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4426.廃止1週間後の「園02」の沿線をたどる その2 (園02-両端)+渋21=渋22

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というわけで、今回は4月1日から走り始めた「渋22」の乗車です。

「渋22」は以前にも存在しましたが、それは渋谷駅-三軒茶屋-経堂駅間の路線で、現在の「渋22」とは縁もゆかりもありません。現在の「渋22」は、「園02」の両端を切り落として独自需要のある区間のみを残し、さらに三軒茶屋・渋谷方面へ延長すべく「渋21」(渋谷駅-上町駅)とつないだ路線です。

新生「渋22」の乗り場は、「渋21」「渋23」(渋谷駅-三軒茶屋-農大前-祖師ヶ谷大蔵駅)と同じ、駅西口の34番乗り場。この乗り場は、JRの南口改札を出て左に行くとすぐの場所という超一等地にあります。それも道理、「渋21」は頻発運転の超ドル箱路線だから。

 

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超ドル箱路線の乗り場と共通

 

1806分発の「渋22」となる車両がやってきます。

 

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ブレブレで失礼

 

車は弦巻の718号、日デスペースランナー(西工車体装架)です。

 

34番乗り場の系統案内図。

 

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左側の青い線が渋22

 

以前にも渋谷駅から用賀駅へ直行する路線はありましたが、あれは玉川線廃止代替路線の「渋02」で、国道246号を直進する路線だったため、現在の「渋22」は、先代の同名系統とは勿論のこと、「渋02」系統とも全く無関係な路線となっています。

管理人は幸運にも進行方向左側最前列、通称「ヲタ席」を占めることができました。

 

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大型ディスプレイに案内が表示される

 

最近の東急バス、単なるLEDスクロール式ではなく、このような大型LCDディスプレイでの文字案内になりつつあります。一昨年あたりから目黒の車に現れましたが、このところ大増殖しているような。

渋谷から三軒茶屋までは玉川通り(国道246号)を直進、三軒茶屋から世田谷通りに入り、上町方面を目指します。

しかし、管理人は不覚を取ってしまいました。松陰神社前まで達した時点で、いつの間にか記憶がorz これはいわゆる「寝落ち」でして、農大前を過ぎて世田谷通りから用賀中町通りに入るまで、記憶がぶっ飛んだままでした。

それでも気が付いた時点で管理人が車内を見ると、管理人を含め乗客は6人。独自区間の需要はこんなものかという感じもします。

 

約40分の乗車時間の後、すっかり暗くなった用賀駅バスターミナルに到着。

 

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用賀駅バスターミナルは4番乗り場

 

ここは、廃止前の「園02」と同じ場所ですが、用賀駅の世田谷ビジネススクエア側出口の真ん前なので、かなり有利な場所にある乗り場となっています。この4番乗り場の前方の3番乗り場は「用01」祖師ヶ谷大蔵駅行きの乗り場ですから、あるいは農大前方面は「渋22」(←園02)「用01」と合わせて利用してもらおうということかもしれません。

 

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着いた

 

渋谷駅ターミナルでは撮影できなかったのですが、「渋22」の用賀駅バスターミナルの発車時刻表がこちら。

 

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意外に本数が多い

 

1時間当たり3~4本が確保されていますが、率直に言って管理人はここまで本数が多いとは思いませんでした。せいぜい、「園02」の用賀駅-世田谷区民会館間の頻度に合わせて2本/時くらいかと思っていましたので。「渋22」はある意味では「渋21」の延長という意味合いがありますので、車両運用を組むのは容易だったのかもしれません。

 

感想。

これで用賀駅から上町方面への便数が、まさか「園02」廃止後増加するとは思いませんでした。「園02」廃止前でも、用賀駅-世田谷区民会館間は区間便が運転されていましたので、この区間であれば独自の需要が見込めるという目論見があったのは、想像に難くありません。それと、「渋22」になって世田谷区役所の真ん前までは達しなくなったものの、その近くまでは達することは可能なので(世田谷区役所入口バス停は通る)、「園02」廃止による利便性の低下は、こと用賀から農大前方面への利用客に関する限り、最低限にとどめられています。本数だけでいえば、むしろ上がっているともいえますし。

 

このあと管理人は、「恵32」で国立東京医療センター(旧:国立第二病院)へ向かい、さらに「渋11」で田園調布へ。田園調布では、「園02」廃止」により乗り場その他案内がどのように変わったのかを見ていきます。


4427.廃止1週間後の「園02」の沿線をたどる その3 田園調布駅バスターミナルの掲示物など

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廃止1週間後の「園02」の沿線をたどるシリーズ、田園調布駅バスターミナルの様子を取り上げます。

「園02」は、廃止前には田園調布駅バスターミナル3番乗り場を使用していました。以下当時の写真をノーキャプションで(いずれも以前の記事からの転載)。

 

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確かに3番乗り場ですね。

 

では、現在の3番乗り場がどうなっているのかと言いますと…。

 

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系統番号無しの「中町五丁目」行きの乗り場になっている

 

降車専用になったわけではありませんでした。

 

3番乗り場には、「園02」廃止のお知らせが、廃止後1週間経過したにもかかわらず掲示されていました。

 

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まだ残っている

 

そして「中町五丁目」行きバスの系統案内ですが、何と、九品仏駅・等々力七丁目・玉川警察署を経由して中町五丁目に至るようです。ということは、「園02」のルートと同じ。特に、九品仏駅以遠には「園02」の独自区間がありましたが、その独自区間が残存する形態となっています。

 

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「園02」独自区間は残った

 

しかし、時刻表を見てみると…。

 

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何と休日の1本だけ!

 

これには仰天しました。

平日、土曜には運転が無く、休日の1本だけ、それも夕刻に1本が出るだけという…。究極の免許維持路線です。

こういう、1日1本だけとか、甚だしきはこれのように休日の1本だけ運転されるバス路線は、路線免許維持のため採算度外視で運転されている路線であることが多く、そのためこのような路線は「免許維持路線」といわれます。

こうまでしてバス会社が路線の免許を維持するのは、勿論ひとたび廃止してしまった後の免許の再取得が困難だからですが、あの「園02」の独自区間を残すことに、どれほどの意味があるのかと思ってしまいます。勿論、それが東急バスにとって利益になるからですが(^_^;)

しかも、所管営業所も変わっていて、「園02」の弦巻が、瀬田営業所になっています。中町五丁目到着後は、回送になって瀬田に取り込まれるのでしょう。

 

田園調布駅バスターミナルの路線案内。

 

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これにはまだ「園02」が残っている

 

しかし…。

 

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抜かりはなかった

 

ちゃんと「『園02』は3月31日限りで運行を終えた」旨が注意書きとして記載されておりました。

 

うーん…。

まさか田園調布駅-中町五丁目間が路線として残るとは思わなかったです。それが一番意外でした。

 

※ 当記事は04/08付の投稿とします。

4428.【2020系2本留置中】長津田見聞録2018.04【サークルKになっていた】

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4月の長津田見聞録でございます。管理人は今日が休みだったため、前回の視察から間が空いていませんが、出撃することにしました。

 

まず、いつものとおり、つくし野駅から歩き、JR横浜線の踏切を渡って検車区の「谷底」を覗いてみると…。

 

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今日は車両が在線していた

 

しかし車号は分からず(´・ω・`)

 

これもいつものとおり、陸橋の上から検車区を俯瞰。

まず突端側を眺めてみると、2020系と6020系が見えます。

 

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分かるかな?

 

このときは、2020系が1本だけだったのに、突端へ回り込む間にいつの間にか入線してきて、2本並んでしまったのですよ(´・ω・`) おかげで(それだけじゃないけど)、撮影はできたのに乗車はできずorz

6020系が1本留置されていたので、今日は大井町線で遭遇することは無理なのか…と思っていたのですが、何と後で遭遇出来ました!(6020系に関しては、追って別記事で取り上げます)

 

↑の反対側を俯瞰。今日は6000系が2本停車していました。

 

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赤い屋根が2本並ぶのは珍しい

 

こちらも、この写真を撮影した直後、1本がここから移動してしまい、赤い屋根の2本並びはそれまでの命でした。

 

では検車区の突端へ向かいましょう。

最も外側の洗浄線では、8694Fと「伊豆のなつカラー」8614Fが並んでいました。

 

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2020系投入で真っ先に退役するのはどっち?

 

今年度から2020系の本格導入が開始されますが、今度のロットからは昨年度とは異なり、在来車の置き換えをターゲットにした増備となります。果たして「落ちる」のはどちらなのか。案外、東武に乗り入れることが無い「サークルK」編成は走行キロ数がそれほどでもないと思われるので、東武乗入編成の方が早く退役する可能性もあります。

 

そしてこちらは、8500系現役最古参の8606F。

 

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やはりラッシュが終わったらお昼寝?

 

実はこのとき、8606Fは海側(下り方左側)の扉を開け放っていました。それが分かる写真がこちら↓

 

全部の扉が開け放たれている

 

そしてこちらが、突端から撮影した2020系の2本並び。

 

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今は貴重だけど

 

「2020系デビュー」のヘッドマークが2編成ともつけられています。今日は乗ることができませんでした(´・ω・`)

しかしこの2020系の並び、もう少し経てば珍しくもなんともなくなるんでしょうね。珍しくなくなったとき、8500系が勢力を縮小するということです。東急の計画では、3~4年かけて8500系などを全て置き換えるということですが、どうなることやら。

ところで、気になったことがひとつ。

この2020系の編成、2本とも「サークルK」のマークを貼付しています。「サークルK」マークといえば、言わずと知れた東武乗入非対応編成の証。ということは、この2編成は今のところ、東武への乗入れには対応していないということです。勿論、同じサークルKでも8590系などとは異なり、東武用の保安装置は搭載していますから、このマークを貼付しているのは、東武乗入運用に入らないようにするためでしょう。恐らく、東武での乗務員の訓練がまだ済んでいないのかもしれず、それで営業列車への投入をしないようにしているのかもしれません。

 

こちらは、高台に登って撮影した、8590系から2020系・2000系まで集めたショット。

 

9000系の顔が見えない

 

ある意味では過渡期を象徴するカットです。

しかし桜が「葉桜」になってしまっていたのは何とも…この写真で写り込んでいる木の枝は桜(ソメイヨシノ)なのですが、既に散ってしまった後で、葉桜と化してしまっていました。今年は桜の開花が全国的に非常に早かったので、仕方ありません。もっとも、そのおかげで、3月末をもって廃止された三江線は、桜の舞う中でのお別れができたわけですが。

 

このあとは、長津田駅まで歩き、恩田(東急テクノシステム)の視察へ向かいます。

4429.【車両も桜も】恩田月例報告2018.04【今回は収穫無し】

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長津田からはこどもの国線の電車で恩田へ。

 

管理人はいつも、こどもの国線の電車に乗って恩田に到着する前、車窓の両側に神経を集中させるのですが、進行方向左側(工場側)には3000系が2両停まっていたのを確認したものの、同右側(高台に近い方)には車両が1両もいなかったことを確認、非常に驚きました。

 

これもいつものとおり、恩田駅から工場全体が見渡せる高台へ足を運びます。

その途中で中庭を確認。

 

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何もない

 

隅にクーラーキセ(クーラーの外被)、あとは写真には写っていませんが床下機器などが積んであるだけで、数台の自動車以外は何もありませんでした。

 

工場を見てみます。

奥にアントにつながれた3000系(3212と3262)が見えますが、車両は3000系の奥に5050系と思われる車両が1両見えるだけで、他には見えませんでした。

 

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手前側に車両がいないことに注目していただきたい

 

この手前側は、前回訪問時には1000系中間車が留置され、恐らくは福島交通向けと思われる改造の着手を待っていたものですが、それらが全ていなくなっていました。屋内に運び込まれ、本格的な工事が行われているのでしょうか。

それにしても、車両がいないのに仮台車だけが線路上に残されているのは、何ともいえないシュールな絵です。

 

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仮台車があるだけ

 

別角度から。

3000系2両+アントの他には、もう1台のアントがいるだけです。

 

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ここまで何もないとは

 

今日の恩田視察はここまで。正直なところ、収穫はゼロですが、たまにはこういうこともあります。

 

おまけ。

工場正門前では、八重桜が満開となっていました。

 

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こちらは満開

 

しかし、今日は非常に風が強く、そのため枝がしなっているように見えます。これではいかに八重桜といえども、散ってしまうのではないかと心配になるくらい。

こちらは別の八重桜とソメイヨシノ↓

 

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どちらがどちらかは分かりますよね

 

はい、満開になっている右側が八重桜、葉桜になっている左側がソメイヨシノです。

 

今年は、桜の開花が全国的に早く、しかも開花から満開までの間も短かったため、前回視察時に少しだけ咲いていたソメイヨシノも、今回はすっかり葉桜にorz おかげで「さくらてつ2018」は今年はありません。来年に期待します(^_^;)

 

4430.路地裏の超特急~京急「快特」物語 その12 紆余曲折を経て現行ダイヤへ

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その11(№4421.)から続く

 

今回は予告とは内容を変え、平成14(2002)年、平成22(2010)年及び平成24(2012)年のダイヤ改正を取り上げます。

いずれも京急蒲田駅の改良にかかわるものですが、そうすると「京急蒲田駅の改良が本線系の快特と何の関係があるんだよ」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。確かに、この3度のダイヤ改正は、いずれも京急蒲田駅の改良にかかわるものであり、それによって空港アクセス輸送が充実していったという過程であることは事実です。しかし、本線系の快特にとっても、この3度のダイヤ改正は無縁ではありませんでした。そのことは、お読みいただければお分かりいただけると思います。

 

◇平成14年10月ダイヤ改正

このダイヤ改正に際し、①京急蒲田駅の京急川崎方に渡り線を新設、この渡り線により、横浜方面から羽田空港への直通列車を恒常的に運転可能としました。同時に②京急蒲田-糀谷間のポイントを京急蒲田寄りに移設し複線区間を延伸、単線区間(第一京浜国道の踏切は単線)を短縮しました。あわせて③京急川崎駅構内の引上線に品川方から直に入線できるように改良しています。

これらにより、横浜方面と空港線方面との行き来が容易になっただけではなく、②によって空港線内ダイヤ作成の柔軟性が向上、さらに③によって羽田空港方面から来た列車が一時的に待避して後から来る快特をやり過ごし、そのあと京急川崎駅に進入して快特の後部に併結される…という一連の流れが可能になりました。

このとき運転された空港線から横浜方面への直通列車は4連とされ、8連の快特の後部にぶら下がって金沢文庫まで運転されることになりました。

つまり、この改正により、ほぼ終日にわたって分割併合が金沢文庫と京急川崎の両駅で見られるようになり、同時に京急川崎-金沢文庫間で快特が12連で走るという光景が展開することになります。

なお、上りの場合はこの逆で、金沢文庫で4連を8連の快特の後部につなぎ、京急川崎で切り離し、先に8連の快特が発車、その後を追って4連が京急蒲田へ走り空港線へ入るというルーティーンとなっています。

ちなみに、この4連が金沢文庫止まりかというとそうではなく、金沢文庫で解結されたあとは、普通として新逗子又は浦賀へ直通しています。上りの場合も、新逗子又は浦賀から普通車として来た4連が、金沢文庫で快特の後部につながれています。

以上の空港アクセス輸送関連とは全く無関係ですが、品川発着だった京急の最優等種別「A快特」が、この改正から泉岳寺発着に改められています。これにより、都営浅草線との接続が改善しましたが、これは正面に非常用貫通扉を持つ2100形だからこそ実現したものです。既に先代快特専用車2000形は、平成12(2000)年までに3扉化が完了していますが、それでも時折2100形の代走として「A快特」に入ることがありました。しかし、このダイヤ改正により「A快特」の泉岳寺乗り入れが恒常化されたことにより、以後同列車に2000形は充当されなくなりました。あるいは品川発着に変更の上で充当という、イレギュラーな事態はあったかもしれませんが、これにより2000形、特に8連の稼働率が大幅に落ちてしまいました。4連は増結用や普通車などに重用されていたのですが、ここで明暗を分けています。

 

◇平成22年5月16日ダイヤ改正

これは京急蒲田駅上り線の高架化完成とそれによる単線区間の解消によるもので、平成11年の全面ダイヤ改正から11年ぶりとなる全面改正となっています。

この改正に際し、京急蒲田を素通りする列車「エアポート快特」が登場したのは以前述べたとおりですが、空港アクセス輸送にはさらなる変化がありました。

この改正では、横浜方面から羽田空港への乗客が増加してきたため、従来は快特に併結していた直通列車を独立させ、新たな種別「エアポート急行」として設定しています。「エアポート急行」の運転区間は羽田空港-京急蒲田-新逗子間で、かつて存在した京急川崎・神奈川新町-新逗子間の急行の実質的な復活となりました。ただし、停車駅は従来の急行とは異なり、以前の急行停車駅であった鶴見市場・花月園前・生麦・子安・黄金町・京急富岡は通過となり、逆に急行が停車しなかった仲木戸・井土ヶ谷・弘明寺・杉田・能見台がエアポート急行の停車駅となりました。同時に、品川・都営線方面から羽田空港へ向かう急行については「エアポート急行」と改称され、両者は京急蒲田を境に全く異なる運転系統となりました。そのためか「エアポート」のつかないただの「急行」は、この改正で廃止されています。

羽田空港-新逗子間の「エアポート急行」新設で、8年ぶりに2000形8連の稼働率が上昇、本線での通過運転では持ち前の高速性能を発揮、快特時代のイケイケな走りを見せ、健在ぶりをアピールしています。

なお、この改正に伴い、快特の停車駅に金沢八景が追加され、逗子線や横浜シーサイドラインとの乗り換えの利便性が向上しています。快特の停車駅は、このとき以来現在に至るまで変わっていませんが、金沢八景を快特停車駅に追加したことにより、快特が通過し特急が停車する駅は、青物横丁・平和島・神奈川新町・追浜・汐入の5駅しかなくなってしまいました。平成11(1999)年ダイヤ改正以前と比べれば、快特と特急の差はわずかになっています。

この2ヶ月後、成田スカイアクセス線が開業し、それに伴うダイヤ改正がなされますが、このとき羽田空港-成田空港直通列車が復活しました。ただし、京急線内のダイヤについては、大きく変わることはなく微調整にとどめられました。

 

◇平成24年10月21日

この日、京急蒲田付近の高架化が完成し、京急蒲田駅は完全に高架化されました。これに伴い、従来は3本/時だった横浜・新逗子方面への「エアポート急行」を6本/時に倍増しました。その他、品川方面からの「エアポート急行」を快特に格上げするなど、空港アクセス輸送の充実が図られています。

このときのダイヤが、現行ダイヤの原型となっています。

 

その後、平成27(2015)年12月には朝通勤時間帯の着席需要に応えるため、「モーニングウイング号」の運転を開始しました。始発駅は三崎口ではなく三浦海岸とされており、停車駅は横須賀中央駅、金沢文庫、上大岡、品川、泉岳寺となっています。久里浜線内に通過駅が存在する列車が運転されるのは、平成11年ダイヤ改正以前の快特以来。ただし停車駅は少なくても、格段に速いというわけではなく、通常の快特とほぼ同じ所要時間となっています。

 

それから現在に至るまで、快特は本線系でも空港アクセス輸送でも、京急の最優等種別かつ列車ダイヤの基幹として君臨しています。

 

以上で、京急の快特に関する歴史的な概観は終了ですが、次回と次々回は番外編として、快特停車駅の変遷及び「快特」にまつわるネタあれこれを取り上げようと思います。

 

-その13に続く-

4431.ORANGE STREAM~6020系大解剖(外観編)

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去る3月30日のダイヤ改正で、東急の新型車両2020系・6020系が営業運転を開始しました。

両者は共通の設計思想に基づいて製造された完全な兄弟車であり、編成両数変更に伴う機器配置の変更をせずに済む設計となっていて、東急の多摩川・池上線以外の全路線への投入が考慮されています。そしてメカニックはJR東日本のE235系に準じており、車体構造は第4世代のステンレス車といえる「Sustina」で、コルゲートはおろか継ぎ目すら全くない、完全に平滑なボディが特徴的です。

 

まずは編成の姿を。

 

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丸みを帯びた姿

 

東急では平成4(1992)年に登場した2000系まで、先頭形状はシンプルな切妻を墨守してきましたが、切妻では高速運転時の列車風による騒音が問題となり、そのため平成11(1999)年登場の3000系からは切妻を捨てて丸味のある先頭形状に変化、平成14(2002)年の5000系では直線的でありながら角を落とした独特の形状になりました。それが平成19(2007)年登場の7000系では曲線的な流線形となり、今年登場した2020系・6020系は7000系とはまた違う、丸みを帯びた形状となっています。

比較の対象として、2020系の写真を↓

 

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完全な兄弟車(以前の記事から転載)

 

先頭形状の違いは殆どなく、違いは帯の色だけとなっています。

正面の表示は、行先・種別とも一体化され、JR東日本のE233系及びその兄弟車(都営地下鉄10-300形の後期型など)と同じような見た目となっています。

 

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やや窮屈?

 

この横長のスペースに、種別・駅ナンバリング・行先駅名を全て表示するのですから、やや窮屈な感もあります。JR九州の電車・気動車は、コストダウンを狙ってバス用の表示装置をそのまま搭載しているそうですが、あれを搭載してしまえば…とも思いますが、そうするとこのような先頭形状を実現するのは無理ですね(^_^;)

 

正面には6020系のデビューを記念するヘッドマークが飾られていました。

 

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楕円形のヘッドマーク

 

それにしても、車号が斜めに記されているのは奇異な感じがします。かつてJR東日本で、電化前の相模線で運用されていたキハ30系が、正面に斜めに車号を入れていたことがありますが、他に例があるのはあれぐらいでしょうか。

 

ところで、6020系の独特の流線形、この車両にもよく似ていると思いませんか?

 

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同じ「Sustina」の京王5000系(以前の記事から転載)

 

ただしこちらは、6020系とは正面窓の形状が異なります。6020系は下部が直線ですが、こちらは前面の丸みに相似性を持たせた曲線になっていますから。

 

こちらは側面の行先表示。日本語表示と英語表示を2点、ノーキャプションで。

 

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こちらもなかなか窮屈な印象があります。これらは溝の口駅で撮影した写真で、終着駅のため「次は〇〇」が出ませんが、これが自由が丘とか大岡山とか途中駅だと「次は〇〇」が下段に出ます。

この写真、カメラを構える管理人のシルエットが写っている(^_^;)

 

実はこのとき、溝の口から大井町線に乗ろうとして、6000系の急行に乗り込んだのですよ。それが、反対側に6020系が到着したのが分かったので、発車間際に下車して6020系を待ち構えました。そこでめでたく乗車となるのですが、車内の様子は次の記事でご紹介します。

4432.ORANGE STREAM~6020系大解剖(内装編)

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前回の記事では外観を取り上げましたので、今回は内装を取り上げます。

 

扉上部には、最近の新型車両として標準装備になったといえるLCDディスプレイがあります。ただし最近の東京メトロのような3画面ではなく、オーソドックスな独立型の2画面となっています。

 

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向かって右側が案内用、同じく左側が広告用

 

2020系の特徴は、E235系と同じ「デジタルサイネージ」の採用。したがって、2020系の車内には、扉間の鴨居部にもLCDディスプレイが設置されていますが、こちら6020系には設置されていません。

 

普通の紙の広告しかない

 

今年の冬から、大井町線急行には指定席車が導入されることが決定されていますが、そのときには先頭車がL/C仕様の車と差し替えられることになっています。ということは、外された先頭車は2020系編成に転用されて、1両だけ扉間のデジタルサイネージがない車両となるんでしょうか。あるいは改造によって設置されるのか。そこも楽しみです。

 

車内全景。

床は木目調ですが、座席の下部はマホガニーを思わせる濃褐色、車両中央部が木目模様となっています。つまり中央部に木目のラインが入っている形態になっていますが、これは座席に着席したお客に足を投げ出させないように暗にサインを送っているデザインなのでしょう。

そして座席は5000系の6扉車放逐用サハや5177Fなどと同じ、ハイバックのロングシートとなっており、色調はエメラルドグリーンの濃淡となっています。

全体として、高級感と清潔感が漂う、落ち着きのあるデザインといえます。

 

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なかなか好ましい配色

 

座席はこんな感じ↓

 

座面も背もたれも独立している

 

この座席、クッションも丁度よく、しかも腰部を支えるホールド感もなかなかで、かなり座り心地の良いものとなっています。

 

こちらは優先席。

しかし、優先席は区画として黄色い帯を貼っているものの、座席の色自体は他の席と変わりません。吊革の色や黄色の帯で判るので、座席の色までは変えなくてもいいということなのでしょうか。

 

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優先席も座席の色は一般席と同じ

 

この座席の反対側は、車椅子・ベビーカーのためのフリースペースとなっていますが、こちらには簡易的なクッションが備え付けられています。

 

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それまでの車両にはなかった

 

このクッションの色、座席の座面の色と同じです。

そして貫通扉の色が、床の濃い茶色よりは薄いものの、こちらも濃いめの茶色となっています。6020系の内装は、この茶色が効いているように思えます。これがかなり高級感の醸成に寄与しているような。

それではフリースペースを示す床の表示は…と思って床を見てみましたら。

 

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ない

 

E235系にあったような、ド派手な表示はありません。

 

6721の車端部にあった銘板。

 

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「Sustina」の他「ナノイー」が目を引く

 

2020系・6020系の空調装置にはナノイーが組み込まれており、これによる空気清浄効果があるということです。

 

さらに、昨今の世相を反映するこんなものも。

 

柱に隠れているが

 

真ん中の仕切り窓の上に黒い箱のようなものが見えると思いますが、これは「防犯カメラ」です。これは言うまでもなく、痴漢・傷害など車内での犯罪防止及び実際に起こってしまった場合の証拠保全、ひいてはテロの抑止のために設置されたもの。現代の治安維持には必須アイテムといえます。

 

総括。

管理人は溝の口から自由が丘まで乗っただけですが、それでも6020系の快適性には目を見張りました。座席の座り心地もそうですが、一番驚いたのは走行音が静かなこと。初期のVVVF車、特に9000系などはやかましいパルス変調音を奏でていたものですが、それが5000系列で格段に静かになり、さらに6020系ではまた進化したといった感じです。

こんな車両が出てしまったら、一般の利用者から見たら、8500系などは完全に旧型としか思えなくなってしまうでしょう。管理人も6020系ではなく、2020系に乗って中央林間から南栗橋か久喜まで行ってみたいものだと思いました。しかし今のところ、2020系は東武乗入運用には入りませんし(乗務員の研修がまだ済んでいないらしい)、編成数が少ないので、たとえ東武乗入れが解禁されたとしても狙って乗るのは至難の業だと思いますが。これに対して、6020系は運用範囲が決まっていますので、2020系に比べれば狙うのは格段に容易です。

しばらくは6020系で我慢することになろうかと思われます(^_^;)

4433.異色のY500系~Y517F

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東急5156Fが横浜高速鉄道に移籍し、Y517編成となった…ということで、ネット上には目撃・遭遇情報が上がってきていました。

なぜ移籍したかといえば、4年前の2月に発生した元住吉駅における追突事故によって、横浜高速鉄道Y516Fが廃車になってしまったから。その埋め合わせとして、5156Fが東急から移籍し、Y517Fになったという次第。

なお、東急側の当事者(車)だった5155Fの代替としては、5177Fが新造投入されています。

 

当然のことながら、この編成は、オリジナルのY500系との相違点が少なからずあります。

外見での最大の相違点は、種別表示もフルカラーLEDであること。オリジナルのY500系は、種別表示が幕、行先表示が3色LEDですから、正面・側面とも一見して判る相違点となっています。冒頭の、正面をとらえた写真でも、種別の「各停」は幕ではなくフルカラーLEDですし、オリジナルなら3色LEDでオレンジ色の字で表示される行先も、白色の字になっています。

そして側面は、オリジナルのY500系が種別と行先が独立した形態(田園都市線用5000系の初期車と同じ)なのに対し、こちらは種別・行先とも一体化された表示となっています。ちなみにこの表示器、西武6000系も同じものを搭載しているのだとか。

 

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側面は一体表示

 

以上は外見上の相違点ですが、内装も相違点があります。それは、座席のモケットの色と妻部の仕切り壁の色。

まず、座席のモケットの色ですが、オリジナルのY500系は濃いピンク色であり、横浜にちなんだスカーフなどの模様があるのに対し、この編成は東急時代のままとなっています。

 

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Mマークと東急仕様の座席の取り合わせには違和感が

 

これは東急5050系の内装ですが、内装がこれで外装が横浜高速鉄道仕様だと、かなりの違和感を覚えます。

 

続いては、妻部の仕切り壁。オリジナルのY500系はこちら↓

 

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青色系となっている

 

ところがY517Fはこうなっています↓

 

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5050系オリジナルのピンク系の壁

 

これも5050系のオリジナルのままとなっています。

 

今後、Y517Fは、Y500系の異端編成として活躍を続けるのでしょう。東横線の車両は8連といえども東武東上線志木・西武池袋線飯能まで達する運用があるため、運用範囲が非常に広くなっていますし、しかもY500系は5050系8連と完全な共通運用が組まれているため、狙って乗車・撮影するのは至難の業と思われます。しかし、この編成の登場の経緯を考えた場合、この編成に遭遇することは、必ずしも手放しで喜べるものではありませんが…。

 

【取材日 平成30年4月9日】

 

※ 当記事は、以前に書き貯めた記事の自動投稿です。


4434.旧駅舎取り壊し完了・工事に着手した池上駅

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昨年度の設備投資計画において、橋上駅舎化がアナウンスされていた池上線池上駅(橋上駅舎化の具体的な内容はこちら)。それによると、

 

池上エリアのまちづくり機運の高まりを受け、駅利用者の安全性および地域の利便性向上に向け、駅舎の改良を行うとともに、上層階は駅ビルとして店舗や生活支援機能を導入します。また、池上本門寺などの観光玄関口としての魅力向上に向け、門前町の趣を感じさせる外観を計画し、エリア活性化につなげます。

 

とのこと。

その工事の進捗状況がどうなっているのか気になり、4月9日、長津田・恩田視察の帰りに見て参りました。

 

池上駅といえば、本門寺参詣客に対応した特徴ある駅舎が存在感を放っていたものですが…。

 

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戦前からあったらしい(☆)

 

それが、今回訪ねてみたら、この駅舎は取り壊され、仮駅舎になってしまっていました。

 

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いかにも仮設

 

改札口のない駅左側に回ってみると、以前は簡単な柵しかなかったものが、背の高い工事用の柵に変わっていました。

 

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これが昨年5月の時点での様子(☆)

 

この写真を撮影してから11か月後の現在は、こうなっていました↓

 

180409_153047_ed.jpg

クレーン車の姿も見える

 

どうやら本格的に工事に着手したようです。

 

同じ工事用の柵は、2番ホーム側にも立っています。この柵の出現によって、もともとあったホームの壁は取り壊されてしまいました。

 

180409_153803_ed.jpg

本来の壁は無くなった

 

まだ新駅舎(駅ビル)は立ち上がっていませんが、どんなものになるのか楽しみです。

ただその一方で、現在の趣のあるホームの雰囲気、東急では唯一となった構内踏切がなくなるのは、何とも勿体無い気はしますが、あくまで愛好家の戯言です(^_^;)

 

※ 当記事の写真で☆印を付けたものは、以前の記事からの転載です。

4435.21世紀の現在なお残る「目蒲線」の痕跡と旧駅名~田園調布駅東口の地図

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小ネタですが、18年前の駅名が今なお残る地図を取り上げます。

 

田園調布駅東口にある地図。

このような地図の看板は、よく駅前など街角に立っているものです。

 

このような地図自体はよく見かける

 

この地図の右下、田園調布駅西口の、扇状の道路もはっきり見えます。

で、東急東横線がこの地図の右下から右上に向かって走っているのですが、駅間の短い東横線のこと、田園調布の次の駅が描かれています。その駅から路線が分岐していきますが、これが東急多摩川線でしょう。

 

しかし、駅名をよく見ると…。

 

多摩川園駅????

 

「多摩川園駅」とは、駅の東側にあった同名の遊園地の最寄り駅として大いに賑わいましたが、昭和54(1979)年に遊園地としては閉園、その後はテニスコートとして利用されていましたがそれも平成14(2002)年閉鎖、さらに一部の敷地がある宗教団体に譲渡され、残りは公園となっています。

そして「多摩川園駅」(昭和52(1977)年までは『多摩川園前駅』だった)は「遊園地は死して駅名を残す」状態だったのですが、平成12(2000)年8月の目蒲線分断・運転系統変更の際、現駅名に改称しています。

したがって、「多摩川園駅」という駅名、改称により消滅してからでも今年で既に18年が経過していることになりますが…ということは、この地図は、設置されてから少なくとも18年間はこのまま、ということです。

 

既に目蒲線分断・運転系統変更から20年近く経過し、さらに近い将来は相鉄との相互直通運転も噂されていますが、「目蒲線」の名残がこんなところに残されていようとは。

 

※ 当記事は04/15付の投稿とします。

4436.路地裏の超特急~京急「快特」物語 その13 「快特」停車駅の変遷まとめ

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その12(№4430.)から続く

【皆様へ】

桜のデザインに変更したことと因果関係があるのかどうかは分かりませんが、最近PC画面でコメントの表示がなされないことが多くなり、PCからのコメント返信に支障を来しております。そのためコメント返信の遅れが生じておりますが、ご容赦くださいm(__)m

まず初めにお断り。
京急は駅名の変遷が目まぐるしいですが、当記事においては、駅名は全て現行のもので表します。また、「エアポート快特」など羽田空港への列車は取り上げません。

今回は番外編として、快特の運転開始以来の停車駅の変遷についてまとめてみます。
既に概観してきたとおり、快特(快速特急)は、特急の停車駅が増加したことに鑑み、さらなる速達列車が求められたことにより登場したもので、当初の停車駅は「ラメール」「パルラータ」として品川-浦賀間に毎週末運転されていた「週末特急」のそれに範を取って、大幅に絞り込まれていました。「週末特急」の停車駅は品川・京急川崎・横浜・金沢文庫・横須賀中央・浦賀ですが、快速特急の停車駅はそれに上大岡を加え、本線ではなく久里浜線へ振り向け、横須賀中央-京急久里浜間はノンストップ、京急久里浜以遠にも通過駅がありました。

【運転開始当時の停車駅(昭和43年6月15日)】
品川・京急川崎・横浜・上大岡・金沢文庫・横須賀中央・京急久里浜・津久井浜・三浦海岸

この停車駅は、昭和50(1975)年4月26日に三浦海岸-三崎口間が延伸開業した際にも踏襲され、単純に1駅延長されたのみで、停車駅は全く変わっていません。
ただし、当時のダイヤでは、平日の快速特急は京急久里浜折返しであり、京急久里浜から先へは先行していた特急(こちらは久里浜線内各駅停車)に追いついて接続を取るダイヤだったため、京急久里浜以遠で通過運転が行われるのは休日だけでした。
このような次第で、三崎口までの延伸がなされた以外、停車駅には変更が無かった快速特急ですが、運転開始から28年を経た平成8(1996)年7月20日から、京急久里浜以遠が各駅停車となっています。

【京急久里浜以遠各駅停車化(平成8年7月20日)】
※    追加された停車駅は太字で表記。以下同じ。
品川・京急川崎・横浜・上大岡・金沢文庫・横須賀中央・京急久里浜・YRP野比京急長沢三浦海岸・三崎口

このとき以降、五月雨式に停車駅が増えていくことになります。

【羽田空港ターミナルビル直下への乗入れ実現時点での停車駅(平成10年11月18日)】 品川・京急蒲田・京急川崎・横浜・上大岡・金沢文庫・横須賀中央・京急久里浜・京急久里浜-三崎口間の各駅(京急蒲田を追加)

京急蒲田を停車駅に追加したのは、当時の京急蒲田駅が横浜方面から空港線へ直に入線できる配線になっておらず、横浜方面から羽田空港への直通列車を運転することが困難だったことから、横浜方面からの羽田空港アクセス向上のために快特を停車させたのが理由です。

そしてその1年後、快速特急が「快特」となり、日中の優等列車を快特のみとして、名実ともにダイヤの中心となった、平成11(1999)年7月31日のダイヤ改正では、一気に停車駅が増加しています。これは、土休日のみだった快特の三崎口発着を、A快特・都営線直通列車問わず平日にも拡大したことと、かつ日中には特急がなくなって久里浜線内を各駅停車で走る列車がなくなってしまうために採られた策でした。

【日中の優等列車が快特のみになった時点での停車駅(平成11年7月31日)】
品川・京急蒲田・京急川崎・横浜・上大岡・金沢文庫・横須賀中央・堀ノ内新大津北久里浜・京急久里浜・京急久里浜-三崎口間の各駅(久里浜線内完全各駅停車化)

さらに、平成14(2002)年10月12日には、線内の「A快特」の一部を泉岳寺まで延長しましたが、品川以遠の停車駅には変更はありません。

これで快特の停車駅の増加も打ち止めか…と思ったら、まだありました。平成22(2012)年5月16日、今度は金沢八景を停車駅に追加しています。

【停車駅に金沢八景を追加(平成22年5月16日】
泉岳寺・品川・京急蒲田・京急川崎・横浜・上大岡・金沢文庫・金沢八景・横須賀中央・堀ノ内-三崎口間の各駅

このときの停車駅が、現行の快特の停車駅となっています。

ちなみに、快特ではないただの特急の停車駅は、これらに青物横丁・平和島・神奈川新町・追浜・汐入を追加しただけ。この差を大きいと見るか小さいと見るかは、皆様のご判断次第ですが、管理人は小さいと思います。決して批判的な文脈ではなく、だからこそ快特:普通の1:1のダイヤパターンでも全体としての利便性が確保されているのだろうと。まして現在は、このダイヤパターンが築かれた平成11年の当時にはなかった「エアポート急行」があり、快特の穴埋めがなされていますから。
それでは肝心の快特のスピードはどうなんだというご意見もありましょうが、平成7(1995)年からは品川-横浜間で最高120km/hでの運転がなされていますし、車両の性能も、運転開始当時の600形(Ⅱ)や1000形(Ⅰ)に比べれば、2100形、600形(Ⅲ)、1000形(Ⅱ)は格段に向上しています。であれば、停車駅が増加したとしても、それによる所要時間の増加はスピードアップである程度は相殺できるので、あまり問題にならないといえます。それなら久里浜線内を完全各駅停車にしたのは怪しからんという声もありそうですが、そのような声は、あくまで愛好家的視点に過ぎません。久里浜線内の完全各駅停車化は、利便性を落とさずに列車本数と人員を絞って合理化を達成することに他ならず、京急の中の人たちの経営判断ということになります。経営判断であれば、愛好家的視点は意味を持たないと思われます。

…とこのように、運転開始当初に比べたらかなり増加した快特の停車駅ですが、今後はこれ以上増加することはないと思われます。増加するとしたら、快特ではないただの特急の方ではないでしょうか。京急鶴見などでは同駅を特急停車駅にという要望が地元から出ているそうですが、これはありそうな気がします。

以上、快特停車駅の変遷を見て参りました。
次回は、「快特」にまつわる雑ネタを取り上げます。

-その14に続く-

4437.もうすぐ1年~あの「4.21」後の浅草・北千住両駅を見る

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お正月以来の東武ネタです(^_^;)

 

「リバティ」500系新型特急車がデビューし、6050系が浅草へ顔を出さなくなった、あの「4.21」ダイヤ改正から、もうすぐ1年が経過しようとしています。

しかし、浅草駅や北千住駅には、まだ「4.21」以前の痕跡が残っているようで。

 

というわけでまずは浅草駅から。

「4.21」以前は、快速・区間快速列車の発車ホームとして機能していた5番ホーム。今は柵がされ、使用停止になっています。使用停止になったときは、快速・区間快速にまつわる表示物などは撤去されるのではないかと思っていたのですが、普段は使用停止にしているから無問題ということか、一部にはまだ残されています。

「6号車 快速・区間快速」の表示にご注目

 

そして、手前の柵の部分にあった「お知らせ」ですが、閉鎖直後のままの状態で残っていました。


流石に「ベンチ」は撤去された

 

1枚目の写真をご覧いただいてお分かりのとおり、流石にベンチは撤去されていますが、「4.21」改正前の姿を今にとどめています。

 

このあとは、普通電車で北千住へ移動。

北千住駅1番ホームには、快速・区間快速の乗車目標の他に、こんなものが残っていました↓


何と「6扉車の乗車位置」が!

 

6扉車とは言うまでもなく、乗り入れて来る東急5000系のそれですが、あれも既に昨年4月に全て編成から放逐され、同系は全車・全編成4扉車に統一されています。快速・区間快速の乗車目標は、↑の写真の緑の線ですが、頭上の「6扉車の乗車位置」まで残っているとは。流石に快速・区間快速の頭上の乗車目標は撤去したようですが…。

 

浅草駅5番線は、多分普段使用していないから無問題ということで、そのままにしているのでしょう。しかし北千住駅は、緑の線はともかく6扉車の乗車位置はいつまで残しておくんでしょうか。

4438.元祖「5DOORS」遂に退役~メトロ03系第09編成

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13000系の怒濤の投入により、世代交代の渦中にある東京メトロ日比谷線。

勿論13000系により03系、特に非VVVF車の5扉車組込み編成を中心に淘汰が進められているわけですが、このたび、5扉車「5DOORS」の元祖である03系第09編成が、遂に北渡瀬に回送されたということです。北渡瀬へ回送ということは、勿論退役。

 

昨年7月に南千住で遭遇したときは、まだ元気だったのですが…。

 

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このあと半年以上も生き延びたことになる(☆)

 

このときは第09編成が「回送」の表示を出して出てきて、北千住方面へ走り去っていったものですから、もしかして退役?と思ったものでした。しかし、その後も変わらず営業運転に入っていたのを、管理人は何度か目撃・遭遇しています。

そんな第09編成が遂に…ということで、日比谷線を日常的に利用してきた管理人としては、感慨深いものがあります。

 

ところで、第09編成は、その後の5扉車組込み編成の試作編成的な位置づけとなっており、そのためその後の第10編成以降とは様々な相違点があります。

それは、内装でいえば座席がバケット型でないこと(5扉車組込み編成で座席がバケット型でないのは第09編成だけ)、外観でいえば客用扉のガラスが単層式で、四隅が角張っていること。これに関しては、以前に当ブログで「03系大解剖リターンズ」でまとめたことがありますので、宜しければ該当記事をご笑覧いただければと存じます(下記関連記事参照)。

 

比較の対象として、第18編成の写真をどうぞ↓

 

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客用扉の窓の四隅が丸い(☆)

 

この第18編成は、既に退役してしまっています。

 

ところで、車両の世代交代の動きは、相互直通相手の東武でも着実に進んでおりまして、70000系が続々と投入され20000系列を置き換えております。既に20070系は3編成とも直通運用を外れ、20000系も徐々に外れつつあります。ただし、こちらは4連化の上群馬・栃木地区のローカル輸送用に転用されるようで、既に改造が済んだ姿の車両の写真がアップされております。

このたび、70000系も遂に2桁、10編成目がデビューしました。

 

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遂に2桁に達した

 

本当は20050系と並ぶ姿を撮影したかったのですが、20050系編成が先に引上げ線に引き上げていきましたので、こんな写真になってしまいました。しかし、特徴ある5扉の部分のサイドビューを入れられたから、それは良かったかと(^_^;)

 

こうなると、次なる関心事は

 

・最後の03系5扉車組込み編成は第何編成になるのか

・最後の03系は第何編成になるのか

・最後の20000系列は第何編成になるのか

・03系や20000系列の「さよなら運転」はいつになるのか

 

です。

管理人は日比谷線には一方ならぬ思い入れがありますので、たとえ「葬式鉄」と罵られようと、万難を排して参加する所存です。

 

◇関連記事

・「03系大解剖リターンズ」の記事

№2256.その1 第1編成の特徴

№2265.その2 最初の「5DOORS」・第9編成 

№2338.その3 北千住方先頭車は2代目、VVVF改造も~第02編成 

№2389.その4 量産型5扉車・第14編成と第22編成 

№2445.その5 VVVFにして5扉車組込みの異端派~第28編成

№2535.その6 再び全車3扉となった最後期型

・その他

№1126.岐路に立つ多扉車

№4131.「元祖5DOORS」の命運はいつまで? 早期退役が予想される03系第09編成

№4278.メトロは風前の灯、東武はまだまだ…明暗が分かれる「5DOORS」

 

※ 写真のキャプションに☆印を付けたものは、以前の記事からの転載です。

4439.印西市よりの使者~京急線内で「ほくそう春祭り」のPRをする北総7500形

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管理人は、去る16日月曜日、仕事が休みになったので京急沿線に出撃して参りました。

狙いは「リラックマ」関係のネタですが、その途中にこんなネタを拾いましたので、先に出させていただきます。

 

京急蒲田駅で遭遇した、北総7500形。

よく見るとヘッドマークがついています。

 

180416_160509_ed.jpg

ほくそう春祭り

 

「ほくそう春祭り」とは、平成8(1996)年から続いているイベントで、千葉ニュータウン中央駅周辺で鉄道グッズ即売会、沿線の物産販売や飲食コーナー、鉄道忘れ物チャリティーバザーなどが開催されます。

 

「ほくそう春まつり」を 4月22日(日)に開催します!北総鉄道公式より)

「東武ファンフェスタ」などのような車両基地の公開イベントではないものの、鉄道グッズの即売会などが行われる関係で、愛好家筋の注目も高くなっています。またこの日は、普段は直通列車が走らない京成上野からの臨時列車が運転されることになっており(概要はこちら)、これも愛好家の注目を集める要因となっています。

また、このイベントは単に北総鉄道という一鉄道事業者の主催するイベントという域を越え、沿線自治体の千葉県印西市のイベントとしても定着し、市もPRに余念がありません(印西市HPの該当ページはこちら)。失礼ながら、千葉県の自治体の中で印西市はそれほど注目される機会が多くないので、やはり市外・県外からの来客が期待できるイベントということで、力が入るのでしょう。
 

ヘッドマークのアップ。

 

180416_160519_ed.jpg

このマークが装着された編成は3編成だけらしい

 

しかし相変わらず、管理人の「レア車ゲッター」のフォースは健在だった(^_^;)

 

今年の「ほくそう春祭り」の開催日時が4月22日であることで、このネタを優先的に出した理由がお分かりいただけるものと思います。京急ネタを順繰りに出していって、その後にこれでは、かなり高い確率で「ほくそう春祭り」終了後に取り上げることになるでしょうから。それでは意味がないということです。

管理人も「ほくそう春祭り」に行ってみたいのはやまやまですが、今年は仕事のスケジュールの関係で無理そうです(´・ω・`)

4440.こちらの「赤い電車」は退役へ~1800系ラストランツアー開催

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「ほくそう春祭り」ネタをアップして、さてこれで満を持して京急ネタを…と思っていましたら、今日の夕方、こんなニュースが飛び込んで来ました。管理人が2番目に好きな鉄道会社である東武のこと、取り上げないわけには参りません。

 

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「急行『りょうもう』」時代を知る1800系最後の生き残り・1819F。

200系列が出揃い、「りょうもう」が特急化された平成11(1999)年以降、1800系は転用改造が施されました。ある編成は抑速ブレーキ機能を追加して300・350系に生まれ変わり、ある編成は4連に戻されて一般車としてローカル運用に使用されるようになりました。そのような中、最終編成であった1819Fだけは、製造年次が昭和62(1987)年と新しいためか、300系列へも一般車へも転用改造が行われず、「りょうもう」時代の赤地に白帯のカラーリングのまま、団体・臨時列車用として余生を送ってきました。

立ち位置としては、往年の「ゴーナナ」こと5700系に相通じるものがあった1819Fですが、ここ数年は鉄道趣味界でも去就が注目されていたのは事実です。

果たして、その1819Fも今年、遂に「引退」ということになってしまいました…。

 

往復貸切 東武1800系(1819号編成)で行くありがとう1800系ラストラン記念ツアー

電車の旅 東武沿線お出かけ情報より)

※ いずれもスマホでの閲覧推奨

 

詳細は上記リンク先をご参照願いたいのですが、概要は以下のとおりです。

 

実施日 平成30年5月20日 日曜日

運行時刻 東武動物公園駅0956→浅草1535(途中のルートは当日まで非公開)

旅行代金 大人7980円、子供6980円

参加特典 ツアー限定の1800系引退記念乗車券、記念乗車証、弁当(オリジナルの掛け紙)

その他 1800系オリジナルグッズの車内販売を予定
発売日 平成30年4月23日午前10時半から、東武トップツアーズ各支店やウェブ販売センターで発売

 

旅行代金が高いか安いかという問題はありますが、1日の大半を1819Fのラストランに浸ることができて、オリジナルグッズやお弁当が付くのであれば、代金だけの価値があるように思います。これで撮影会があれば完璧という気がしますが、むしろラストラン、乗る方に重点を置いたということなのでしょう。

 

いずれにしても、これで「急行『りょうもう』」の時代が遂に終わるということです。

 

さて、これでオリジナルの1800系が姿を消すことになりますが、では1800系から改造されたこちらの去就はどうなるのでしょうか。

 

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こちらも早晩退役?

 

宇都宮線直通特急「しもつけ」、あるいは日光・鬼怒川方面への臨時特急用として残っている350系も、いよいよ退役へのカウントダウンが始まったのではないかと思われてなりません。現に東武は、中期計画で500系「リバティ」の増備を明言していますし、500系の運用入りの前には宇都宮線での試運転もなされていますので、少なくとも500系の増備がなされた段階で、「しもつけ」は同系に置き換えの上、350系は退役でしょう。1800系の最後の生き残りとなった350系ですが、350系に残された時間は、案外長くはないように思われます。

 

列車の性格から、日光・鬼怒川方面への列車に比べれば地味だった「りょうもう」と1800系ですが、このように最後に華々しい「さよなら運転」で有終の美を飾ることができるのは、1800系も幸せ者かもしれません。

 

※ 後日関連記事を追加予定

※ 当記事で使用している写真は、全て以前の記事からの転載です。


4441.品川→京急川崎→金沢八景→三崎口 with1000形16次車

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今回から何回かに分けて、4月16日の京急詣での記事をアップします。先月の京急詣でから中1ヶ月ですが、これは前回果たせなかった、上大岡・大鳥居の各駅の訪問と、「京急120年のあゆみ号」撮影のリベンジを狙っていました。

これらは午後実行することにし、午前中は前回同様、油壺の露天風呂と三崎のマグロ賞味に当てるつもりで、朝の京急品川駅で「みさきまぐろきっぷ」を購入、勇躍改札口を通過しました。

ちなみに「みさきまぐろきっぷ」は、発駅から三崎マグロ駅…もとい三崎口駅までの往復運賃が含まれていますが、この往復乗車券は何と、三浦地区のバスに乗れるだけではなく京急線内でも途中下車自由という優れもの。今回はその「途中下車自由」という特典をフル活用することにしました。

 

通勤客と空港利用客が輻輳して混み合う品川駅から逃れるように、12連の特急三崎口行き(後ろ4両は京急川崎どまり)で脱出。あとで気づいたのですが、このとき品川駅ホームにある「巨大なリラックマ」の撮影をすっかり忘れておりました。そのことに気づいたのは、品川駅で管理人が乗った車両のドアが閉まったとき(^_^;)

 

というわけで京急川崎。

京急蒲田到着時に、1000形16次車による「エアポート急行」を確認していましたので、京急川崎で迎撃。

 

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側面も白くなっている

 

16次車にはお正月にも遭遇していますが、今回はお正月のリベンジ。

16次車、15次車以前のステンレス車とは異なり、窓周りにもラッピングが施されています。後に登場した17次車は、ステンレス車体でありながら塗装をすることになったとか。やはりラッピングよりも塗装の方が、綺麗な状態を維持しやすいんでしょうか。特にメトロ1000系には顕著ですが、ラッピングはビニールフィルムを使うので、それに静電気が帯電することで細かい埃を吸い寄せてしまうようなので。

 

車内はオールロング…ではなく、ステンレス車体に切り替えられて以来なくなった車端部のクロスシートが復活しています。ただし初期車のような両側ではなく、片側のみとなっています。片側のみクロスシート(ボックス席)という構成は東急9000系と同じですが、東急9000系とはクロスシートの配置が反対になっています。

 

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片側のみがクロスシート

 

モケットの色からお分かりのとおり、この区画は優先席。でもがら空きだからいいか(^_^;)

 

それと、注目していただきたいのは座席の袖仕切り。最近は立席客との干渉を避けるため、大型化する傾向にありますが、それによって車内が狭苦しくなったり、圧迫感を感じるようになるものです。それらを軽減すべく、半透明のアクリル板(?)がはめ込まれています。

 

そしてクロスシート部分には、一般車では極めて珍しい電源コンセントが設置されています。

 

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2つある

 

モバイル機器を使う人にとっては、こういう設備がありがたいことは事実でしょうが、ではここでどれだけ充電できるのでしょうね? 快特で品川から三崎口まで乗り通しても、フル充電はできないような。それでもある意味では「非常用電源」として、ありがたいのではないかと思います。

 

扉の上には、最近の車両の必須アイテムとなったLCDディスプレイがあります。

 

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こちらは1台

 

この反対側には2台あり、1台あるところと2台並んだところが千鳥状に配置されています。通常だと2台ある場合は1台が案内用、もう1台が広告用という使い方ですが、こちら1000形16次車は全て案内用。それでは2台目はどのように使っているかというと、中国語・韓国語での案内表示を出しています。これはもしかしたら、以前にTwitterで話題になった「韓国語だけが表示され日本語が表示されない駅の案内表示」が京急内部でも問題視され、その結果として日本語・英語は常時表示するようにしたのかもしれません。

(中国語・韓国語での案内表示の必要性その他に関しては、コメントをご遠慮ください)

 

結局、この編成を充当した「エアポート急行」には金沢八景まで乗車。金沢八景からは後続の特急で三崎口へ、三崎口からはバスで京急油壺マリンパークへ。

そして…。

 

ド平日の昼間から!

 

風呂上がりに、海を眺めながら飲むビールは最高でした。

そして、「みさきまぐろきっぷ」を呈示してどんなメニューが来るのか楽しみにしていましたら…。

 

結構豪華じゃないですか

 

マグロのづけ丼、マグロの竜田揚げ、タケノコの煮物、野菜サラダ、お新香、お味噌汁。

はい、大変おいしゅうございました(^_^)

 

これで交通費と日帰り入浴料を含めて3500円なんですから(日帰り入浴料はきっぷ付属の『おもひで券』で充当できる)、「みさきまぐろきっぷ」のコストパフォーマンスは侮りがたいものがあります。この値段なら、都内のサウナ+食事とそれほど変わらないではないかと思いました。これでは、土日祭日にマグロ料理店が大混雑になるのもうなずけます。

 

おまけ。

三浦海岸駅にあった「どこでもドア」ですが…。

 

撤去されていた

 

そりゃ当たり前か(^_^;)

4442.「かみがおおおおかえき」→京急川崎 with「リラックマのイチゴお祝い号」

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「リラックマ15周年×京急120周年記念 一緒にごゆるりお祝いキャンペーン」の一環として、京急久里浜駅が「京急リラッ久里浜駅」に、黄色の1000形が「幸せのキイロイトリ号」として運転されていることは、既に当ブログでも取り上げたとおりですが、このほか、上大岡駅と大鳥居駅が、リラックマ仕様に変更されています。

上大岡駅は、「上がお大岡駅」に。この2匹のクマは「コリラックマ」と「チャイロイコグマ」なんだそうです。

 

至福の入浴とマグロ料理を堪能し、三崎口から2100形快特で戻ります。

 

最前列

 

これは品川まで乗っていきたくなりましたが、そうなると計画が全て台無しになってしまいますので、後ろ髪を引かれる思いで上大岡で何とか下車(^_^;)

 

ホームの駅名標がこちら↓

 

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「がお」が書き足されている

 

ここで途中下車。改札を出て、まずは東口へ向かいます。

 

こちらは普通

 

それでは西口は…。

 

リラックマ仕様!

 

京急の系列会社では、4月27日から、この駅名看板と同じデザインのマフラータオルを数量限定で販売するということです(詳細はこちら)。京急リラッ久里浜駅や大キイロイ鳥居駅のも、勿論あります。

 

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このデザインのマフラータオルも販売される(以前の記事から転載)

 

後で分かったのですが、上大岡駅に直結する京急百貨店では、リラックマとのコラボスイーツもあったようです。食べてみたかったですが、多分女性の多い中に管理人のようなむくつけき男が入り込んでも、絵にならないだろうと思います(^_^;) 10年ほど前、千〇屋で2940円の桃パフェを食べたことがありますが(以前運営していた別館で取り上げましたが、別館自体を閉鎖してしまいました)。

 

駅に戻ります。

やってきたのは、管理人が乗車した2100形「A快特」の10分後を追ってきた、1000形による都営浅草線への直通快特。実は三崎口駅でこの編成を見て、乗ろうかなーと思ったのですが、2100形の最前列展望席がゲットできた後だったので、結局乗らなかったのですよ。上大岡から乗れればいいかと思ったので。

 

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「リラックマのイチゴお祝い号」

 

こちらは「幸せのキイロイトリ号」とは異なり、通常塗装の1000形にリラックマなどのキャラクターがラッピングされています。そして車体のあちこちにあしらわれているのが「イチゴ」。

 

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ほんわか脱力

 

この編成に乗って、上大岡から京急川崎へ。なお、車内は混雑していたため、車内の写真はありません。ごめんなさい。

京急川崎では、先月遭遇しながらまともに撮影できなかった、あのネタ編成の乗車・撮影のリベンジを果たすことになります。その後に「大キイロイ鳥居駅こと大鳥居駅に向かったのですが、当ブログでは時系列とは異なり、次は大鳥居駅を取り上げ、その後に大師線を走るネタ編成を取り上げるという進行で参ります。

 

※ 当記事は04/21付の投稿とします。

4443.Paint it YELLOW~キイロイトリに制圧された大キイロイ鳥居駅

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タイトルの元ネタはローリングストーンズです。

 

「リラックマ15周年×京急120周年記念 一緒にごゆるりお祝いキャンペーン」の一環として、「大キイロイ鳥居駅」に改称された大鳥居駅。大師線に立ち寄ったあとに、京急蒲田で一旦出場、空港線へ寄り道しました。

冒頭の写真はホームの駅名標ですが、キイロイトリと黄色い電車が実によく目立っています。

 

ところで、大鳥居駅は地下駅ですが、こんな場所の地下にあります↓

 

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大鳥居交差点

 

大鳥居交差点は、環八(環状八号線)と産業道路との交差点であり、どちらの道路も交通量が非常に多い、都内屈指の混雑する交差点です。写真に写っているのは環八で、正面を左右に産業道路が横切る形になっていますが、大鳥居駅が地下化される前は、このような通常の形態の交差点ではなく、丁字路を2つ組み合わせた形であり、しかもその間に空港線の踏切があったそうです。踏切の上に交差点がそんな形態では、交通渋滞や交通事故の原因になるということで、立体交差化工事が行われ、大鳥居駅は平成9(1997)年に地下化されました。同時に、大鳥居交差点も現在のような通常の形態になり、交通渋滞はかなり改善されています。それでも、両方とも交通量が非常に多いのは変わりませんが。

ちなみに↑の写真でいうと、管理人が立っている位置(シャッターを切った位置)が大鳥居駅の東口、環八の外回り側であり、この写真の正面斜め右、環八の内回り側に西口があります。

その西口は、こうなっていました↓

 

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黄色くなっている!

 

京急といえば「赤い電車」であり、コーポレートカラーは青色ですが(駅名標などは青色が多用されている)、そこにこのようなキイロイ…もとい黄色い看板は、やや違和感があります。

 

以下、大看板と駅名看板をそれぞれ接写してみました。

まずは大看板から。

 

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手に持っているのは四つ葉のクローバー?

 

何ともほんわかするというか、脱力系のキャラクターです。

そしてこちらが駅名看板。

 

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デザインは京急リラッ久里浜や上がお大岡と同じ

 

後で分かったのですが、この近くにある京急バスの「大鳥居」バス停が「大キイロイ鳥居」に改称され、これと同じような黄色ベースのデザインにバス停の意匠を変更しているそうです。そちらもチェックしておけばよかったですかね。こちらはバスなので、GW中に取材することにしましょうか(^_^;)

 

◇関連記事

№4397.Free as a YELLOW BIRD~「幸せのキイロイトリ号」大解剖

4444.【あれから9年で】大手私鉄の「ゾロ目車番」列伝【かなり変動がありました】

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ブログナンバー4444という「ゾロ目」にちなみ、ネタ記事をいかせていただきます。

 

9年前、ブログナンバー1111を記念して「ゾロ目」の車番を取り上げましたが(当時の記事はこちら)、それから9年が経過し、「大手私鉄の『ゾロ目』車番」のラインナップがかなり変わってきました。今回は、どのように変わったのかを取り上げようと思います。

9年前のラインナップは以下のとおり。なお、挙げたのは当時現役だった車両だけです。

 

1111 近鉄・京王・名鉄
2222 西武
3333 京成・阪急
5555 東急・京阪・小田急
7777 阪急
8888 東急

 

それが9年でこうなりました。(太字は9年の間に新たに登場した会社)

 

1111 近鉄・京王・名鉄・京急・阪神・メトロ
2222 西武・東急
3333 阪急(京成は退役)
5555 京阪(小田急・東急は退役)
7777 阪急・京王
8888 東急

 

9年の間に、増えたのが京急・阪神・メトロの1111、東急の2222、京王の7777です。3社に在籍する1111と東急の2222は新造車(新規入籍)ですが、京王の7777は編成変更による改番であることが異なります。

 

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京急の1111は1000形ステンレス車(8次車)の8連に組み込まれている(写真は初のステンレス車である6次車)

 

この写真、何気なく撮ったんですが、1000形ステンレス車の初めての編成だったんですね(^_^;) 知らない間に「レア車」を撮影していたとは、管理人自身も驚きです。

 

東急では、2020系登場に伴って、デハ2222が誕生することになりました。当該車両は、2020系第02編成の渋谷方から2両目に組み込まれています。

 

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東急3例目のゾロ目車番

 

以上は新造車ですが、京王の7777は改造によって登場したゾロ目車番。

 

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まさか改造で登場するとは

 

これは10連の増加に伴い、7000系の編成を組み変えて10連貫通編成を4本作った際、既にあった10連貫通編成(7721~7725F)の続番として車号を付番したことによって登場したものです。

以前の記事では、

 

もう少しでゾロ目だったのに!という車両も当然ありまして、最も有名なのは京王の7020系。この車両は10連×5本あり、八王子方先頭の車号のラストナンバーが「7775」のため、あと2編成製造されていれば…と悔やまれます(←何がだ)。

 

この記事を作成・公開した時点では、まさか京王に「7777」なるゾロ目車番が登場するとは夢にも思っていなかったのですよ。それがこの記事を公開した2年後、本当に「7777」が出て来るとは。

 

反対に9年の間に退役した車両も当然ありまして、それが京成の3333と、小田急・東急の5555です。

 

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京成の3333は「赤電」最後の生き残りだった

 

京成では「赤電」と呼ばれた鋼製車が全て退役し、一般車は3400形を除いてステンレス車に統一されました。最後は4連で金町線などで運用されていましたが、末期は老朽化が隠せないレベルまで来ていました。

 

小田急の5555は、5000形(5200形)の先頭車だった車両で、こちらも退役しています。5000系列の退役により、小田急からは特徴ある「小田急顔」の一般車は全てなくなり、普通鋼製の一般車も8000形だけになっています。

 

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「快速急行」で最後の活躍

 

京成の3333と小田急の5555は老朽化による退役ですが、東急の5555は不幸な退役です。

 

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こちらは事故で編成丸ごと廃車になった(写真は同型車)

 

その理由は、4年前の2月に発生した元住吉駅の衝突事故。5555は5155Fに組み込まれた車両でしたが、その5155Fが事故の当該編成となったため、5155Fはその後運用に復帰することなく編成丸ごと廃車されてしまいました。それにより、5555も廃車になっています。

これで5555は京阪に残るのみとなってしまいましたが、その京阪5000系も、京阪でのホームドアの整備に伴い順次退役する予定であり、残された時間は多くないものと思われます。

 

その他、危なそうなのは近鉄の1111、西武の2222、阪急の3333でしょう。

 

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こちらも危ない?

 

近鉄と阪急は車齢が高くなっており、特に阪急は1300系の投入に伴って3300系の運用が狭められており、もしかすると…という気もします。西武では40000系などの投入によって2000系列を淘汰する方針のようで、初期型に属する2222は「危ない」と思われます。

 

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西武2000系も車齢が高くなっている

 

9年の間に、随分と変動があった大手私鉄の「ゾロ目車番」。

当ブログの記事が、次の「ゾロ目」ブログナンバー5555に達するまでには、あと2~3年はかかると思われますが、その2~3年の間に、これら「ゾロ目車番」のメンツがどこまで変動するのか、そこも注目したいところです。

 

※ 当記事で使用している写真は、全て以前の記事からの転載です。

 

4445.リベンジ成功! 京急120年の歩み号

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先月、京急川崎駅で遭遇しながら、まともに撮影することができなかった「京急120年の歩み号」。

これは、1500形の4連をそれぞれ戦前・戦後・現行(2種)に分けて、ラッピングにより当時のカラーリングを再現するもので、1両ごとに異なるカラーリングとなっています。

浦賀方先頭車は、↓のような赤茶色。この赤茶色は、大正期から戦前・戦後にかけて活躍したデ51形をイメージしているとのことです。

 

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他の京急の車両とは色味が異なる

 

こちらが浦賀方先頭車・1521のサイドビュー。

戦前・戦後の車両には必ずあった、窓の上下の補強材だけではなく、リベットのゴツゴツ、さらには客用扉の木製の質感までラッピングで再現されています。

 

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芸が細かい

 

恐らく、芸の細かさではこの1521が編成中随一ではないかと思われます。

 

こちらは2号車1522。

この車は、戦後に登場したクロスシート車・500形の塗装をイメージしています。500形といえば、現在の2100形の大先輩。ただし500形には、窓の上下の補強材がないので、1500形本来の平滑な側面のままとされています。

かと思えば、この車にも昭和の京急ファンには懐かしい表記が!

 

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「KEIKYU」ではなく「KHK」

 

かつて800形の登場時や、旧1000形の側面端部には、KHKというアルファベット3文字のロゴが必ずあったものです。昭和20~30年代には、大手私鉄では自社のロゴをアルファベット3文字で表すのが流行(といっていいのか?)しており、有名なのが東急の「TKK」。その他にも、京王の「KTR」(当時の社名は京王電鉄ではなく京王帝都電鉄だった)、小田急の「OER」、京成の「KDK」がありました。関東私鉄以外でも、西鉄が昭和末期まで「NNR」を使っていたような。

で、京急は「KHK」なのですが、これは「KeiHinKyuko」か「KeiHinkyukoKabushikigaisha」のいずれかを表すというのが一般的な理解と思われます。しかし、京急は本当は「KKK」、すなわち「KeihinKyukoKabushikigaisha」としたかったという話があります。なぜそうならなかったのかについては、やはり別のKKKと混同されるのを嫌がったからと見るべきではないかと。

ちなみに、「KKK」の略称を使っていた国際興業バスが、この略称を使い始めたのは昭和34(1959)年ですから、京急が「KKK」の採用を止めたこととは関係ありません。

 

3号車1523は現行のカラーリング。

 

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現行色

 

そして品川方先頭1524も現行のカラーリング…なのですが、1000形や2100形などに採用されている、赤地に窓周り白(アイボリー?)と、1523とは塗り分けが異なっています。1500形のオリジナルは1523の方ですから、こちらはラッピングによって再現しています。

 

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隣の1523と白の色調が違う?

 

どうも1523と1524の白の色調が違うように思われます。やはり1524の窓周りはアイボリーなのでしょうか。

 

色調が違うといえば、赤+黄の1522と現行の1523もそう。赤+黄のときは、赤が現在のそれよりもくすんだ色だったそうで、もしそうであれば、この色味の違いは再現度が極めて高いといえます。

 

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色味が明らかに違う

 

以上は外装ですが、内装でもこの編成は特徴的です。

まずは、中吊りが「京急120年の歩み号」のPRとなっていること。

 

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1両ごとの違いが説明されている

 

窓上にも京急の歴史を取り上げた掲示物が。

 

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今見ると物騒だが

 

これは昭和10年代の観光パンフレットを紹介するものですが、当時から三浦半島が観光地として注目されていたものの、同時に要塞地域として一般人の立ち入り・撮影が制限されるエリアが多かったため、注意を喚起する意味で「護れ要塞 防げよスパイ」なる、およそ観光パンフレットには不似合いなキャッチフレーズが盛り込まれたのでしょう。勿論、戦争の足音が日々大きくなってきていた、当時の世相を反映しているものでもあります。

この観光パンフレットが作られたときから約80年が経ちますが、日本は確かに表面的には平和になり、そのおかげで自由な鉄道趣味を楽しめるようにもなりました。しかし、戦勝国から国の根本規範である憲法を押し付けられ、戦後の日本はそれを後生大事に押し頂いてきました。しかも国防を他人任せ、他国任せにし続けて70年以上が経過、その結果、日本国も日本人も「国防意識」を忘れてしまったように思います。そのことに言い知れぬ危機感を抱くのは、果たして管理人だけでしょうか。

(この件に関するコメントはご遠慮願います)

 

このあと、管理人はこの編成に乗車し、京急川崎から2つ目の港町駅で下車。ここで「京急120年の歩み号」を改めて狙ったのですが、同時に思いもよらない編成にも遭遇することになりました。

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