、既に一部車両の運転台を撤去し中間車化する改造が施されていました。同時に車号を700番代から600番代に改め、東急車輛製と川崎車輛製で異なっていた車号を連番に改め、合わせて4連化を前提とした車号に改められています。しかし実際には、中間車を組み替えて6連固定が作られたり、その関係で2連固定が作られたりするなど、編成両数と車号の関係は一致していませんでした。しかし、そのような中でも、東急車輛製と川崎車輛製の車両は機器構成が異なるためか、編成内ではできるだけ統一する扱いがなされていたようです。

さて、本題の更新・冷房改造についてですが、昭和40年代になると、通勤ラッシュの激化とともに、通勤車両の冷房化が検討されるようになってきました。どの事業者も、扉の数が多く開閉頻度も高い通勤車を冷房化するのは現実的ではないという理由で、通勤車の冷房化には消極的でした。大手私鉄において、特別料金の要らない一般列車用の車両が初めて冷房化されたのは、昭和34(1959)年の名鉄の5500系が戦後初ですが、あれも2扉転換クロスシートという仕様だからこそ、冷房化に踏み切れたという面があります。
しかし、昭和43(1968)年、京王が初めて通勤車の冷房車を世に出すと、国鉄をはじめ他事業者も追随するようになります。京急でも当時通勤車の主力として大量投入していた1000形(Ⅰ)について、昭和46(1971)年のロット以降、当初から冷房を搭載して就役するようになりました(京急初の新製冷房車。車号は1243~)。
そしてライバルの国鉄横須賀線では、「通勤五方面作戦」が策定され、その中で東京-大船間の分離と総武快速線との一体化が計画されていました。その計画に基づき、昭和47(1972)年から113系1000番代冷房車の投入を開始し、横須賀線の車両が全て入れ替えられました。
そこで京急は、車両の冷房化、中でもフラッグシップであった600形の冷房改造を計画、更新と合わせて施行することにしました。

600形の冷房改造は昭和46(1971)年から翌年にかけて行われましたが、非冷房のままだった車両の冷房改造計画も絡んでいることから、各種の装置・方式を比較検討すべく、以下の3種の方法での改造がなされました。
それにしても、2扉クロスシート車でありながら、冷房改造の「実験台」にされたという600形の境遇は、同じころに冷房改造された、阪急の2800系にも通じるものがあるような気がします。

① 屋上に集中型装置を1基搭載
② 屋上に分散型装置を4基搭載
③ 床下に集中型装置を1基搭載

勿論これらには一長一短あります。

① 【長所】屋根上の面積が少なくて済みパンタグラフ搭載車両には好適

  【短所】装置の重量が嵩むため屋根部分の補強工事が必要になる
② 【長所】1基当たりの装置重量はそれほどでもないため屋根にかける負荷を分散できる

  【短所】屋根上の面積を多くとるためパンタグラフ搭載車両には不適
③ 【長所】屋根上に装置を載せなくてよいため屋根部分の補強工事が不要

  【短所】床下機器の多い車両には使えない

これら3種のうち、③の方式で改造されたのは630・632と638・640の4両のみであり、いずれもパンタグラフ非搭載車両です(632と640は先頭車)。その他の車両は、パンタグラフ搭載車両は①の方式、非搭載車両は②の方式での改造がなされました。屋上に集中型装置を搭載する①の方式は、屋根部分の補強工事が必要になるため、パンタグラフ搭載車両に限られるようになったものと思われます。実際、①の方式での搭載は、600形(Ⅱ)改造後は新造投入車のみとされ、その後の1000形(Ⅰ)や700形(Ⅱ)の冷房改造に際しても、②の屋上分散型装置の採用がなされました。
それでは4両だけが登場した③はどうだったのかと思いますが、乗客の評判は、率直に言って芳しいものではありませんでした。冷房装置が床下装備の場合、車内に冷風を導くダクトを通す必要があり、そこがデッドスペースになってしまいますが、600形の場合そのダクトが窓側の床に通されており、クロスシート窓側に着席した乗客の足元が窮屈になり、この席の居住性に難があることが問題になりました。しかしそれ以上に問題になったのは、冷風の吹き出し口。冷風の吹き出し口が、クロスシート部分だと乗客の膝の部分、ロングシート部分だと乗客の首筋の部分となり、これらの部分が冷え過ぎてしまうことで、多くの乗客に不評だったようです。その他にも、この方式では、そもそも機器の冷暖房能力が他の方式に比べて劣っていた(この方式で搭載した機器は、ヒートポンプ式の冷暖両用だった)ことも致命的だったようで、そのためかどうか、以後の京急では、床下冷房の車はこの4両以外に現在まで登場していません。

その他の更新のメニューは、内装を寒色系主体のものに統一したこと、側窓・妻窓の下段を固定化し上段のみを開閉できる仕様に変更したこと、正面の行先表示をサボから方向幕に移行するためサボをかけるフックの撤去(ただしそれ以前に方向幕設置は行われていた)、方向幕の移設などです。

さて、これで今度こそ、600形が京急のフラッグシップとして押しも押されもせぬ地位を得た…と思ったら、そうは問屋が卸さなかったようです。
冷房改造完成の当初こそ、600形を「快速特急」に優先的に充当するなどの心配りはなされていたようなのですが、当時の朝ラッシュ時の凄まじい混雑の前には、2扉クロスシート車で乗降性に難のある600形よりは、3扉ロングシートの1000形(Ⅰ)の方が、会社にとっては使いやすい車両であることは否めませんでした。
その傾向は1000形(Ⅰ)の新造・改造冷房車が増えるとより顕著になり、しかも600形は1000形(Ⅰ)より加減速性能に劣るため、列車密度が高まると使いにくさは増してしまいました。
それでも600形の格下げ改造は行われず、2扉クロスシートを堅持したまま、京急のフラッグシップとしての地位を保ったまま、昭和50年代に入ってもなお活躍を続けました。

しかし、昭和57(1982)年、600形に遂に後継者(車)が登場します。その車両の登場は、最優等列車でありながらクロスシート車の充当率が低い状況を打破し、「快速特急」を名実ともに京急の看板列車に据えることを可能とするものでした。
次回はその車両を…と言いたいところですが、これを取り上げるのは次々回とし、次回は「快速特急のスピードを通勤時間帯にも」というコンセプトで運転が開始された「通勤快特」の登場の経緯について取り上げます。

-その5に続く-


4368.【人形町と水天宮前】東京メトロ・東京都交通局、乗換駅を追加認定へ【築地と新富町】

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東京メトロの中期経営計画の中では言及されていたのですが、その実施の時期が決まりました。来る3月17日(土)から、人形町・水天宮前と築地・新富町が、乗換駅として認定されることになります。

 

3月17日(土)から新たな乗換駅の設定を開始します 人形町駅(東京メトロ・都営交通)⇔水天宮前駅、築地駅⇔新富町駅 (東京メトロ公式

平成30年3月17日(土)から新たな乗換駅の設定を開始します (東京都交通局公式

 

詳細は上記各プレスリリース及び添付のPDFファイルをご覧いただきたいのですが、いずれも一番近い出入口が150mほどなので、地上連絡ではありながらも、これまでなぜ乗換駅の扱いがなされないのか、不思議に思われていました。なので、今回は乗換駅に認定し、利用者の便宜を図ろうということなのでしょう。

 

管理人は、東京メトロの中期経営計画が発表された後、半蔵門線水天宮前→日比谷線人形町の乗り換えを実際にやってみたことがあります。そのときの写真を交えながら、どのような位置関係にあるのか検証してみたいと思います。

なお、写真は一昨年5月29日に撮影いたしました。

両者の位置関係はこちらの地図のとおりになっています↓

 

 

 

 

 

こちらは、水天宮前駅に掲示されていた地図。

 

DVC00664.jpg

7番又は8番出口を出る

 

人形町駅、それも日比谷線の出入口が至近にあることが分かります。

そこで管理人は、7番出口から出て…。

 

DVC00657.jpg

この先が出口

 

この通路の先を右に行くと7番出口、左に行くと8番出口になります。

 

これが7番出口です。

 

DVC00665.jpg

真後ろは水天宮

 

この出入口の真後ろには、駅名の由来になった水天宮が鎮座しています。

ちなみに、水天宮前駅は、半蔵門線の計画当時は「蛎殻町」と仮称されていました。これは、現水天宮前駅の所在地が東京都中央区日本橋蛎殻町だからですが、やはり「蛎」(かき)の字に馴染みがないからなのか、「水天宮前」となりました。半蔵門線に乗り入れて来る東急田園都市線の電車は、この駅が開業した平成2(1990)年から押上延伸が成った平成15(2003)年までの13年間、「水天宮前」の行先を掲げて走っていたものです。

 

そして、地上の道路を歩きますと…。

 

DVC00666.jpg

車道を歩いたわけではありませんw

 

この道は両側とも歩道が完備されていますので、そちらを歩きましょう。

そして水天宮前駅7番出口を出て↑の道をまっすぐ歩くと、日比谷線人形町駅1番出口にたどり着きます。

 

DVC00667.jpg

実はここは…。

 

実はここを入って改札を通ると、日比谷線の中目黒寄りのホームに出ます。人形町駅で日比谷線と都営浅草線がつながっているのは日比谷線の北千住寄りなので、そのままでは半蔵門線と都営浅草線相互の乗り換えはできません。そこでどうするのかというと、何と、「日比谷線の改札を経由して」乗り換えるように案内されています(上記各リンク先)。

となれば、この写真の「都営浅草線ご利用のお客様は~」の一文は、間違いなく書き直されるのでしょうね。あるいは、「半蔵門線から都営浅草線へお乗り換えのお客様は一旦こちらの改札をお通りください」と書き足されるか。

 

築地と新富町相互間に関しては、上記各リンク先をご参照ください(^_^;) こちらも、地上を150mほど歩いた乗り換えとなります。

 

これまでこれらの各駅が乗換駅として認定されてこなかったのは、恐らくですが地上連絡しかなかったからだろうと思われます。しかし、地上連絡しかないとはいえ、やはり乗り換えの選択肢が多いことは乗客の利便性にとってプラスであることは間違いなく、今回の両事業者の判断は、そのことを率直に認めた結果であろうといえます。

なお、この乗換駅認定により、半蔵門線は、他の東京の地下鉄路線全てと乗り換えが可能な路線ということになりました。

 

管理人としては、新橋・内幸町(銀座線と都営三田線)と上野御徒町・湯島(都営大江戸線と千代田線)も乗換駅に認定して欲しいと思うのですが、こちらは何故認定しないんですかね?

4369.【2020系と6020系】東急、3.30にダイヤ改正を実施【満を持してデビューか】

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小田急や京王ほどの規模ではないものの、東急でも3月30日からダイヤ改正を行うことになりました。ただし、改正を行うのは田園都市線、大井町線、目黒線、池上線、東急多摩川線の5路線であり、東横線と世田谷線は対象外となっています。

 

3月30日(金)、田園都市線・大井町線など東急線5路線でダイヤ改正を実施~列車の増発や運転区間の延長などにより、混雑緩和を図ります~

東急電鉄公式より。PDFファイル注意)

 

詳細は上記リンクをクリックしてご覧いただきたいのですが、特に田園都市線と大井町線の混雑緩和策に重点が置かれたという印象になっています。

以下上記リンク先より引用

 

田園都市線:朝ラッシュピーク前の急行列車増発によるオフピーク通勤・通学の推進、混雑の平準化
渋谷着7時台の上り急行列車2本を増発
朝ピーク時間帯と同様の列車本数を7時前から9時過ぎまでの2時間半に渡り運転し、オフピーク通勤を促進します。

 

朝のピーク時間帯よりやや早い時間帯の列車を増発することで、オフピーク通勤を促し、それによって混雑緩和を図ろうというものです。

ということは、いよいよこの車両が営業運転を開始するということなんでしょうか。

 

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満を持して投入?

 

今年度(平成29年度)には2020系の投入は3編成行われますが、この3編成の投入は単純な増発用という説があり、もしそうなら同系はダイヤ改正から投入されることになるのでしょう。

 

そして今回の改正での最大の目玉と思われるのが、大井町線。こちらも上記リンク先から該当箇所を引用します。

 

大井町線:朝ラッシュ時間帯の急行列車の増発と、急行で使用する列車全編成の7両化による輸送力の大幅アップ
朝ラッシュ時間帯、溝の口発の急行列車を1本増発し、各駅停車1本を急行列車に変更。
朝の急行列車は12分間隔から約9分間隔に、平均運転間隔を約3分間短縮します。
朝ラッシュ時間帯の「急行に抜かれない各駅停車」は混雑率が特に高くなる傾向があるため、これを無くした運転
パターンにすることで、混雑の平準化を図ります。

 

急行運転開始当初から混雑が激しい大井町線の混雑緩和対策に、本腰が入ることになりました。

6000系6本に加え、6020系2本を投入して、急行編成を8本に増やしたのはこのためだったのですね。しかも以前の6連ではなく、1両多い7連ですから、輸送力は大幅に増強されることになります。

 

180107_141742_ed.jpg

こちらもダイヤ改正から

 

朝ラッシュ時の急行を増発することは、大井町まで急行に抜かれずに走る各停をなくし、混雑を平準化する狙いがありますが、これは「遠近分離」の一環といえます。

しかしこうなると、等々力に通過線を作らなかったのは残念というほかはありません。上りは上野毛に通過線があるのでまだいいですが、下りは旗の台でしか追い抜きができませんから。そういえば等々力付近の地下化計画、あれどうなったんでしょうね?

やはり、大井町線の抜本的な輸送力増強のためには、自由が丘駅の地下化・2面4線化しかないような気がしますが…。

 

その他の3路線でも、混雑の平準化が志向されています。例えば目黒線では、三田線直通と南北線直通が続かないようにダイヤを修正するとのことですし、池上線でも雪が谷大塚-蒲田間の増発が、東急多摩川線でも朝8時台に1本の増発が、それぞれ決定しています。

 

今回の東急のダイヤ改正は、改正の規模よりも、新型車両の動向に注目したいところです。

 

※ 当記事で使用している写真は、全て以前の記事からの転載です。

4370.降りたことがある駅(京成本線・東成田・芝山鉄道編)

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ネタが払底しましたので、必殺のヒマネタ「降りたことがある駅」を投下します。

今回は、関東大手私鉄で唯一残った京成編。今回は本線・芝山鉄道線編とし、次回に成田スカイアクセス線・押上線・千葉線・金町線を取り上げようと思います。

 

なお、「降りたことがある駅」の基準は、これまでの同名の記事と同様、

 

〇=下車して駅の構外に出たことがある。他路線の列車あるいはバス・タクシーなど他の手段で訪問した場合を含まない。

△=下車したことがあるが、駅の構外から出ていないか、出ていても運賃精算のために改札を通っただけ。

×=下車したことがない

 

ということです。

それでは参りましょう。

 

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【京成本線編】

京成上野 〇
博物館動物園 ×(※)
日暮里 〇
新三河島 〇
町屋 〇
千住大橋 ×
京成関屋 〇
堀切菖蒲園 ×
お花茶屋 〇
青砥 〇
京成高砂 △
京成小岩 ×
江戸川 ×
国府台 ×
市川真間 ×
菅野 ×
京成八幡 〇
鬼越 ×
京成中山 ×
東中山 ×
京成西船 ×
海神 ×
京成船橋 〇
大神宮下 ×
船橋競馬場 ×
谷津 ×
京成津田沼 〇
京成大久保 ×
実籾 ×
八千代台 ×
京成大和田 ×
勝田台 〇
志津 〇
ユーカリが丘 〇
京成臼井 〇
京成佐倉 ×
大佐倉 〇
京成酒々井 ×
宗吾参道 〇
公津の杜 ×
京成成田 〇
空港第2ビル 〇
成田空港 〇

※=博物館動物園駅は下車したことがないが、上野公園を歩いて同駅から上野行きの電車に乗ったことはある。

うーん(^_^;)

路線両端で「降りたことがある駅」の密度が濃くなっています。千葉県の市川・船橋・習志野の3市内はそれほど多くなっていません。勝田台周辺が多いのは、母方の伯父とその親戚が住んでいたからです。また京成高砂が△なのは、金町線との乗り換えで下車しているからという理由に過ぎません。

 

ところで、京成本線で強烈に印象に残っているのが、10年以上前に取り上げた大佐倉駅

 

070922_162500_ed.jpg

周囲には何もない

 

今や、こんなところ(失礼)に20分に1回、成田空港と都心を結ぶ特急が停車しますから、世の中というものは分かりません。

【東成田・芝山鉄道編】
東成田 〇
芝山千代田 〇

 

090920_135500.jpg

かつての栄耀栄華は見る影もない

 

東成田駅といえば、初代成田空港駅として、昭和53(1978)年から13年間、日本の空の玄関へのアクセス駅として機能してきました。それが平成3(1991)年の現成田空港駅の開業に伴い、東成田と改称してこちらはローカル線に転落、その後芝山鉄道との相互直通運転がなされるようになって、事実上の中間駅へと変貌しています。

現在は30~40分ごとに短編成の列車が発着するだけで、静かな駅になっています。空港関係者や施設職員の利用はあるそうなのですが。

 

そして芝山千代田駅。

 

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高架の棒線駅

 

この写真は今から9年前の撮影ですが、この売店って残っているんでしょうか(^_^;)
しかし今では、芝山千代田駅には東京駅からの高速バスが達していますから、定時性はともかく快適性も都心部へのアクセスもバスの方が上。そのような中で、ローカル需要以外を掴み切れていないように見える芝山鉄道は、今後どうするのでしょうか? あるいは、九十九里方面への路線延伸に活路を見出すのか。

 

これで京成本線・東成田・芝山鉄道編は終了。次回は残りの路線を取り上げます。
 

※ 当記事で使用している写真は、全て以前の記事からの転載です。

 

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4371.降りたことがある駅(成田スカイアクセス線・京成支線編)

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それでは後編をいってみようと思います。

今回は、前回扱わなかった京成の支線を取り上げますが、成田スカイアクセス線に関しては、「アクセス特急」が停車する駅だけを対象とします。

なお、〇・△・×といった記号の意味は、前回と同じです。

 

【成田スカイアクセス線】

 

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東松戸 ×
新鎌ヶ谷 〇
千葉ニュータウン中央 ×
印旛日本医大 ×
成田湯川 〇

 

何故か「アクセス特急」の写真が京急車である点はご容赦を(^_^;)

この区間は京成と北総との関係が複雑で、成田湯川だけが正真正銘の京成の駅なのですよ。しかし、他の4駅も京成の「アクセス特急」が停車することから、停車駅だけを今回の記事の範疇に加えています。
この区間で降りたことがあるのは、新鎌ヶ谷と成田湯川だけ。成田湯川は、スカイアクセス開業直後に視察に訪れたことがあります(当時の記事は こちら)。

【金町線】


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柴又 〇
京成金町 〇

 

金町線が京成高砂駅地上ホームから発着しているのも、すっかり過去のことになりました。あわせて、当時走っていた3300形・3500形未更新車はいずれも退役し、現在は3500形更新車のみが走っています。

金町線は成田スカイアクセス線開業を機に、新設された高架ホームに移され、そこで発着するように改められています。列車の本数は増加し、その意味での利便性は向上しましたが、乗り換えの煩雑さは何とかならないかと(^_^;)

 

【押上線】
 

150912_131612_ed.jpg

 

押上 〇
京成曳舟 〇
八広 ×
四ツ木 〇
京成立石 〇

 

押上線で降りたことがないのは八広だけです。

それにしても、ここ30年で押上線ほど変わった路線もないように思います。八広・四ツ木は荒川橋梁の架け替えに合わせて高架化され、京成曳舟も高架化されて明治通りの踏切がなくなりました。現在、八広-青砥間の高架化工事が進められていますが、奥戸街道の交通量が多いので、是非とも早く完成させてほしいものです。

 

【千葉線・千原線】

 

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京成幕張本郷 ×
京成幕張 ×
検見川 ×
京成稲毛 ×
みどり台 ×
西登戸 ×
新千葉 ×
京成千葉 〇
千葉中央 〇
千葉寺 ×
大森台 ×
学園前 ×
おゆみ野 〇
ちはら台 〇

 

千葉線・千原線にはそれにふさわしい写真が無いのが残念(^_^;) そこで千葉中央行きの新京成車の写真で代替します。

 

実は管理人が京成の路線の中で一番縁遠いのが千葉線と千原線。降りたことがある駅が京成千葉・千葉中央・おゆみ野・ちはら台しかないという惨状です。

実は京成のオリジナルの路線は京成津田沼-千葉中央間だけで、千葉中央-ちはら台間は以前は千葉急行電鉄という別の事業主体でした。それが同社の経営不振に伴って京成に編入され、千葉急行線が現在の千原線となったのですが、運賃が千葉中央を境に加算する形態となっているのは変わっておらず、そのために割高になることからか、利用は振るわないようです。

管理人は10年以上前、仕事上の用事でおゆみ野駅を訪れたことがありますが、この駅前にはコンビニはおろかタクシーすら停車しておらず、電話番号が書かれた電話があるだけでした(^_^;)

 

さて、以上で「降りたことがある駅」シリーズは、何だかんだ言って関東大手私鉄全社+都営地下鉄を網羅してしまいました。

今後は新幹線に走るか、山手線などJRの他の路線に走るか、はたまた関西私鉄に走るか…どうしましょうか(^_^;)

 

※ 当記事で使用している写真は、全て以前の記事からの転載です。

4372.ALPINE RED~赤い1000形との対面

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1月22日の小田急ネタ拾いの番外編です。

 

9年前、小田急はダイヤ改正を行い、箱根湯本直通の急行を廃止、小田原-箱根湯本間のローカル輸送は小田急車によって賄われることになりました。

そのとき、小田急は新松田(一部列車)-小田原-箱根湯本間の各駅停車用として、1000形4連3本を、箱根登山鉄道と姉妹提携しているスイス・レーティッシュ鉄道をイメージしていた、赤色を基調とするカラーリングに変更しました。勿論1000形はステンレス車なので、ラッピングで赤色を纏うようになったということです。

管理人はしばらく現車を見る機会が無かったのですが、去る1月22日、新松田駅を訪れた際、偶然この「赤い1000形」に遭遇することができました。

遭遇したのが夜だったのと、撮影時にフラッシュを一切使用していないので、一部写真が不鮮明なのはご容赦を。

 

まず正面から。

 

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夜のせいか然程の違和感はない

 

以前の記事で、1000形が赤くなるという話題を取り上げた際、「夢に出てきたらうなされるのでは」と酷評したこのカラーリングですが、実車を見てみると、違和感はそれほどでもないような気がします。もっとも、そう思ったのは夜に見たからかもしれませんが。

 

側面の運転台真後ろには、メビウスの輪を図案化した小田急のコーポレートマークが掲げられています。

 

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「ODAKYU GROUP HAKONE-TOZAN RAILWAY」ではない

 

小田急系のバス会社だと、高速車に「ODAKYU GROUP(企業名)」のロゴが入っているものですが、こちらにはそういうものは入っておらず、小田急車と同じマークとロゴが入っています。

 

そしてこちらは側面の表示。

 

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幕のまま

 

変えたのはカラーリングだけで、他の1000形が受けているリニューアルは、今のところは対象外のようです。

 

車内はこちら↓

広告などに箱根登山鉄道独自のものがないか見てみたのですが…。

 

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小田急の一般車と変わらん(´・ω・`)

 

車内を見る限り、小田急プロパーの1000形未更新車と変わるところはありません。広告も他の小田急車と変わりませんし、路線図も同じです。

路線図は案内上の問題があるので同じでもおかしくないのですが、まさか広告類まで変わりないとは。

 

この編成は3本が用意され、新松田-小田原-箱根湯本間の各駅停車の運用にほぼ専従していますが、塒(ねぐら)が海老名の車両基地であるため、深夜に本厚木まで走る運用があるようです。平日ダイヤでいうと下りは本厚木2221発の6837列車、上りは小田原2245発の6822列車と思われます。

いきものがかりの「YELL」のメロディーに見送られて、深夜の本厚木駅を発車していく赤い1000形も、是非見てみたい気がしますが、管理人が実際に見に行ったら、帰るのが「さがみ90号」に乗ったとき以上に大変になりそうです(^_^;)

 

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№843.ベルニナ急行が山を下りてきた

№1570.桜咲く駅物語

4373.こちらはしばらく安泰(?)~川崎市バス塩浜営業所のCNG車

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以前都営バスのCNG車の稼働状況を取り上げた際、東京都交通局ではもはやCNG車が風前の灯火になってしまったことに、管理人は大いに驚いたものです(下記関連記事参照)。

都営バスの他にCNG車を運用している事業者は…と考えたときに、真っ先に浮かんだのが川崎市バス(川崎市交通局)。川崎市バスでは、塩浜営業所にまとまった数のCNG車が配属されていました。

 

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ここでは一大勢力を築いていたCNG車(以前の記事から転載)

 

果たして、川崎市バス塩浜営業所のCNG車はどうなっているのか。そう思って、管理人は今日、仕事が休みなのを幸い、川崎市バスの乗り歩きに出かけました。

そして川崎駅東口の北側にある通称「空島」側を見ると、稼働中のCNG車が!

 

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現役のガスエルガ!

 

都営では風前の灯火となってしまった、いすゞエルガのCNGバージョン「ガスエルガ」が元気に走っている姿を見ることができました。

 

この写真を撮影した後、「川04」に乗り四谷下町へ。塩浜営業所止まりの便なら苦労はしないのですが、塩浜以遠の港湾地区へ達する路線を使って塩浜営業所に行こうとすると、塩浜の1つ手前の四谷下町バス停で下車する必要があります。何故かというと、塩浜バス停だと東海道貨物線を乗り越えてしまうから。

 

というわけでたどり着いた塩浜営業所。

 

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多くの車が休んでいる

 

ここは営業所の敷地の中を公道が通っているので、このような写真が撮影できるわけです。

(したがいまして、当記事で使用している写真は、全て営業所の敷地外かつ立入禁止区域外から撮影しています

 

車の検修スペースを見ると、「CNGノンステップバス」の文字が。

 

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CNG車が検修を受けている!

 

現役で稼働中の車をもう1台。

 

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こちらも現役バリバリ

 

そしてこちらが、前回は撮影しなかったCNGの充填施設。

 

こちらはまだまだ使うのだろうか

 

川崎市バスは、今のところCNG車が現役で稼働しているようですが…。

それでも楽観は許さないと思われます。というのは、CNG車が塩浜だけに集中していること。もう一つの理由は、CNG車の場合、充填施設の経年劣化だけではなく、車両側のボンベの経年劣化も想定しなければならないこと。交換そのものは想定されているとしても、タクシーと比べ絶対数が圧倒的に少ないため、交換にかかるコストが高くならざるを得ません。そのため、CNG車は早期の退役を余儀なくされるのでは…という見方があります(相互リンク先管理人様のご意見。リンク先コメント欄を参照)。

 

今日は残念ながら、CNG車に乗車することはかないませんでした。しかし、現役で稼働しているCNG車を見る・撮ることができたので、それで良しとしましょう(^_^;)

 

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№3108.Grotta Azzura

№4359.遂に「ガスエアロ」全廃・「ガスエルガ」も風前の灯火~全廃間近の都営CNG車


4374.路地裏の超特急~京急「快特」物語 その5 「通勤快特」誕生と2代目700形

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その4(№4367.)から続く

今回は、朝ラッシュ時の混雑解消と速達性の確保を狙った「通勤快特」、及び同列車に使用された700形(Ⅱ)について取り上げます。

昭和40年代半ばに入ると、京急でも通勤客の増加が顕著になります。
そこで編成両数の増加が行われ、都営地下鉄直通列車は6連のままだったものの、優等列車は6連ではなく8連から10連へ増強されました。ただし、このときはまだ品川駅のホーム有効長が8連までの対応だったため、堀ノ内などで2両の増結車をつなぎ、神奈川新町で切り離す運用を行っていました(同駅はホーム有効長が8連分だったため、増結車の客扱いは横浜までとして、横浜-神奈川新町間は回送扱いにした)。
それでも足りず昭和49(1974)年、京急は優等列車の12両化を目指し、金沢文庫、上大岡、横浜の各駅改良工事を完成させ、朝ラッシュ時の品川どまりの線内特急4本について、金沢文庫-横浜間で12両運転が開始されました。
しかし品川への12連の到達は、同駅の改良が完成する昭和56(1981)年を待たざるを得ませんでした。

かようにして、京急では大手私鉄で最長の12連での運転が開始されたものの、その区間が横浜までに限られていたため、「横浜以南からの乗客をできるだけ品川へ引っ張る」という京急の目論見は、こと朝ラッシュ時の輸送に関する限り、足踏みせざるを得ない状態が続きました。
その足踏みから脱却したのが、12連での運転が開始された7年後の昭和56年。この年、品川と京浜川崎(京急川崎)のホーム12両対応化などの改良工事が完成、この年の6月に、京急は長年温めてきた、朝ラッシュ時の切り札「通勤快特」の運転を開始します。
「長年温めてきた」というのは、この列車の運転開始から遡ること10年、600形(Ⅱ)が冷房改造・更新工事完了後の姿を新町検車区で披露したときに、「通勤快特」のサボを掲げた写真が残されているからです。勿論こんなものが愛好家の自作であるはずはなく、京急が作ったことは明らかですから、このころから構想自体はあった、それもかなり具体的なものがあったという傍証になります。
この列車の運転の意図は勿論、「横浜以南からの乗客をできるだけ品川へ引っ張る」、それも通勤客の横浜からの国鉄・東急への流出を防ぎ、品川まで京急に乗ってもらうこと、そしてそのためには横浜-品川間の速達性の確保がどうしても必要で、同区間では途中京浜川崎にしか停車しない列車を運転することにしたことです。
ただし身も蓋もないことを言ってしまえば、横浜以北で12両対応にする駅を京浜川崎と品川だけにすれば、とりあえず朝ラッシュ時に12連の快特が運転できるということで、この両駅のホーム延伸が急がれたということです(当時、京急蒲田は快特停車駅ではなかった)。

こうして、昭和56年6月、新たな種別「通勤快特」が運転を開始します。停車駅は、横浜以南では特急と同じ停車駅、横浜以北では京浜川崎と品川のみ停車とすることで、長編成による輸送力と速達性を両立させようとしました。ちなみに「通勤快特」は正式名称で、「通勤快速特急」の略ではありません。
この列車には、勿論600形(Ⅱ)も充当され、運転開始当初しばらくの間は、同形の先頭部に「通勤快特」のサボ(ただし昭和46年当時のものとはデザインは全く異なる)を誇らしげに掲げたものですが、やはりラッシュ時のこと、同形では乗降性に難があることは否めません。このことから、「通勤快特」に充当される車両も、600形(Ⅱ)よりもオールロングシートの1000形(Ⅰ)、あるいはラッシュ対策車の700形(Ⅱ・以下省略)が多くなりました。700形は普通車(各駅停車)に充当するため加減速性能を向上させ、かつ1両あたり扉を4ヶ所に増やした車両ですが、「通勤快特」は地味な運用に終始した同形にとって、数少ない晴れ舞台でもありました。

ここでちょっと700形について触れておきましょう。
700形は、昭和42(1967)年から46(1971)年にかけて、McTTMcの4連×21編成84両が製造されましたが、当初はMcTMcの3連で計画されていました。両端の電動車がデハ700形、中間の付随車がサハ750ではなくサハ770形になっているのは、この計画の名残です。しかしなぜか当初計画は変更され、付随車を1両ではなく2両組み込むことになりました。この計画変更による電動車の出力や歯数比の変更はなされないままでしたから、700形が当初計画どおりの起動加速度を得ることはできませんでした。京急では、700形を登場当初こそ普通車に使用していたものの、昭和53(1978)年に普通車の運転曲線を吊り掛け駆動車基準から700形のMcTMc基準に引き直してスピードアップを図ったことにより、付随車の1両多い700形は、普通車のダイヤに乗ることができなくなってしまいました。
そこで京急は、700形4連を3本つないで12連を組成、朝ラッシュ時の「通勤快特」など、混雑時の輸送力列車に充当することにしました。これは同形の、他車よりも扉が多いことを生かしたものですが、これは大当たりだったといえます。それにしても、700形の「通勤快特」その他ラッシュ時の優等列車は、12両編成で側扉の数は実に48ヶ所。当時は常磐線の4扉車15連も多扉車もありませんでしたから、この数は大変なインパクトがあったのではないかと思います。その他の編成は、4連のまま朝ラッシュ時の特急の増結用として使用されていました。
なお、以上とは別に、700形の付随車を1両抜き、3連で本線の普通車や空港線の区間運転などに使用する一方、抜いた付随車を1000形(Ⅰ)の中間に組み込むということも行っています。しかし、オールMの1000形(Ⅰ)にとって、付随車を増結することは単純に編成全体の負荷を増やすことに他ならず、そのためこの編成の運転には、運転士も苦労したと聞きます。
なお、700形は落成当初は全車非冷房でしたが、昭和55(1980)年から63(1988)年にかけて、全車の冷房化が完了しています。ただし、このとき冷房関係機器の搭載を編成内で振り分けたことに伴い、冷房化改造後はMcTMcの3連を組成することができなくなり、退役までMcTTMcの4連で運行されることになりました。
そのためかどうか、700形は退役も比較的早く、平成10(1998)年から退役する編成が出始め、その7年後の平成17(2005)年までに全車京急から姿を消しています。一部は高松琴平電気鉄道(琴電)に移籍し、現在でも活躍していますが、残りは解体処分されました。

「通勤快特」という種別そのものも、平成11(1999)年7月のダイヤ改正で消えてしまいました。ただし列車としてはまるまる残っており、金沢文庫を境に同駅以南は特急、同駅以北は快特として運転されるように変更されています。

次回は、いよいよ600形に代わる、京急のフラッグシップが登場します。

-その6に続く-
 

4375.「史上最大の作戦」リターンズ~GWに銀座線青山一丁目-溜池山王間運休へ

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鉄道趣味界は「京王ライナー」やらGSE試運転やらで喧しいようですが、当ブログはあくまで我が道を参ります(^_^;)

(本当はどちらも撮りたかったが故の負け惜しみです…失礼しました)

 

一昨年11月の土日に、2度にわたって行った、銀座線青山一丁目-溜池山王間の区間運休。

これは渋谷駅の工事のため、工事間合いを確保する必要があってのことですが、このたび、今年のGWにも行われることになりました。

 

 

銀座線 渋谷~表参道駅間、青山一丁目~溜池山王駅間を運休します

 
東京メトロ(本社:東京都台東区 社長:山村 明義)では、銀座線渋谷駅移設に伴う線路切替工事のため2018年5月3日(木・祝)~5日(土・祝)の3日間、銀座線 渋谷~表参道駅間、青山一丁目~溜池山王駅間を終日運休します。
工事当日は、表参道~青山一丁目駅間、溜池山王~浅草駅間で折返し運転を実施します。また、東京メトロ、都営地下鉄、JR、各私鉄にて振替輸送を実施します。
銀座線をご利用のお客様には大変ご迷惑をおかけいたしますが、皆様のご理解とご協力をよろしくお願いいたします。
詳細は、別添ファイル(管理人注:PDFファイル注意)をご確認ください。
 
 
またこれが見られるようになるわけですね…。
 
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溜池山王行き
 
車内案内表示も…。
 
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溜池山王行き
 
表参道行きも。
 
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普段は見ることができない
 
車内案内表示も殆ど薄くなっています。
 
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表参道⇔青山一丁目の折り返し運転だった
 
今回の工事の目的は、渋谷駅ホームの移設場所となっている明治通り上空でのホーム設置に必要な距離を確保するため、線路を移設するというもので、いよいよ新ホーム建設が本格化するということになります。
上記ファイルによれば、2019年度下期には新ホームを供用開始予定ということなので、昭和13(1938)年の開業当時から残る現在の銀座線渋谷駅は、そのときまでの命となります。
 
いよいよこの駅にもお尻が切られた
 
既にこの駅を取り込んでいたデパートの建物は取り除かれ、写真のように車両の上には日が差す状態となっていますが、これも遅くとも再来年3月までの光景となります。
渋谷における五島慶太の遺産が完全に消えることは、歴史的に見ても勿体無い気はしますが、それも東京の都市交通の進化のためには、やむを得ないことなのでしょう。
3日間の工事の無事を祈念しております。
 
◇関連記事
 

№3781.史上最大の作戦 番外編 各駅の掲示物など

 
※ 当記事で使用している写真は、全て以前の記事からの転載です。

4376.亡骸は累々と…魂を抜かれた「ガスエルガ」たち

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以前、車番も消されナンバープレートも取り外された「ガスエアロ」こと都営バス臨海営業所のCNG三菱エアロスターを取り上げました(下記関連記事参照)。

そのときはまだ「ガスエルガ」ことCNGいすゞエルガは現役で稼働していたのですが、その後程なくして退役したと聞き、2月20日、所用で江戸川区葛西を訪れたのを幸い、その帰りに臨海車庫に寄り道をして様子を見てきました。

 

臨海車庫の光景。現役の車両ばかりが並んでいるように見えますが…。

 

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奥にナンバーを外された「ガスエアロ」がいる

 

これは臨海車庫の門外の右側から望んだものですが、この写真の右側を見ると、こんな光景が広がっています。

 

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「ガスエルガ」が並んでいる

 

この写真は臨海車庫終点のバスに乗車し、降車した場所から撮影したものです。奥の一番左側の日野ブルーリボンシティハイブリッドの右に、4台の「ガスエルガ」が留置されているのが分かります。

そしてこの写真、よーく見るとお分かりいただけると思いますが、写っている4台の「ガスエルガ」には、ナンバープレートがありません。ということは、都営バスとして走ることはもはやない、ということでもあります。これが通常仕様の車なら、地方への転出もあり得るのですが、CNG車ということを考えると、それも望み薄でしょう。

 

こちらは、車庫近くの歩道橋から望んだ写真。

 

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写真の真ん中奥が「ガスエルガ」が固まっている場所

 

この写真を撮影してから3日が経過していますが、もう搬出されてしまったのか、あるいは月を跨いで留置され続けるかは、現時点では分かりません。

 

最後に、こちらも(上記の各写真とは別の場所)。

 

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ナンバーも車番もない

 

これ、「ガスエルガ」のリアの姿です。車椅子マークや「CNGノンステップバス」のステッカーこそ残っていますが、ナンバープレートは外され、車番も消されてしまって分からなくなっていました(´・ω・`)

 

これら「ガスエルガ」の退役により、24年間にわたったCNGバスの歴史が、都営バスにおいては終了することになりました。やはり地上設備の維持にかかるコスト、そして車両側のボンベ維持にかかるコスト、それぞれが無視できないレベルになり、かつそこまでのコストを要せずに高い省エネ効果が見込める方法(ハイブリッド車など)が一般化した結果こうなったといえますが、頭では理解していても、やはりバス愛好者の端くれとしては、寂しいものがあります。

 

◇関連記事

 

№4359.遂に「ガスエアロ」全廃・「ガスエルガ」も風前の灯火~全廃間近の都営CNG車

№4361.【5年前は路線網】平成の終わりに、都営バスの大変革【今年は車種構成】

№4373.こちらはしばらく安泰(?)~川崎市バス塩浜営業所のCNG車 

 

4377.The BRAND-NEW Evening~京王ライナー乗車記 その1

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「新しい京王」が走り出した、2.22ダイヤ改正。

この日走り出したのは、京王としては初めてとなる座席指定列車、「京王ライナー」です。「京王ライナー」は、平日・土休日とも京王八王子方面・橋本方面とも各5本が運転されることになっています(概要は こちら)。

 

この列車が走り出して初となる週末となった24日土曜日、管理人は勇躍京王新宿駅へ。

1・2番ホーム上にある、「京王ライナー」の座席指定券の券売機。管理人はここで、1900発の「京王ライナー9号」の座席指定券を購入しました。

 

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物々しい雰囲気(帰途に撮影)

 

↑の写真を撮影したのは、新宿に帰還した後ですが、このときは2100発17号の発車前で、案内のためか駅員さんが2人お立ちなのがわかります。勿論、1900発9号の発車前にも、案内役の駅員さんがいらっしゃいました。

 

管理人が購入した座席指定券。

 

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座席指定券は「京王ライナー」のロゴ入り

 

買ったときは気に留めなかったのですが、券の右下のQRコードは何だろ。

 

ところで、駅の改札内の自動券売機で座席指定券を購入すると、席を選ぶことができないのですよ。画面には飛行機の予約画面のように座席が出て、席が緑色になるのですが、これは「この席を売りますよ」という意味なのだそうです(案内役の駅員さんの言)。ありがとうございましたm(__)m

そして発車案内表示には、遂に「KEIO LINER」の表示が!

 

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出た!

 

「出た!」というと幽霊みたいですが(^_^;) やはり座席指定列車がここに出るのは、昭和の京王を少しでも知っている身からしたら、感慨深いものがあります。

 

で、座席指定券を持って、6号車乗車位置で待ちます。

すると、発車時刻の10分前くらいに、入線してきました!

 

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回送で入線

 

京急ウイング号と同じように、回送列車として入線します。これは5000系のロング/クロスの座席転換の手間や、ダイヤ乱れの可能性、さらには京王新宿駅の余裕のなさを考えると、仕方ないのかもしれません。ただ、愛好家としては、ロング仕様の一般列車で到着し、扉を閉めた後にクロス仕様に転換…という一部始終も、見てみたい気もします。

 

乗り込みます。

管理人の座った席、6号車10番D席は、ちょうど戸袋部にあたるため、側面の眺望が殆ど効きません(´・ω・`)

 

京王はJR式を採用した

 

以前の記事で、座席指定列車の席番の話題を取り上げたことがありますが、当時は未だ「京王ライナー」運転開始前。そのため、「京王ライナー」の運転にあたっては、番号+アルファベットのJR式を採用するのか、号車+番号のみの南海・旧東武式を採用するのか、そこにも興味がありましたが、やはり手堅くJR式でいきましたか…。

座席の座り心地ですが、適度な硬さとしっかりしたホールド感があり、40分弱の乗車には勿体無いほど。ひいき目ではなく、東武の50090系や近鉄のL/Cカーより上だと思います(^_^) 勿論、50090系やL/Cカーが悪いわけではありません。

 

ところで、「京王ライナー」といえば、やはり見ておきたかったのがこれ。

 

新宿-府中間ノンストップ

 

これはかなり、鉄道趣味界、特に関西のそれにおいて衝撃をもって受け止められました。何しろ、明大前・調布を通過するということなど、到底考えられませんでしたから。阪急の神戸線特急が十三や西宮北口を、京阪だと京橋や七条を通過するようなもの。西鉄だと西鉄二日市や西鉄久留米を通過するようなものですな。

 

夜なので車窓は割愛。

1900の定刻を1分ほど遅れて発車。地下線を抜けて笹塚を通過すると、スピードが乗ってきます。

そしていよいよ、明大前を通過するのかと思いきや…。

 

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運転停車!

 

このときは、東急東横線を走る「S-Train」と同じように、信号システムの関係で通過ができないのかと思っていましたが、調布駅を低速で通過していきましたので、そういうことではないのかもしれません。今度、明大前駅で確かめてみようと思います。

明大前といえば、阪急の十三、京阪の七条と同じような立ち位置の駅なので(個人の意見です)、そのような駅を通過(通過扱い?)するというのは、やはり京王に慣れ親しんだ身としては新鮮な驚きです。

明大前を発車した後は、調布までノンストップの特急と同じ快適な走り。そして調布駅を低速で通過(写真撮り損ねたorz)、府中に到着。

府中からは、「ウイング号」の上大岡や「TJライナー」のふじみ野と同じように、座席指定券無しで乗車が可能になります。そのためか、ここからは多くの乗車がありました。

 

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府中到着

 

府中から先は、特急と同じ停車駅で京王八王子まで走ります。

 

ところで、新宿-府中間のノンストップ区間では、車掌さんの巡回があったのですが、進行方向後方(10号車側)から2人の車掌さんが歩いてきたと思ったら、1号車側から歩いてきた2人の車掌さんと合流。この1本の列車に、何と4人もの車掌さんが乗車していたのには驚きました。無札客対策なのか、あるいは「京王ライナー」運転開始後初の週末だからだったのか、はたまた今後の研修を兼ねた乗務だったのでしょうか。

 

新宿発車後40分弱、1938に京王八王子へ到着。

その後のお話は、次回へ続きます。

 

※ 当記事は02/24付の投稿とします。

4378.The BRAND-NEW Evening~京王ライナー乗車記 その2

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その1から続きます。

 

1938に京王八王子に到着。

折返しはどうなるのか…と思っていたら、すぐに回送列車になってしまうようで、表示も「回送」になってしまいました。このあたりは、LED表示の味気無いところです。これが幕だったら…いやいや、止めましょう(^_^;)

 

京王八王子到着直後の5785のご尊顔。

 

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ヘッドマーク?

 

接写してみました。

 

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京王ライナー運転開始を宣伝するもの

 

京王ライナーのロゴマークが中央に鎮座、その周囲を月桂冠のように線路を模したイラストが囲むというもので、なかなか秀逸なデザインだと思います。

このとき、このヘッドマーク付き編成を待ち構えていた同業者の方もいらっしゃいました。

 

京王八王子到着直後の車内はこんな感じ。

 

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クロスシートにすると豪華に見える

 

茶色の濃淡の座席は、色使いも上品でなかなか高級感がありますが、これは八王子がかつて「織物の街」として栄えたことによるものだとか。

座席下の台座の部分には、今や必需品となりつつある電源コンセントが装備されています。これは新宿発車後の案内放送でも言及されていましたが、聞くところによると「京王ライナー」としての使用のとき、つまりクロス仕様のとき以外は使えないそうで、それはちょっと勿体無いような気もします。

 

京王八王子駅の改札外からの写真。

 

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取り囲んでいるのは愛好家ばかりではないと思われる

 

特に鉄道に興味のなさそうな方でも、スマホを取り出して写真を撮影していましたので、この方々全てが愛好家ばかりではないと思われます。それだけ、沿線利用者の関心も高いということなのでしょう。

実際、愛好家ではない一般利用者の声も(※)

 

・府中まで停まらないなんて凄いねー

・指定券買わないで乗ると700円取られるんだって!

(注:京王では『京王ライナー』に座席指定券を買わないで乗車した場合、通常の指定料金400円の他、さらに割増料金として300円を徴収するとしている。これは車内放送でも案内されていた)

・何で調布に停めなかったのかな?

 

など。

※ 管理人がじかにインタビューしたわけではなく、他の乗客が話しているのを聞いただけです

 

感想。

実は新宿発車時、管理人が乗車した6号車はほぼ満席であり、かなり高い乗車率でした。土曜日だから乗ってみよう、という「浮遊層」が多数派だったのかもしれませんが、座席の座り心地など居住性も上々であり、400円の座席指定料金は決して高くないと思いました。そうすると、このような「浮遊層」の人たちがリピーターになることは案外容易かもしれず、そうなれば「京王ライナー」が定着していくことは確実と思われます。

そしてこのことは、京王の競争相手に対しても、大きなアドバンテージを持つものになるといえそうです。京王は対八王子でJRと、対多摩センターで小田急と、それぞれ競合関係にあります。対八王子はJRには「中央ライナー」があるものの、そもそもの運賃が高額であり、料金も「京王ライナー」の400円を上回る500円(普通車の場合)。また中央線快速に連結が計画されているグリーン車も、着席が保証されるわけではありません。対多摩センターにしても、現在の小田急には座席指定列車はありません(かつて唐木田行きの『ホームウェイ』が運転されていたが廃止された)。

ただし本当の意味で京王が優位に立とうというなら、もはや笹塚-調布間の線路容量は限界を超えており、抜本的な改善にはこの区間の複々線化しかないのではないか、とも思われてなりません。

「京王ライナー」の構想は4年前からあったそうですが、それが見事な形で結実したといえます。今後は、平日の運転時間帯の拡大は勿論、土休日の高尾山口発着「高尾山ライナー」、都営新宿線本八幡発京王八王子又は高尾山口行きの座席指定列車の運転も期待したくなってしまいます。もっともそうなると、5000系の本数を増やさなければならなくなりますが…。

 

最後におまけ。

京王八王子1949発特急新宿行き。

 

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幕車

 

鉄道車両の世界でも、幕は貴重になっていきますからね。

5000系が足りないのであれば、7000系をL/C仕様に改造して…ってそんなわけないか(^_^;)

 

次回はその3として、「京王ライナー」の調布駅通過の瞬間を取り上げます。

 

※ 当記事は02/24付の投稿とします。

4379.調布を、しかも準特急を待たせて通過! 「京王ライナー」の驚くべき殿様列車ぶり

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「京王ライナー」の運転開始に伴って、鉄道趣味界の話題をさらったのは、京王初の座席指定列車ということの他に、明大前・調布という、京王の最重要拠点駅を通過すること。

京急の「ウイング号」では京急蒲田・京急川崎・横浜を通過し、品川から上大岡までノンストップとなっていますが、あちらはこの3駅を低速ではあるにしても通過しましたので、正真正銘のノンストップ。

しかしこちら「京王ライナー」の場合、明大前では運転停車とおぼしき停車があったことと、調布駅の通過を実感できなかったことから、車外から見てみたらどうなるかと興味がわきました。

そこで、帰途に調布駅へ寄り道し、調布駅の通過を車外から見ることに。

 

調布駅1・2番ホーム(上層階下りホーム)の案内表示。

 

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確かに「通過」!

 

調布駅はダイヤ改正前には全列車が停車していましたので、「通過」という表示が出るのは、「京王ライナー」の運転開始の実感を見る者に抱かせるものです。

2013発橋本行き快速が発車し、相模原線に逃げた直後、「奴」がやってきました!

 

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「京王ライナー」がやってきた!

 

やってきたのは、新宿駅を2000に発車した京王ライナー13号。停車するのかと思ってみていたら、減速はしたものの停車するそぶりは一切無し。そのまま通過していきました。

 

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確かに調布駅を列車が通過している

 

そして走り去っていきました。

 

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停まらなかった

 

しかーし!

これで驚くのは未だ早かった。

 

反対側の1番ホームを見ると何と…。

 

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準特急を待たせていた!

 

つまり「京王ライナー13号」は、先行する準特急をこの駅で待たせて追い抜いていったわけで、「京王ライナー」の殿様列車ぶりがうかがえる運転形態です。

今の若い愛好家は「殿様列車」なんて言い方はしないんだろうな(^_^;)

 

ここまで撮影して、下層の3・4番ホームに戻り、停車中だった準特急新宿行きに乗車、新宿まで帰りました。

 

次の記事では「京王ライナー」乗車ルポの番外編として、新宿駅などの掲示物を取り上げます。

4380.The BRAND-NEW Evening~京王ライナー乗車記 番外編・掲示物など

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今回は京王ライナー乗車記の番外編として、新宿駅の掲示物などを見ていきます。

京王新宿駅で圧倒されるのは、何と言ってもこれ。

 

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支柱の形をうまく利用している(以前の記事から転載)

 

これはインパクト絶大でした。コーポレートカラーの京王レッド、そして京王ブルーをうまくあしらい、京王ライナーの宣伝看板に仕上げています。しかもこれ、支柱がV字型の形状をしているため、まるでVサインのように見えるのですよ。もしかして:3.17を前にした小田急に対する「勝利宣言」としてのVサインであるというのは、穿った見方でしょうかね(^_^;)

 

こちらは路線案内。

「京王ライナー」は、別建てで記載されています。

 

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左下に別建ての案内がある

 

東武の本線系統などでも特急列車は別建てでの案内がされていますが、あれと同じ。まさに「京王ライナー」が別格の列車であることの証左…というのは褒め過ぎ?

 

こちらは発車案内板。5番目の列車まで表示されますが、その5番目、最下段にご注目あれ。

 

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こちらにも「KEIO LINER」が

 

こういうところの表示は、「京王ライナー」ではなく「KEIO LINER」なんですね。

 

以上は駅構内ですが、以下はホーム上の案内表示。

まずは2番ホームのホームドア。ホームドアには、2.22ダイヤ改正の広告と、京王ライナー乗車口の案内が貼り付けられています。以下は、1枚目がダイヤ改正の広告、2枚目が京王ライナー乗車口の案内ですが、あえてノーキャプションで。

 

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京王ライナーの乗車口は、各車両とも連結面に近い1番・4番ドアのみを開けるようです。そのため、1番・4番ドアの位置に該当する場所にしか、2枚目の写真の案内は貼られていません。

しかしこの乗車案内、席番の案内も兼ねているんですね。

 

こちらは、京王ライナー乗車口の床に貼られている、乗車位置の表示。

 

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こちらはロゴを使ってシンプルに目立っている

 

席番まで案内するホームドアの壁のものとは異なり、こちらは床にあることもあってか、いたってシンプルなもの。しかし、ロゴには明らかな自己主張が見て取れます。

こうしてみると、アルファベットの「K」と「L」を組み合わせた「京王ライナー」のロゴ、結構カッコいいですね!

 

こちらの番線表示にも、ロゴが生かされています。

 

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2番線にはあのロゴがある

 

2番線は「京王ライナー」発車ホームとなっていますので、ここはロゴを使って案内ということでしょう。勿論、「京王ライナー」の運転時間外に利用する乗客も、このロゴを見れば意識してしまう…という効果もあろうかと。

 

そして「京王ライナー」が入線。

 

5000系の平滑なサイドビュー

 

5000系は所謂「Sustina」構体ですが、側扉の上に水切りがあるのは知りませんでした。


4381.川崎市バスのネタ車両たち~なぜか塩浜には似つかわしくない小型車が

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先日取り上げた、川崎市バスのネタの落穂拾い。

 

川崎駅東口バスターミナルの北側「空島」エリアで、これまで見たことが無かった日野HR「うなぎ」の小型バージョンを発見。

 

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えらく小さい

 

「川崎市バス 3352」で検索したところ、この車は何と、配属が塩浜であるとのこと。しかも塩浜に来る前には井田にいて、狭隘路線に専従していたそうですが、塩浜転入後は定期運用はないそうです。

この車は上平間の車だとばかり思っていましたが、違っていました。

しかしなぜ、ドル箱路線を多く抱える塩浜に、こんな小型車を転入させたのでしょうね?

 

この写真の後ろに写っているのが3352号です。

 

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ガスエルガの左後方(以前の記事から転載)

 

このあとで、歩道から3352号だけを撮影しました。

 

そして塩浜営業所を訪ねてみると、やはり塩浜には似つかわしくない小型車、それも3352号以上に小さい車が。それも2台!

 

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ポンチョ???

 

日野ポンチョといえば、狭隘路線やコミュニティバスの定番の車種ですが、そんな車がなぜ塩浜に…と謎は深まるばかり。もしかして、川崎病院線専用車かとも思ったのですが、あれは大型車でも運行可能です。あるいは、扇町への「川13」用かとも思いましたが、いくらなんでもこれは小さすぎるのでは…。

あるいは、冒頭の日野HRともども、どこか企業とかの契約輸送なのかもしれません。

 

こちらは、塩浜営業所名物、住宅地の中の狭い道路を走って来る回送車。

 

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回送車の表示に注目

 

「回送車」の表示の左側に、何かキャラクターのようなものが見えます。写真では切れてしまいましたが。

 

それを川崎駅西口バスターミナルで撮影したものがこちら。「江戸の敵を長崎で討つ」ではないですが、塩浜の敵を川崎駅西口で討ちました(^_^;)

 

キティちゃん!

 

まさか、回送車表示までキティちゃんに制圧されていたとはΣ(・□・;)

 

繰り返しになりますが、日野HRとポンチョの計3台の小型車、いったい何に使うのでしょうね?

 

【取材日 平成30年2月20日】

4382.路地裏の超特急~京急「快特」物語 その6 2000形の登場と600形の退役

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その5(№4374.)から続く

 

昭和31(1956)年の登場以来、特急・快特など優等列車に使用され続けてきた600形(Ⅱ・以下省略)。

しかし、昭和50年代も半ばに差し掛かると、加減速性能が1000形(Ⅰ)に劣るという600形の走行性能が災いしてか、快特に充当される機会は少なくなっていました。当時、快特の所要運用数は6でしたが、600形の運用はそのうちの2だけ。また、600形はこのころ、製造後25年以上、冷房化改造からでも10年以上を経過し、老朽化・陳腐化が顕著になっていました。そこで、京急は600形の後継として、新たなフラッグシップとなり得る車両の開発を進めます。

この車両こそが、昭和57(1982)年に登場した2000形です。

 

2000形の登場の背景をズバリ言えば、「車社会に対応し上質なサービスを提供し得る車両が必要とされた」ということです。京急のライバルとしては国鉄横須賀線が挙げられますが、このころになると、国鉄の運賃・料金の度重なる値上げにより運賃面で京急が優位に立ったばかりか、昭和55(1980)年の「SM分離」によって本数が増加した引き換えに、新川崎経由により東京・品川への所要時間が伸びてしまったため、品川(東京)-逗子・横須賀間の輸送では、京急が圧倒的に優位になっていました。

しかしその一方で、三浦半島では昭和52(1977)年、横浜横須賀道路逗子-衣笠間が開通、それまで国道16号しかなかった道路事情にも改善の兆しが見えてきました。国民の所得水準の向上により、多くの家庭に自家用車が普及したことも相まって、今後の競争は対国鉄という鉄道内部のシェア争いではなく、自家用車との争いになる。このことは、京急の幹部も十分に認識していたといえます。

そこで、京急の社内においても、対国鉄横須賀線で圧倒的優位に立つことは当然として、自家用車と比べても魅力的な移動空間を提供したい、そのためのフラッグシップになり得る車両を投入したい、という機運が高まっていきました。

 

2000形は、まさにそのような機運の中登場した車両でした。スペックは以下のとおり。

 

① 前面は非貫通の額縁スタイル(地下鉄乗り入れを考慮しないため)。

② 外板塗色は800形(Ⅱ)同様、ベースを赤として窓周りを白とするツートン。

③ 電動車は3両ユニット式を導入。メカニックは800形(Ⅱ)と同じ界磁チョッパ制御。

④ 京急の車両として、京濱電気鉄道26形以来、71年ぶりに両開き扉を導入。

⑤ 座席配置は固定クロスシートだが、扉間は「集団見合い式」で半数が進行方向に向いて座れる形態、車端部はボックス席。運転台の真後ろだけロングシート。

⑥ 車号は浦賀方から末尾(一の位)が1、品川方が8。十の位が編成番号。百の位は、8連の場合0、4連の場合4。

 

まず①について、それまでの京急の車両は、正面貫通型か非貫通2枚窓かという、おとなしい顔立ちの車両が多かったので、2000形の顔立ちは鉄道趣味界でも驚きをもって受け止められました。しかし実際には、東急車輛(当時)が800形(Ⅱ)の前面形状として提案したものを転用したといわれています。

また②の赤白ツートンは、赤一色に白帯以上に流麗なもので、2000形によく似合っていたと思います。もっとも、その後このカラーリングはクロスシート車の専売特許とされ、これと同じカラーリングだった800形(Ⅱ)が、一般車と同じ赤一緒に白帯に塗り替えられてしまったのは、残念なことでした。

そして何と言っても、乗客の目から見て大きかったのは、客室のクロスシート率が100%に迫ったこと(⑤)。100%でないのは、両先頭車の運転台真後ろの座席がロングシートだからですが、そこを除けばほぼクロスシート。これは先代の600形から大きな進歩を遂げたといえます。ただし、このロングシートも真横から前面展望が得られますので、クロスシート部分とは別の意味での「特等席」となりました。

2000形のクロスシートは、固定クロスシートではあるものの、先代のそれとは全く異なるもの。車端部と車両中央部こそボックス席ですが、扉間は固定席を並べそれが中央部で向かい合う形の「集団見合い型」。これによって、扉間の乗客の半数が進行方向を向いて座ることができるようになり、かつ見知らぬ乗客と向かい合う必要もなくなったため、快適性も格段に向上しました。このような座席配置は、同時期に投入が進められていたフランス国鉄TGVの客室、あるいは同じフランス国鉄のコライユ客車に範をとったものとされています。

実はこのとき、阪急や西鉄のような転換クロスシートを採用してはどうかと、社内でもかなり検討が重ねられたそうですが、可動部のメンテナンスの必要性や重量増加、そして座席定員の減少(転換式にするとシートピッチを拡げる必要があるが、そうすると座席定員が減る)という点から見送られてしまいました。その後に登場した2100形は転換式を採用し、扉間の乗客は進行方向を向いて座れるようになりましたが、手動での転換を不可としてシートピッチを詰め、座席定員を確保しています。

そして鉄道趣味界で驚きをもって見られたのは、2000形が両開き扉を採用したこと(④)。これは、ほぼオールクロスシートにした結果として、乗降性に難が生じることを少しでも改善しようとした結果ですが、それまでの京急の車両は、「乗降性の優劣は扉の数と幅次第で、片開きか両開きかは関係ない。それなら可動部の少ない片開き扉が有利」という社内の理論(提唱者の名を取って『日野原保理論』とも)に基づいて、クロスシート車・一般車問わず片開き扉を採用してきたため、そうではない2000形の登場は大いに驚かれました。もっとも、2000形の3年後に登場した1500形は、一般車として74年ぶりに両開き扉を採用したため、2000形の登場は、京急の両開き扉の採用に先鞭をつけるものとなりました。

 

2000形はまず昭和57(1982)年に試作的要素を持つ1編成がまず導入され、これが1年半走り込んだ結果を反映させた増備車が2年後の5月に2編成落成しました。さらに昭和60(1985)年には8連の増備と共に初めて増結用4連が登場、昭和62(1987)年までに2000形は8連6本、4連6本の72両となっています。

ただし、その一方で600形は昭和59年5月から廃車が始まり、最後に残った通勤快特の運用もその翌年2000形に置き換えられてしまいます。その後の600形は、時折2000形の代走で快特運用に入るほかは、久里浜線内の区間運用のみとなってしまい、終焉間近であることが誰の目にも明らかな状態となりました。

果たして、昭和61(1986)年3月、600形は全車退役することになりました。600形の先輩格だった500形も、4扉化されてローカル輸送に従事してきましたが、600形の後を追うように同じ年の8月退役、これにより京急から吊り掛け駆動の車が全廃されています。

 

2000形の増備により、日中の快特は臨時の代走を除いて同形で統一され、利用者にも「快特はクロスシート車」という印象を植え付けることになりました。まさに京急のフラッグシップにして、イメージリーダーに昇りつめた2000形。

次回は、その2000形を使用して行われることになった、行楽列車以外では京急で初となる、座席定員制列車の話題を取り上げようと思います。

 

-その7に続く-

4383.【3.17以降】大手私鉄無料優等列車の最長無停車区間ランキング【変動します】※一部訂正

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【管理人謹告】

当記事を当初アップした際、東武の数字に誤りがありましたので、その誤りを訂正の上、該当する内容を全て修正しました。

 

あと2週間後に迫った、小田急の3.17ダイヤ改正。

この改正に伴い、快速急行が登戸に停車するようになり、小田急における無料優等列車の最長無停車区間が、現在の下北沢-新百合ヶ丘間の16.6kmから新松田-小田原間の10.7kmに短縮されてしまうことになります。

そこで、当ブログでは、小田急以外の他の大手私鉄で、無料優等列車の最長無停車区間はどのくらいなのか、調べてみることにしました。

結果は以下のとおりです。

なお、対象は毎日運転の定期列車のみを対象とし、平日のみ又は土休日のみ運転などの列車は除外しています。

 

京急 品川-羽田空港国際線ターミナル 12.5km

東急 武蔵小杉-菊名 8.0km

小田急 下北沢-新百合ヶ丘 16.6km(ダイヤ改正以後は新松田-小田原 10.7km)

京王 明大前-調布 10.3km

西武 池袋-石神井公園 10.6km

東武 新鹿沼-下今市 20.6km

京成 京成佐倉-京成成田 10.2km

メトロ 小竹向原-和光市 8.3km

相鉄 横浜-二俣川 10.5km

名鉄 豊橋-東岡崎 29.8km(※①)

阪急 十三-西宮北口 13.2km(※②)

京阪 枚方市-京橋 18.8km(※③)

阪神 梅田-尼崎 8.9km

南海 堺-岸和田 16.2km(※④)

近鉄 鶴橋-五位堂 26.0km

西鉄 西鉄二日市-西鉄久留米 23.4km

 

※①=一般車併結の特急の場合。それ以外だと神宮前-太田川の12.3km。

※②=「京とれいん」(土休日のみ運転)なら桂-淡路の33.8km。

※③=快速特急「洛楽」(土休日のみ運転)なら七条-京橋の44.0km。

※④=特急「サザン」(一般車併結)の場合。それ以外だと泉佐野-尾崎9.1km。

 

これらをランク分けすると、以下のとおりとなります。

 

【ランキング(小田急の3.17ダイヤ改正前)】

①  名鉄 29.8km

②  近鉄 26.0km

③  西鉄 23.4km

④  東武 20.6㎞

⑤  京阪 18.8km

⑥  小田急 16.6km

⑦  南海 16.2km

⑧  阪急 13.2km

⑨  京急 12.5km

⑩  西武 10.6km

⑪  相鉄 10.5km

⑫  京王 10.3km

⑬  京成 10.2km

⑭  阪神 8.9km

⑮  メトロ 8.3km

⑯  東急 8.0km

 

16社中13社が10km超えの数値となっていますが、10kmを割っている下位3社がメトロ・阪神・東急の3社。これらの会社は、駅間距離が短いこと、途中駅でも平均して高い需要があって、その反面突出した需要のある駅が少ないことが、無停車区間が短い理由として挙げられようかと思います。

 

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Y500系の特急は見ることができなくなった

 

東急はどうしても、沿線人口が多いので、無停車区間が短くならざるを得ません。東急の無停車区間最長は東横線の武蔵小杉-菊名間ですが、これは東横線で特急の運転を開始して以降のこと。それ以前は田園都市線急行の三軒茶屋-二子玉川間の6.1km。田園都市線の優等列車は、渋谷-中央林間間30分を目標に停車駅を絞り込んだそうなのですが、それでもこの程度の無停車区間ということは、やはり中間駅の需要が大きいことを裏付けているといえます。

 

他方、トップ3は順に名鉄、近鉄、西鉄と、いずれも関東以外の大手私鉄。これはもしかしたら、遠近分離の他に、競争相手の存在が理由にあるようにも思われます。

 

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西鉄はJR鹿児島本線と熾烈な競争下にある

 

西鉄の特急も一時期よりは停車駅が増加したとはいえ、まだまだ福岡-久留米・大牟田の都市間輸送に特化した列車といえます。それが20km超えの無停車区間の存在につながっているのではないかと。

 

関東私鉄の中では、無料優等列車の最長無停車区間は、東武の急行・区間急行の新栃木-下今市間20.6kmとなります。

 

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浅草には来なくなっても

 

現在快速は浅草には来なくなり、昨年4月のダイヤ改正で無料優等列車は南栗橋で分断され、以前の快速・区間快速のスジを引き継ぐ形で南栗橋発着日光方面の列車が急行・区間急行として残りましたが、その区間の無停車区間が、東武最長にして関東大手私鉄最長の無料優等列車の無停車区間となっています。かつて板倉東洋大前駅が無かったころは、東武動物公園-新大平下間の約40kmを無停車でかっ飛ばしていたものですが。

ちなみに、この関東大手私鉄最長の無料優等列車の無停車区間は、下り列車でなければ体験することはできませんw

このように、ターミナル駅寄りではない区間を無停車で飛ばす例は、東武の他、京成、西鉄、東急、名鉄、南海が該当します。東武以外の場合、都市間輸送・空港アクセス(京成の場合)を重視した結果、中間を思い切って無停車で飛ばすことにしたという面もあります。

 

そして意外だったのが京急と阪急。

前者は「快特」のイメージが強いので、無停車区間は本線系の方が長いかと思いきや、さにあらず。そして後者も、京都線の方が長いかと思えば、神戸線の方が長くなっています。

 

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京急の場合無停車区間が長いのは、同じ快特でも「エアポート快特」の方

 

京急の場合、品川-横浜間1駅停車の時代であっても、品川-京急川崎間は11.8kmですから、やはり品川-羽田空港国際線ターミナルの方が距離が長くなっています。これは空港輸送に特化し停車駅を極限まで減らした結果です。

 

そして阪急の場合、京都線特急の停車駅が増え過ぎた結果なのか、同社の無停車区間は京都線ではなく、神戸線十三-西宮北口間という、管理人にとってはやや意外な結果になりました(^_^;)

 

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写真は特急ではありませんが神戸線の電車です

 

阪急神戸線の場合、駅数が少ないので長距離を無停車でかっ飛ばすというイメージはないのですが、駅数が少ない結果として駅間距離が長いので、結果として無停車区間が長くなるということでもあります。

 

その他の路線の場合、遠近分離を図ってターミナル駅あるいはそれに近い中心部の駅からできるだけ遠くまで無停車で飛ばすというダイヤ構成が多いように思われます。その例に当たると思われるのが、近鉄・京阪・西武・京王・相鉄など。

 

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純然たる無料優等列車としてはトップ

 

近鉄の場合、鶴橋-五位堂の26kmをかっ飛ばすわけで(快速急行の場合)、これなどはまさに、遠近分離の発想が現れたものといえます。もっとも、近鉄の快速急行は、伊勢方面との直通を任務とする列車ですから、あまり停車駅を増やすわけにもいかず、結果としてこうなっているとも言えます。このあたりは、かつての東武の快速・区間快速と相通じるものがあるような。

ちなみに近鉄の26kmという数字は第2位ですが、名鉄の場合は一般車(乗車券のみで乗れる車両)と特別車(座席指定料金を徴収する車両)の併結ですから、それがない純然たる無料優等列車だけに限れば、近鉄が堂々の第1位となります。

 

そして3.17以降、小田急は快速急行登戸停車により、下北沢-新百合ヶ丘間無停車ではなくなります。

 

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これらもあと2週間の命

 

小田急の快速急行はまさに「遠近分離」を狙って登場した列車で、だからこその下北沢-新百合ヶ丘間無停車なのですが、登戸停車はその趣旨を曖昧にするのではないかという懸念が消えません。

 

ちなみに、3.17ダイヤ改正以降、無料優等列車の最長無停車区間のランキングは、以下のように変わります。

 

【ランキング(小田急の3.17ダイヤ改正後)】

①  名鉄 29.8km

②  近鉄 26.0km

③  西鉄 23.4km

④  東武 20.6km

⑤  京阪 18.8km

⑥  南海 16.2km

⑦  阪急 13.2km

⑧  京急 12.5km

⑨  小田急 10.7km

⑩  西武 10.6km

⑪  相鉄 10.5km

⑫  京王 10.3km

⑬  京成 10.2km

⑭  阪神 8.9km

⑮  メトロ 8.3km

⑯  東急 8.0km

6位だった小田急が9位に落ち、京急を下回ってしまうばかりか、西武に0.1km差、相鉄とも0.2km差になってしまうのですね(^_^;) というか10km台に関東大手私鉄ばかり5社も固まることになります。それにしても、小田急のダイヤ改正後は上位7社に入るのは東武だけ、それも下りの数本だけか…。

 

「だから何なんだ」というランキングではありますが、会社や路線の性格、使命といったものが現れているのではないかと思います。

 

◇関連記事

№216.小田急「快速急行」の挑戦

№221.「東横特急」の現在・過去・未来

№4097.今月の鉄道本から~大手私鉄の保有車両数と路線総延長との関係

 

※ 当記事で使用している写真は、全て以前の記事からの転載です。

4384.往年のエース、遂に降板~京急2000形退役へ

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しばらくブログネタの払底、管理人自身の多忙、そして管理人自身の心身の不調により、更新を停止しておりました。

なお、現在連載中の「路地裏の超特急~京急『快特』物語」は、来週火曜日に2本まとめてアップさせていただきますので、よろしくご了承のほどお願いいたします。

 

ご挨拶はそのくらいにいたしまして、本題に参りましょう。

 

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新旧快特用車両の並び@上大岡

 

2100形の先代に当たる、京急の2扉クロスシート車だった2000形が、遂に今年3月で全車退役することになりました。

 

京急のエース車両として活躍した「2000形」の引退を記念して3月11日(日)に「さよなら2000形記念乗車券」を発売 記念乗車券購入者の中から特別貸切列車「ありがとう2000形」にご招待!!

 

京浜急行電鉄株式会社(本社:東京都港区 社長:原田 一之、以下 京急電鉄)では、 2018年3月下旬をもって、「2000形」の営業運転を終了いたします。

「2000形」は、2ドアのクロスシート車として1982年に登場し、当初は「快特」などの優等列車として都心から三浦半島までの京急線内を運行しておりました。1988年の京急創立90周年記念で運行した「さわやかギャラリー号」などイベント列車としても活躍したほか、1992年からは当時着席保障制の帰宅列車として運行が始まった「ウィング号」(現在は座席指定制)にも使用されました。2100形の登場により、1998年からは通勤仕様の3ドアのロングシート車に改造され、側面のデザインも現在の赤い車体に白い細帯となりました(2013年から登場30周年を記念し、1編成のみリバイバル塗装に変更)。近年は羽田空港と新逗子を結ぶ「エアポート急行」などを中心に運行しております。

引退にともない、3月11日(日)に「さよなら2000形記念乗車券」を2,000円(税込)で限定2,018セット発売いたします。また、ご購入いただいたお客さまの中から抽選で50組100名様に、3月25日(日)に運行する特別貸切列車「ありがとう2000形」にご招待いたします。運行当日は、引退直前の2000形車内や京急ファインテック 久里浜工場において、鉄道タレントと共に、惜しまれつつも引退する2000形の撮影会や交流会を実施いたします。

 

京急公式より)

 

遂に2000形も完全退役ですか…。

このニュースに接して、管理人が驚いたのは、2000形が退役することよりも、現在同形が稼働している本数。まさか2本しかないとは…。そのうち1本は、リバイバル塗装を施された2011Fです。

 

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リバイバル塗装を施された2011Fが最後まで残ることに

 

この編成は浦賀方先頭車の車号が2011で、品川方先頭車の車号が2018であることから、7年前の平成23(2011)年には、2011には新年を寿ぐ装飾が施されたものです。そしてその7年後の今年、反対側の先頭車2018に、7年前と同じような装飾が施され、鉄道趣味界では結構な話題になりました。これも今考えると「最後の花道」としての京急の計らいだったのかもしれません。

この編成以外の2000形は、4連も含め、3扉ロングシート化改造を受けた際、それまでの赤白ツートンから、赤一色に窓下白帯の京急一般車塗装に改められました。現在残る2000形は2編成、うち1編成が上記のリバイバルカラーですから、もう1編成は現行の一般車塗装ということになります。

 

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この塗装の編成も1本残っている(写真の編成は退役済み)

 

3扉化改造後の2000形は、都営浅草線に乗り入れない朝ラッシュ時の通勤快特などに使用されてきましたが、ラッシュ時以外の稼働率が激減してしまいました。それでも4連は快特の増結用などに活路を見出しましたが、8連は編成単位が大きすぎ、かつ都営浅草線に乗り入れられないためか、車庫で昼寝していることが多くなってしまいました。

その後、平成22(2010)年5月から横浜方面から羽田空港へ直通する「エアポート急行」が登場し、2000形8連はこの運用に充当されることが多くなり、同形は水を得た魚のように生き生きとなったように思いました。

しかしそれも長くは続かず、新1000形の増備などによって運用数が減り、徐々に2000形自身も勢力を縮小していきました。一昨年に4連が全廃されたあとは8連のみが使用されてきましたが、それも最後の2本となり、今月中に退役するということです。

 

35年の一生を見ると、不遇をかこった感もある2000形ですが、品川発着の「A快特」の殆どをクロスシート車で統一し、劇的なサービスアップを実現、京急のイメージリーダーとして君臨したことは、同形の大きな功績です。

その功績を讃えつつ、去り行く2000形に、献杯!

 

◇関連記事

№1392.いつみても波瀾万丈~feat.京急2000形

№3120.いつまで続く? 2000形の「エアポート急行」での活躍

 

※ 当記事は03/07付の投稿とします。また、当記事で使用している写真は、全て以前の記事からの転載です。

4385.【祝・複々線供用開始】3.17ダイヤ改正前夜の各駅を見る その1 世田谷代田駅

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3.17ダイヤ改正によって、大きく変わろうとしている小田急。

その大変革を前にした3月3日、小田急は代々木上原-梅ヶ丘間の複々線及び登戸駅1番線の供用を開始しました。

そこで、管理人は今日、東北沢・下北沢・世田谷代田・梅ヶ丘の4駅に合わせて登戸駅を訪問・視察して参りました。今回以降、そのレポを順次アップしていきたいと思いますので、よろしくお付き合いのほどを。

なお、アップの順番は、管理人が訪問した順番とします。駅の順番とは異なりますが、その点は悪しからずご了承ください。

 

まず東急バスを「反11」→「森91」と乗り継ぎ、代田四丁目バス停で下車。元小田急線の陸橋を通り過ぎてしまったので、環七沿いに戻る形になりました。

 

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現在も陸橋は残っている

 

この写真の左側の側道に入ると、世田谷代田駅の入口は指呼の間。現在も環七を跨ぐ陸橋は残っていますが、勿論電車が通るわけはなく、人道橋になっています。

 

そして世田谷代田駅へ。

以前は下層の急行線に仮設したホームで客扱いしていたものですが、その上層に専用のホームができたため、急行線の仮設ホームへ通じる階段・エレベーターは取り残された状態になっています。

 

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通路を失って孤立したエレベーター

 

急行線に仮設したホームは相対式でしたが、こちらは下りホームに通じるエレベーターです。

同じく下りホームに通じる階段。こちらも3月2日限りでお役御免となりました。

 

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複々線供用開始を伝えるポスターが哀愁を誘う

 

現役のホームだった時代に貼られた告知のポスターがそのままになっていました。

 

このような「取り残された階段・エレベーターの入口」は、上り線側にも残っていました。

 

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こちらにもポスターが残っている

 

エレベーターはこのとおり↓

 

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取り残された感がありあり

 

しかしこれ、終末感というか、なぜここにこんなものが…という感が強いです(^_^;)

路上観察学では、「なぜここにこんなものが」という物件について「超芸術トマソン」とか「トマソン物件」とか呼ばれるそうですが、まさにこれらは「世田谷代田駅の超芸術トマソン」。階段の方は非常時の脱出口として残しておくという話があったのですが、エレベーターはどうするのでしょう?

 

こちらはエレベーター・階段への通路が達していた当時、昨年9月の時点の写真。

 

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確かに仮設感は満点だった(☆)

 

こちらは定点撮影。

1枚目が昨年9月の撮影(☆)で、2枚目が今日の撮影です。いずれもあえてノーキャプションで。

 

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完成後はホームドアが設置されるかと思っていたら、扉間のホーム柵だけ。しかし改正後はこの線を通る通過列車が出現するはずなので、早晩必要性が浮上するものと思われます。あるいは、柵の設置自体が準備工事なのかもしれませんが。

 

最後に、以前の記事(下記関連記事参照)でレポした、「小田急環境ルーム」。

複々線供用開始後も残っていました。

 

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いつまで残る?

 

ここはいわば「小さな博物館」の趣すらありますが、恒久的な施設にするのでしょうか。

 

◇関連記事

№4209.「HELLO NEW ODAKYU」その進捗やいかに? その3 世田谷代田駅編

№4354.世田谷代田駅「小田急環境ルーム」を見る

 

※ 当記事中の写真に☆印を付けたものは、以前の記事からの転載です。

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