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4406.海上の「国道16号」~東京湾フェリーに乗る

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3月12日の「京急充」の記事に戻ります。

2100形の快適な転換クロスシートに揺られ、京急リラッ久里浜駅まで戻ってきました。

 

で、ここからは久里浜港へ向かいます。

 

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行先にご注目

 

行先でお分かりのとおり、久里浜-浜金谷間の「東京湾フェリー」に乗るのですよ。

このバスに乗って10分くらい、「東京湾フェリーバス停」に到着します。

 

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広大な駐車場がある

 

バスから降りたのは、管理人も含めて10人くらいですが、この時間はフェリーの接続が1時間後なので、これも仕方ありません。この日(3月12日)は便数が少ない「Aダイヤ」だったので、1350発の後が1525発でした。そのエアポケットに、管理人はまんまとはまってしまいました(^_^;)

 

窓口でチケットを購入。

実は「三浦半島1dayフリーきっぷ」を所持していると、東京湾フェリーの遊覧運賃(金谷港で降りずにそのまま久里浜まで戻って来るもの)が割引になるということなのですが、せっかく対岸に渡るのだから降りなければつまらないと、普通の往復乗船券を購入しました。

 

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片道720円、往復1320円

 

単純に往復すると1440円ですから、120円割り引かれていることになります。

 

乗船券を買ったので、あとは乗船手続きを待つばかり。

その間に、ターミナル待合室から桟橋を望みます。

 

船がやってきた

 

この船が「かなや丸」です。

 

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車と人が降りて来る

 

桟橋が接続されました。

 

1510ころ、徒歩乗船のお客の乗船手続きが始まります。

 

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長い桟橋を歩いて乗船する

 

1525に出港します。

 

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日本丸

 

この日たまたま、久里浜港に停泊していました。帆は張っていませんでしたが。

 

ところで、船旅といえば、甲板の上でくつろぐのが醍醐味。

 

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開放感は抜群

 

しかしこの日、天気は良かったんですが寒かったのですよ(^_^;) 痩せ我慢も早々に、客室内に逃げ込みました。

 

久里浜-金谷間は浦賀水道を横断する航路であり、距離はそれほど長くはなく、そのため航行時間も約40分と短くなっています。この日は穏やかな航路であり、短い区間ながら楽しい船旅を堪能したことです。

 

そして千葉側の浜金谷(金谷港)に到着。

 

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こちらは金谷港

 

おしゃれな久里浜に比べると、どことなく時代がかっているような。

 

折返しの1630発の便でそのまま戻るのも芸が無いので、1便後の1720発の便で戻ることにし、徒歩8分のJR内房線浜金谷駅まで歩いてみることにしました。


4407.東京湾口道路の実現可能性は…静かだった浜金谷駅

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せっかくなので、金谷港到着後、JR浜金谷駅まで歩いてみました。

地図はこちら↓

 

 

 

 

 

道自体は分かりやすいです。

ほどなく、趣のある木造駅舎が見えてきました。

 

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浜金谷駅

 

もしかして無人駅?とも思ったのですが、一応は駅員さんがいるようで、限られた時間ながらみどりの窓口も営業しています。

 

駅構内にはこんな看板が。

 

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東京湾フェリーの宣伝

 

東京湾フェリーは以前は3隻体制でしたが、東京湾アクアラインの値下げ(開業ではない)に伴って輸送量が減り、現在では2隻体制となっています。

そういえば、以前は東京湾フェリーを軸に、浜金谷~千葉~東京~横浜~久里浜というルートを自由に乗れ、しかも品川~久里浜間なら京急にも乗れるという切符があったのですが、いつの間にか販売中止になってしまいました。

この記事を作成するにあたり、浜金谷駅のwikiを見たのですが、乗降客数の減少がすさまじいですね。平成3(1991)年の1008人(1日当たり・以下同じ)から減り続け、現在は300人とか。3分の1以下に減ってしまったことになりますが、これはやはり東京湾アクアラインと、館山自動車道の影響があるのではないかと思われます。内房線系統は特に落ち込みが酷く、特急「さざなみ」は木更津・君津以遠には運転されなくなり、しかも土休日運休という惨状。土休日には「新宿さざなみ号」が運転されますが、あれもE257系500番代の5連で運転されることが多くなっています。房総各線といえば、多くの観光客、ゴルフ客に利用されたものですが、彼らはバスや自家用車に流れてしまったのでしょうか。

浜金谷駅周辺も、失礼ながら栄えているとは言えないような状況でした。

 

そして駅前に立っていた看板。

 

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いずれも今となっては実現可能性は…

 

内房線複線化、東京湾口道路と、いずれも威勢のいい文言が並んでいますが、実現可能性は?と問われれば、地元の方には失礼ながら、今のところは殆どないと言わざるを得ません。いつごろ設置されたものなのか、看板の文字もかなり褪せてしまっています。

前者に関しても、国鉄時代やJR化後初期のように特急が頻繁に走っている時代であればいざ知らず、昼間に特急が全く走らなくなってしまった現在となっては、設備投資としてあまりにも費用対効果が見込めないと思われます。現在でも館山自動車道や東京湾アクアラインを通るバスに圧倒され、さらに東京湾フェリーにも利用者を吸い出されていますから。東京湾口道路に至っては、確かにそれが国道16号線のミッシングリンクの実現(先の記事で東京湾フェリーのルートを『国道16号の海上ルート』と題したのはそういう意味)という意味はあるにせよ、こちらも費用対効果や採算性という点からは、甚だ疑問と言わざるを得ません。いずれの計画も、今後よほど何か社会・経済状況の劇的な変化でもない限り、実現することはないだろうと思います。

 

これだけ見回して、金谷港フェリーターミナルに戻り、帰りの便を待ちます。

4408.房総の海の玄関・金谷港の表情

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冒頭の写真は以前の記事からの転載です。

この建物は、東京湾フェリーの千葉県側・金谷港のフェリーターミナル。空港でいうところの「ターミナルビル」です。

いずれも写真には写っていませんが、この写真の左側には、駐車場を挟んでショッピング・食事ができるビルがあり、右側にちらっと見える桟橋は、自動車の乗船口です。

ターミナルビルの中に入ると、その中は土産物屋と食堂、立ち食い蕎麦屋がありますが、入ってすぐのところにはこのような切符売り場があります。

 

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こちらもやや時代がかっている

 

窓口と券売機と頭上の運賃表は、昭和の鉄道駅みたいですが、実はここ、久里浜接続の京急の切符を買うことができるのです。頭上の運賃表はそのためのもので、これには横浜や京急川崎、品川など馴染みのある駅名が並んでいます。勿論、京急側でも浜金谷までの切符を、駅の券売機で購入することができます。

ちなみに、東京湾フェリーは「Suica」「PASMO」などの交通系ICカードで乗船券を購入することができます。流石に鉄道やバスのようにタッチアンドゴーということはできませんが、交通系ICカードを使って乗船することができるのは、全国でもここだけ(今のところ)。東京湾フェリーは、海運会社で唯一、交通系ICカードが使える事業者となっています。もしかしたら、東京湾アクアラインが出来上がらず、川崎-木更津間のフェリーが残存していたら、こちらもそうなっていたかもしれません。

ここにある券売機ですが、よく見ると昨今の大手私鉄での主流であるタッチパネル式ではなく、その1世代前のボタン式ですね。これも、今となってはかなり貴重になっているのではないかと思われます。

 

ところで、こちら金谷港にも「東京湾フェリー」という、久里浜側と同名のバス停があり、そこからは安房鴨川駅、上総湊駅、マザー牧場への定期バス路線が発着しています。

 

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乗客を待つ安房鴨川行き

 

このバスにも管理人は大いにそそられましたが、これに乗ってしまうと帰宅が深夜になってしまうためパス(^_^;) しかし16時台の遅い便のためか、これに乗り込んだお客はあまりいませんでした。

 

そして金谷港ターミナルビルで最も驚いたのがこちら↓

 

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昭和の駅の改札口みたい

 

中央に見える桟橋を見なければ、どこかの駅の改札口ですよこれ。しかも現在の駅は自動改札機かICカードの簡易リーダーがありますから、このように有人ブースのある改札口はめっきり見なくなりました。

昔の駅は、このブースの中に駅員さんが入り、一人一人の切符に鋏を入れていたものです。

 

実はここから管理人が船を降りたとき、折返しの便に乗ろうとしている乗船客が、ターミナルビルの外まで達しようかという長蛇の列をつくっていたのですよ。しかもその列の大半は、ゴルフバッグを担いだゴルフ客。プレー人口の減少が伝えられるゴルフですが、まだまだ多いのか…と思っていましたら、近隣のゴルフ場が送迎バスを仕立てていて、ここまで送ってくれるようです。彼らのうちの何割かは、かつてはJRを、「さざなみ」を使っていたはずだが…と思うと、内房線と「さざなみ」の凋落に思いを致し、何とも言えない心境になりました。

 

このあと管理人は、1720発の便に乗船、浦賀水道に沈む夕日を堪能しながらの帰路となりました…が、撮影機材の電源が尽きてしまったため、写真はありません。往路の「かなや丸」ではない「しらはま丸」で、しかもその「しらはま丸」は「チーバくん」仕様だったのですが…。

 

次回は、往路に乗船した「かなや丸」の船内を解剖します。

4409.【短距離故簡素な設備】解剖! 東京湾フェリー「かなや丸」【しかし独自の設備も】

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さて、それでは東京湾フェリーの「かなや丸」を大解剖してみようと思います。

 

客室は2層になっていて、乗船すると前方に客室があります。

 

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簡素な座席が並ぶ

 

写真には写っていませんが、右側にはテレビモニターがあり、大相撲中継を放送していました。

この客室のある層、ここは下層客室にあたりますが、その下層客室から階段を上がると、そこは上層客室。広々としたスペースが広がっています。

 

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上層客室にはロビーのようなスペースがある

 

↑の写真を撮影した位置から左側を見ると、売店があります。ここでは飲み物、軽食、土産物、東京湾フェリーのグッズなどを売っています。

 

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売り物は充実している

 

片道1時間に満たない短距離航路にしては、充実した設備と品揃えだと思います。

 

売店のある区画の後方は、こんなスペース。

 

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ラウンジのよう

 

昔のブルトレ「はやぶさ」などのロビーカーを大規模にしたような空間が広がっています。一つ間違えるとナイトクラブの趣も。

 

前方の一般席はこんな感じです。

 

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鉄道車両よりは格段にシートピッチが広い

 

リクライニングこそしませんが、鉄道のそれよりもはるかにゆったりとしたボックス席が展開していました。もっとも、全てがボックス席というわけでもなく、一部は進行方向に向けて固定されています。

ただし、写真でお分かりかもしれませんが、鉄道車両のそれよりは背もたれが低く、何となく落ち着かなさもあります。しかしこれは、短時間の航海なので仕方ないものと割り切っているのでしょう。

 

ちなみに、片方向向けに固定された座席は、背後にテーブルが仕込まれています。

 

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発想が国鉄の特急型車両と同じ

 

昔のキハ80系とか、485系の初期型もこんな感じでした。もっとも、こちらは背もたれが低いので、テーブルも小さくなっていますが。

 

以上は上層客室ですが、上層客室のさらに上が遊歩甲板になっています。

 

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開放感抜群(以前の記事から転載)

 

天気はいいので実に気分はいいのですが、寒かった(^_^;)

 

最後に。

恐らくは東京湾フェリーの船にしかない、この設備。

 

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下層客室の後方にある

 

これは、ゴルフバッグを置くスペース。

東京湾フェリーの乗客には房総のゴルフ場でプレーするゴルフ客が多いのですが、そのゴルフ客の需要を見込んで、甲板上にこんなスペースを用意しているのです。これは久里浜→金谷の便で撮影したので、このようにすっからかんなのですが、帰りの1720発の便では、このゴルフバッグを置くスペースは、全部とは言わないまでもかなり埋まっていました。なるほど、これならこのようなスペースを用意する必然性もあるのだ…と思ったことです。

ちなみに、彼らは徒歩乗船。自家用車での乗船なら、ゴルフバッグは車に積んだままでいいので、こんなところに置くわけがありませんから。

それでは彼らはどうやって帰るのかというと、久里浜港に到着してみて初めてわかりました。彼らは久里浜港の駐車場に自家用車かレンタカーを停め、その上でフェリーに乗船、房総のゴルフ場でラウンドしてフェリーで戻り、久里浜港に停めておいた車で帰る、ということのようです。そして金谷港との行き来は、各ゴルフ場が仕立てる送迎バス。だから、金谷港にはゴルフバッグを担いだゴルフ客が多かったのですね。

しかし、この日はド平日だったのに、それでもゴルフに行ける人って(^_^;)

 

「しらはま丸」は平成元(1989)年12月の就航で、今年で就航30年目にあたります。そのせいか、座席などあちこちにはくたびれた様子が見て取れ、それはちょっと残念でした。流石に東京湾口道路が実現するとは思えませんが、それでもアクアラインで乗客減が見られることから、代替船の新造など大規模な投資は憚られるのでしょう。

 

今度はもう少し暖かくなってから、浦賀水道横断の船旅を楽しみたいと思います。

 

このあとは久里浜港からバスで京急リラッ久里浜駅に戻りました。最初は上大岡・大鳥居の両駅を視察するつもりでいましたが、撮影機材の電池切れ、しかも予備電源を持ってこなかったことでギブアップ、おとなしく快特で京急川崎まで戻りました。しかしその快特が、何と1000形(Ⅱ)のシーメンスインバーター! すでに絶滅したと思っていたのですが、まさかあのサウンドがまた聴けるとは! 写真を撮影できなかったのは残念ですが、最後にシーメンスインバーターに遭遇、あのサウンドを聴くことができたので、プラスマイナスゼロだったと思います(^_^;)

 

以上で、3月12日の「京急充」の記事は全て終わります。お付き合いいただきありがとうございました。

4410.【デビュー前の車両置き換え】東急、自前の有料座席指定サービス開始へ【まさか大井町線に】

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3.30ダイヤ改正と2020系・6020系のデビューが待たれる週初めですが、その週初めに、驚くべきニュースが飛び込んできました。

このニュースはTwitterで騒がれていましたが、管理人は当初、ガセネタだと思って一顧だにしていませんでした。しかし、自宅に帰って半信半疑のままPCで検索してみると、まさかの公式発表!

 

当社初!平日夜の有料座席指定サービスを大井町線で開始! 2018年冬、大井町駅から田園都市線方面への平日夜の帰宅をより快適に!(PDFファイル注意)

 

当社は、2018年冬から、当社初となる平日夜の有料座席指定サービス(以下、本サービス)を大井町線で開始します。本サービスは、平日夜に、品川エリアなどから大井町駅を経由して、田園都市線方面に帰宅する際の着席ニーズにお応えするものです。
本サービスは、3月28日(水)から運行開始を予定している、大井町線新型車両6020系(7両編成)のうち1両を、ロングシートからクロスシートへ転換できる車両に置き換え、平日の19時30分から23時台の間に5本程度を、座席指定サービス車両として運用します。また、座席数は40席程度を予定しており、走行ルートとしては、大井町駅発・田園都市線直通の急行長津田駅行きとして運行する予定です
(以下略

 

東急電鉄公式より。赤字は管理人)
 

うわ、マジだ…。

しかし、まだ運用入りしていない(明後日に運用入り予定)車両を、置き換えるっておい…。

 

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デビュー前にとんでもない発表が

 

「置き換え」とは言っても、まさか廃車にするわけはありませんから、浮いた先頭車は2020系の増備編成のそれに転用されるのでしょう。

しかしそうなった暁には、車内のデジタルサイネージはどうなるんでしょうね? 2020系はE235系と同じように、扉間の鴨居部にもLCDディスプレイがありますが、6020系にはありません。管理人の予想では、多分ディスプレイ増設の改造はやらないと思います。で、その「ディスプレイ増設改造を受けていない元6020系の先頭車を組み込んだ2020系編成」がレア編成扱いされるのではないかと(^_^;)

 

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やはりこちらに編入される?

 

それにしても、座席指定列車(正確には指定席車を連結した列車)を東横線や田園都市線ではなく、大井町線で行うのには驚きました。東横線や田園都市線の方が、着席列車の需要は大きいはずですから。やはり、この両路線にとって渋谷駅がただの中間駅でしかないことが大きいのではなかろうかと思われます。1面2線しかない田園都市線渋谷駅は勿論、一応2面4線ある東横線渋谷駅でも、折り返しの余裕はそれほどあるわけではありませんし。

 

以上の指定席車連結列車は6020系だけで、こちらは全車自由席のようです↓

 

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7連化された6000系

 

こちらは流石に先頭車を他路線に転用するわけにはいかないんでしょうね(^_^;)

ということは、指定席車を連結する列車は、6020系の運用に限定されることになります。6020系に乗ってみたい人は、この列車あるいはこの列車と運用がつながっている列車を狙えばいいことになります(運用のつながりは『東京時刻表』などの列車番号で判る)。

 

ところで、管理人が気になったのが、この列車について「当社初」の「有料座席指定サービス」としている点。既に西武から乗り入れて来る「S-Train」があるではないかと思いますが、あれは西武が運行する列車で西武の座席予約システムに乗っかっているので、自前の座席予約システムを構築するという点では、確かに「当社初」といっていいのだと思います。

 

東急初となる「L/Cカー」の内装はどうなるのか、座席予約システムはどうなるのか、それらの点も注目したいところです。

 

※ 当記事で使用している写真は、全て以前の記事からの転載です。

4411.【丸ノ内線新型車概要発表】メトロ、平成30年度事業計画を発表【半蔵門線も導入検討開始】

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02系の退役のアナウンスがなされたのは、一昨年発表された東京メトロの中期経営計画「東京メトロプラン2018~『安心の提供』と『成長への挑戦』~」の中ですが、具体的な新車の概要に関しては、この時点ではまだ発表されていませんでした。

それがこのたび、「平成30年度事業計画」の中で発表されています。

 

平成30年度(第15期)事業計画

2018年度 第15期事業計画 主要施策

(いずれもPDFファイル注意)

東京メトロ公式より)

 

これによると、丸ノ内線の次期新型車両は「2000系」となるようです。

 

2000系ねえ…

2000系というとあれか、扉のところに転落防止のステップをつけるんだよな?

そんでもって、赤い色に白帯を巻いてはいるけれど、その白い帯の中にサインカーブが無いという。

 

…いい加減突っ込んでやってください(殴

 

…余談はさておき、管理人のような昭和の鉄ヲタには、地下鉄で2000系というと、こちらの銀座線の車両のイメージが強いので。

 

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2000というとこれ(銚子電鉄移籍後)

 

あるいは、丸ノ内線の2000というとこちら↓

 

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方南町支線時代の2000形はこんな感じだった(同前)

 

回りくどくなってすみません。

管理人は2000形のイメージがあまりにも強かったので、丸ノ内線の新車はもしかしたら「300系」になるのではないかと思っていたのですよ。勿論3桁では収まり切れませんから、301-1-301-2…301-6みたいな、東武と同じような付番方法で。

しかし2000系ですか…。

 

この2000系、ラッピングで真っ赤な車体色を纏い、さらに窓上に白帯とサインカーブが入るようです(先頭車は車体下部から立ち上がって窓上に至る)。このようなデザインは、ホームドアの設置によりホームから車体の下半分が見えにくくなった現状からすると、やむを得ない変化ではないかと思います。

あとは、車端部の窓を丸窓にすることと、座席にコンセントを設置すること。丸窓はこれまでの日本の地下鉄にはなかったものですが、もしかして船舶のイメージなんでしょうか。

 

以上は2000系に関するお話ですが、その他上記リンク先で気になる情報は、2020年をめどに半蔵門線に新型車両を投入する計画の検討に入るということ。

 

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フルカラーLEDに換装されて意気軒高だが

 

就役後40年が見え始めたとはいえ、制御装置を更新し、行先表示器もフルカラーLEDに換装して意気軒高な8000系ですが、流石に車齢には勝てないということなんでしょうか。やはり15年前の東武乗入開始に伴う走行距離激増で、老朽化が進行しているのかもしれません。

しかしですねえ。

走行距離激増に伴う老朽化の進行というのであれば、こちらはどうなんだという気がしますが…。

 

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7000系はいつまで使うの?

 

6000・7000・8000の「営団チョッパ三兄弟」は明暗が分かれていまして、6000系は完全淘汰が目前、7000系は勢力を縮小したものの制御装置を更新し「5直」ルートと有楽町線で現在なお八面六臂の活躍、8000系は前述のとおり全車健在で意気軒高です。

しかし、7000系は8000系よりも車齢が高く、いくら制御装置を更新して車齢が事実上リセットされているとしても、7000系より8000系・08系の退役を視野に入れているとは、にわかには信じ難いものがあります。

あるいは、8000系を8連化して7000系を置き換えるのでは、という予測もあります。現在の7000系の8連は確か15本ですから、19本の8000系は十分にその所要数を充たします。それでは08系はどうするのかといえば、こちらは同じように7000系10連を置き換え。7000系10連は確か6本で、08系の編成数と一致します。ただそうすると、「5直」の車種が増え過ぎてしまうことになりますし、今更8000系や08系にATO運転に必要な装備を搭載するのかという疑問もあります。確かに、帯の色を変えた08系が「Fライナー」の表示を出して、東横線や西武線を爆走する姿を見てみたい気もしますが。

しかし、7000系は「5直」のATOに対応する改造が施されていて、運転台まで一新されていますから、そこまで手をかけた車両を改造後10年程度でお払い箱にするとは思えません。

もしかしたら、半蔵門線には新しい制御装置の導入が考えられていて、それが故の8000系・08系退役なのかもしれません。改造に費用をかけるなら、いっそ新車を入れてしまった方がインパクトが大きく、利用者や世間にアピールができると考えた結果かもしれないとも思えます。

 

今のところは、2000系の現車の登場を楽しみに待ちましょう。

 

※ 当記事で使用している写真は、全て以前の記事からの転載です。

※ 平成30年3月27日 一部訂正

4412.路地裏の超特急~京急「快特」物語 その10 もうひとつの快特「エアポート快速特急」登場

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その9(№4403.)から続く

 

今回は、本線系の快特とは一線を画する、京急の「もうひとつの快特」について取り上げます。

 

その「もうひとつの快特」とは、羽田空港へのアクセスを主眼とした「エアポート快速特急」のこと。当時は未だ「快特」ではなく「快速特急」が正式種別でした。

京急は、羽田空港ターミナルビル直下への乗り入れを果たした平成10(1998)年11月18日、全面ダイヤ改正を行い、この日から羽田空港-成田空港間の連絡輸送を意図した「エアポート快速特急」が運転を開始しました。「エアポート快速特急」の品川-羽田空港(現・羽田空港国内線ターミナル)間の停車駅は、京急蒲田だけ。これは、成田・羽田両空港間の連絡及び羽田空港へのアクセスという、列車の任務に忠実に停車駅を選択した結果ですが、当時は横浜方面から羽田空港への直通列車がほとんどなく、そのため京急蒲田に停車して横浜方面からの利用者の便宜を図ったという面があります。

なお、この日以降、本線系の快特も京急蒲田に終日停車するように改められ、快特の運転開始以来維持されてきた京浜間の1駅停車が崩れました。

ちなみに、「エアポート快速特急」でもうひとつ注目されたのは、乗り入れ先の都営浅草線内でも通過運転を実施したこと。当時の停車駅は泉岳寺から三田・新橋・日本橋・東日本橋・浅草・押上で、押上では先行する各駅停車との待ち合わせも行いました。その後、平成12(2000)年の都営大江戸線全線開業の際、停車駅に大門が追加されています。

 

京急の空港線という路線自体は、非常に古くからある路線で、「羽田空港」という駅も昔からありますが、当時の、というより昭和末期ころまでの「羽田空港」は、現天空橋駅の近くにあり、しかも空港の敷地の外にある小さな駅でした。そのため、京急空港線は、路線名や駅名とは裏腹に、空港アクセスとは無縁の沿線ローカル輸送に従事していたのですが、昭和末期に羽田空港沖合展開の関係で、利用者が増加すれば東京モノレールだけでは対応しきれなくなるという考慮から、京急のターミナルビル直下への乗り入れ計画が浮上しました。

そこで、まず平成5(1993)年に「羽田」(現天空橋駅)が開業、さらにその5年後に、京急は羽田空港ターミナルビル直下への乗り入れを果たし、空港アクセス輸送に従事するようになります。

ちなみに、京急は東京五輪の直前、羽田空港への乗り入れを当時の運輸省から打診されたことがありますが、そのとき京急は、本線系の輸送力増強に企業リソースを集中させたいと、その打診を断っています。それ以後、京急がいくら乗り入れを打診しても、運輸省は相手にしなかったそうですが、羽田空港の拡張計画と利用者増加から、そうも言っていられなくなったということです。こういうところにも「お役所仕事」の場当たり的な様子が見て取れるような。

 

以上が「エアポート快速特急」、「もうひとつの快特」誕生の経緯です。

ただし、使用車両は京急その他乗り入れ各社の通勤型車両であり、オールクロスシートの600形以外は、ロングシートの車両でしたから、空港アクセス列車とはいえ、その限りでは日常の通勤列車と大差ないものではありました。期待された2100形の「エアポート快速特急」での運用は無し。これは、2扉クロスシート車の乗り入れを東京都と京成が嫌ったからだといわれていますが、乗降性に難があることが懸念されたのでしょう。

 

その「エアポート快速特急」は、翌年「快速特急」の略称だった「快特」を正式な種別名称とされたことに伴い、「エアポート快特」となっています。

その後の「エアポート快特」は、羽田空港-成田空港間が京成本線経由などのため時間がかかり過ぎたこと(リムジンバスなら道路混雑が無ければ1時間少々で到達が可能)、長時間乗車の際の快適性に難があることなどから、両空港間の連絡という意義は徐々に薄れ、京成線側の直通先がどんどん短くなり、かつ平成14(2002)年からは京成線内を特急ではなく「快速」という一段下の種別で運転する列車も出現、「エアポート快特」という種別は、京急と都交通局の独自の種別であるという色合いが濃くなっていきます。

しかし、平成22(2010)年7月の成田スカイアクセス線開業に伴うダイヤ改正により、羽田空港-成田空港間の速達直通列車が復活しました。この列車は、京急・都営線内を「エアポート快特」、京成線内を「アクセス特急」として運転する形態になっています。ただし「エアポート快特」を名乗る全列車が成田空港まで達するわけではなく、途中駅で接続する形態になっている時間帯もあります。

 

前後しますが、この年の5月16日に京急はダイヤ改正を実施しました。

そのときの内容に、沿線利用者も鉄道趣味界も驚愕しました。それは、「エアポート快特」が京急蒲田を通過するようになったから。

これは、京急蒲田の高架化が完成したことによるダイヤ改正であり、鉄道趣味的な観点では12年ぶりの京急蒲田通過列車の復活(京急ウイング号を除く)ですが、京急蒲田通過には大田区及び同駅周辺の住民が強く反発しました。その理由としていわれたのは、区は高架化事業の総工費1650億円のうちが200億円を負担したこと。彼らにとってみれば「金を出してやったのに、京急はそれにタダ乗りして地元に還元しない、怪しからん」ということで、大田区では「通過反対対策協議会」が組織され、通過反対の議決や今後の高架化事業の負担金の拠出拒否を示唆するなどしました。これに対し、当時の東京都知事石原慎太郎が、「通過列車があっても1時間に6本も停車する列車があるからいい(だから利便性が下がっているわけではない)ではないか」(要旨)などと発言したことで、ちょっとした政治的問題となり、一連の問題は「蒲田飛ばし」と呼ばれるようになっています。

京急もこのような「蒲田飛ばし」に対する反発を考慮したのか、2年後のダイヤ改正の際、品川-羽田空港間の「快特」「エアポート快特」を10分間隔とし、このうち「エアポート快特」だけを40分間隔として、他の大多数をただの「快特」として、京急蒲田に停車させるように変更されました。この改正内容からすれば、2年前の時点よりも京急蒲田停車列車は増加していることになります。

 

現在の「エアポート快特」は、40分間隔での運転となっていて、その他は羽田空港方面の快特でも京急蒲田に停車しますから、40分に1本、京急蒲田に停車しないことでエアポケットを作ってしまう列車を維持するよりは、「エアポート快特」であっても京急蒲田に停車させた方がいいのではないかと思ってしまいます。他方で、本線利用客と空港利用客を分離させようと思えば、京急蒲田通過は維持する必要が出てきます。

「エアポート快特」の京急蒲田通過を今後も維持するのか、あるいは直通先の都営浅草線でも通過運転をする列車の種別と位置付けるのか、京急の判断はどちらになるのか、注目したいと思います。

 

次回は、「快速特急」ではなく「快特」が正式種別になり、「快特」がダイヤの主役に躍り出た、平成11(1999)年のダイヤ改正を取り上げます。

 

-その11に続く-

4413.遂に「並木橋の墓標」撤去開始…壊されゆく東横線旧渋谷駅2018.03

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3月22日、長津田・恩田の視察を終えた管理人は、田園都市線でまっすぐ渋谷へ。渋谷駅16番出口から出て、並木橋方面へ歩きました。

すると、飛び込んできたのがこの光景。

 

180322_164929_ed.jpg

連絡橋が出現

 

これはかつて東横線の高架橋があった場所にできていますが、見方を変えればその高架橋の「復活」ともいえなくもない…って無理か(^_^;)

 

そして並木橋にあった「墓標」はどうなっているか、そちらに向かって歩いていきますと…

 

180322_165425_ed.jpg

ん?

 

以前見たときよりも高さが足りないような…。

 

↑の場所を別角度から。

 

確かに低くなっている

 

こちらは渋谷方ですが、反対側の代官山方もこのとおり↓

 

低くなってしまった

 

どうやら本格的に解体工事が始まったようです。

以前からここを見ていて、ここの部分、道路をオーバークロスしていた部分は、かなり最近まで高架橋の柱が残っていたため、もしかしたらそのまま残るのではないかと思っていましたが、やはりそういうわけにはいかなかったようです。

 

そして並木橋から都バス渋谷車庫方面を望むと…。

 

180322_165705_ed.jpg

建物が姿を現した

 

都バス渋谷車庫の近くまで行ってみると、かつてのカーブに沿って、建物が築かれていることがわかりました。

 

180322_170113_ed.jpg

これがホテルになるのか

 

ここにはホテルが建てられるようですが、どのような形態になるのかは分かりません。ただ、駅からやや遠いことと、敷地に余裕がないことなどを考えると、何でも揃っている所謂シティホテルではなく、宿泊特化型のビジネスホテルかカプセルホテルではなかろうかと思われます。渋谷は宿泊施設が少なく、それ故にかなり後年まで「成田エクスプレス」が停車しなかったのですが、それも再来年の東京五輪を機に変わるのでしょうか。

この写真を撮影した場所、高架橋が健在のときには「高架橋を走る電車と都営バス」が撮影できるスポットだったのですが、今やその面影は殆どありません。

 

今回、管理人が最もショックを受けたのは、並木橋の「門柱」が撤去されつつあったこと。あれが無くなってしまったら、渋谷駅周辺以外で東横線がこのあたりを走っていたこと、旧並木橋駅を偲ぶよすがが全く無くなってしまいます。しかしやはり、不要なものをいつまでも残しておくわけにもいきませんから、仕方ないことではあるのですが。


4414.もとすみトワイライト

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東急東横線・目黒線の元住吉駅。

この駅は高架化されていますが、地べたを車庫線が走っていること(かつての東横線の本線)、用地が無いことなどから、高架駅でありながら橋上駅という、かなり特異な構造の駅となっています。そのため、駅舎・改札部分は地上からかなり高い場所にあります。

そしてそのおかげで、駅舎・改札部分からは「眺望」を得ることができるわけで。

というわけで、当記事においては、夕暮れの元住吉駅から望んだ風景の写真をアップいたします。たまにはこういう記事があってもいいでしょう(^_^;)

 

まずこちらは、改札内から駅ホームを見下ろしたもの。このときは薄暮の状態であることがお分かりいただけると思います。

 

暮れなずむ空

 

こちらは改札外の展望スペース。ここからは武蔵小杉方の眺めを楽しむことができます。

 

武蔵小杉のタワーマンションが目立つ

 

武蔵小杉のタワマンが放つ光が、暮れゆく空に映えています。

 

元住吉駅のもうひとつの「顔」といえば、東横線・目黒線の車両基地というもの。この駅に隣接する元住吉検車区は、戦前からある由緒ある車両基地で、昭和47(1972)年に工場機能を長津田に移転するまでは、工場が併設されていました(元住吉工場)。東横線・目黒線とも他事業者路線と相互直通運転を行っているため、これら他事業者の車両が元住吉検車区に入線する機会も多く、東急以外で5社局の車両が出入りします。将来相鉄との相互直通運転が始まったら、相鉄の車両もここに来るんでしょうか。

その元住吉検車区を、ホームの横浜方から見渡した写真がこちら↓

 

180322_181352_ed.jpg

実際にはもっと暗かった

 

実際に見たとおりの写真を撮る、というのは難しいですね(^_^;)

4415.そして誰もいなくなった~CNG車が消えた臨海車庫

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年度末が迫った3月27日、都営バス臨海車庫に行ってきました。目的は、退役した「ガスエアロ」「ガスエルガ」、すなわちCNG車が留置されているかどうか見るため。

葛西臨海公園駅から歩き、国道357号線を越える歩道橋を渡り、臨海車庫が見渡せる場所から撮影。

 

それらしい姿は見えない(歩道橋の上から撮影)

 

CNG車といえば、屋根上に突き出たガスタンクが外見の特徴なのですが、そのような特徴のある車は、ここから見渡した限り全く見えません。

奥(PROMISEの看板の下あたり)に廃車体があるかと思ったのですが…。

 

ない(同前)

 

やはり、全車搬出されてしまったようです。

これにより、平成6(1994)年から24年間続いて来た、都営バスにおけるCNG車の歴史が完全に終わったことになります。発祥の地である深川は勿論、北からも新宿からも既に撤退し、最後はここ臨海に集められていました。昨年か一昨年、P代(平成18年度車)の「ガスエアロ」が退役したとき、この日が来るのは遠いことではないだろうと思っていたのですが、遂に来てしまいました…。

 

CNG車が完全にいなくなったということであれば、これからガス充填施設の撤去も進められるのでしょう。

 

180327_163817_ed.jpg

駐車中の「うなぎ」の先にあるのがガス充填施設と思われる(敷地外の公道上から撮影)

 

CNG車は二酸化炭素の排出量が少ないということで、省エネというばかりではなく「地球温暖化」防止という観点からは大いに注目されたものですが、車両側は勿論のこと地上側もコストがかかります。その最大のコストは充填施設の経年劣化ですが、CNG車が多数を占める法人タクシーならいざ知らず、バスはどうしても少ないので、そのコストは無視できないものがあります。まして最近は、より省エネ効果が高く環境に与える負荷が小さい、それでいて地上側設備が不要な方式もありますので(ハイブリッド車など)、このような方式は淘汰されるのでしょう。今のところ、川崎市バスは塩浜営業所にガス充填施設があり、CNG車も現役で稼働していますが、あれもいつまで続くのか分かりません。

 

最後に現役の「ガスエルガ」を見てから1か月半、この日の臨海車庫の光景を見て、管理人は「都営バスからCNG車が消えた」という事実を、ようやく受け入れることができたように思います。

 

おまけ。

その1。なぎさニュータウン折返所での、桜とバス。

 

左は江戸川のエアロスター、右は臨海の日野HR

 

日野HRもK代(平成14年度)とL代(平成15年度)しかなく、今年平成30年度はこれらの代が置き換え対象になってきますが、今後これを使っている営業所はどうするんでしょう? 大型車を導入するか、あるいはまさかのエルガミオ導入か。恐らく前者になるような気がします。だって都営バスには「狭隘路線」が殆どありませんから。

 

おまけその2。

葛西臨海公園から臨海車庫への歩道橋の上で撮影した、羽田空港へ着陸すべくファイナルアプローチをする飛行機。

 

180327_163206_ed.jpg

江戸川区上空を飛んでいる

 

この日(3月27日)は葛西駅上空でも何機か見かけましたが、風向きの関係なんでしょうか。

 

 

4416.こちらの「ヒルズ族」の命運は? 元六本木ヒルズ専用車・L661

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平成15(2003)年4月に複合商業施設「六本木ヒルズ」が開業し、その半年後に都営バスは「六本木ヒルズ」へのアクセス路線として、渋谷駅-六本木ヒルズ間の直行路線「RH01」の運行を開始しました。この路線には2つの特徴があり、1つは渋谷駅-六本木ヒルズ間に途中停留所を一切設けない「直行」としたこと。もう1つは、この路線のために、「六本木ヒルズ」を管理運営する森ビルが用意した専用車両が3両用意されたこと。

その3両こそが、L661~663の3両なのですが、現在は森ビルから都交通局の所有になったということか、現在は一般車と同じカラーリングを纏って活躍しています。しかし、現在でも「都01」あるいは同系統の六本木ヒルズ折り返し便以外に入ることは殆どありません。

 

この「都営バスの『ヒルズ族』」ともいえる渋谷(営業所コードB)のL661に、六本木駅前から新橋駅まで乗車する機会に恵まれたため、終点の新橋駅到着後に写真を撮影しました。

まずはご尊顔。

 

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普通のエアロスター

 

正面から見る限り、他の都営バスの同世代のエアロスターと変わるところはありません。

しかし実は、このL661~663の3両だけは、他の同世代のエアロスターよりも車長が長くなっています。他車の車長が10.5mのところ、この3両はそれより長い、「標準尺」と呼ばれる11m。この11mという数値は、東急バスで1970年代に東京都内の営業所で積極的に導入されていた「ラッシュバス」のそれと同じです。

これで長さが分かるかな?

 

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リアからのショット

 

やはり比較の対象が無いとダメか(^_^;)

 

車内の写真を2点ほど。まずは、ノンステ部の写真。

 

180327_122318_ed.jpg

ノンステ部も2人掛け

 

これは驚きました。ノンステ部は1人掛けのことが多いのですが、まさか2人掛けとは。しかもこの座席、背もたれが高いハイバック仕様です。車椅子固定スペースにある座席だけは、跳ね上げ式になっているためか、一般車と同じ座席のようですが。

 

こちらはリアの高床部分。

 

180327_122326_ed.jpg

こちらにもハイバック仕様の座席が並ぶ

 

かつての「都市新バス」を思わせる、ハイバック仕様の座席が展開しています。

それとご注目頂きたいのは、座席のモケット。一般車は「みんくる」の柄の入ったモケットですが(以前は銀杏の柄が入ったモケットを貼った座席もありましたが、そのような車は全て退役してしまった)、こちらは紺色無地の座席。優先席も、一般車のような水色ではなく、シルバーグレーの無地となっています。紺の無地とシルバーグレーの無地…何だか初代新幹線0系の座席みたいですが(^_^;)

 

ところで、今年は平成30年ですから、この3両も導入されてから15年の年月が経過しています。

既にこの3両の前々年に導入されたH代車は全車退役、その次のK代車からも退役する車が出ていて、その次はL代となるのは当然のことでしょう。もしかしたら、同世代の他車よりも退役が早いかもしれません。

「ヒルズ族」とは、某国民的漫画に登場する猫型ロボットの名前に酷似したあだ名を持つ某氏に代表される、六本木ヒルズ(六本木ヒルズ森タワー)に本社を置く企業群の代表者たち、また六本木ヒルズ内のマンション「六本木ヒルズレジデンス」の住人を示す言葉ですが、L661~663の3両もまた、バスの中の「ヒルズ族」といえます。六本木ヒルズの華々しい開業から15年、こちらの「ヒルズ族」の去就にも注目されそうな気がします。

4417.【造形はB代と同じ】都営バスの最新モデル・V-C262【フルカラーLED搭載は無し】

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葛西臨海公園駅バスターミナルでは、江戸川営業所(営業所コードV)の平成29年度車(C代車)に遭遇しました。

都営バスのC代は車号とナンバー(登録上の番号)が一致しているのが特徴です。

 

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車番とナンバーにご注目あれ

 

この車はC262ですが、ナンバーは足立230・か・262となっています。

しかしこのナンバープレート、いつも見るたびに白ナンバーかと思ってしまいます。2020五輪のナンバープレートなんですが、これ自家用車との区別がつかないのでは?

 

リアからも一発。

 

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やはり絶壁

 

1代前のB代から、このような造形になりました。一説によると、ノンステ部を長くした結果リアが短くなったので、リアのスペースを確保するためにこのような角ばった造形になっているとか。

 

側面の写真はこちら。

 

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行先表示はフルカラーではない

 

既に渋谷・南千住・江東などでは、B代車はフルカラーLEDを搭載し、それ以前の代でもフルカラーLEDに換装した車が多くなっていますが、江戸川ではまだ3色LEDを使い続けるんでしょうか。営業所によっても違うのかな?

だとすると、今後はフルカラーLEDを積極的に採用する営業所と、そうではなく3色LEDを堅持する営業所に分かれるということなのでしょうか。

4418.新たに「乗換駅認定」された駅を見る その1 人形町と水天宮前

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既に以前当ブログで取り上げたとおり、日比谷線人形町と半蔵門線水天宮前、日比谷線築地と有楽町線新富町が、3月17日から乗換駅に認定されました。

そこで、これらの駅が3月17日以降どうなったか見て参りました。

 

というわけでまずは人形町駅・水天宮前駅から。

中目黒から日比谷線に乗り、人形町駅ホームに降り立ちます。

すると…。

 

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既に案内は整備されていた

 

中目黒方の1・2番出口から出て、地上を歩いて水天宮前駅に至るのですが、既に案内が出ています(当たり前か)。

 

そして2番出口から出ますが、その階段にはこんな表示が。2点ノーキャプションでどうぞ。

 

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この表示は目立ちます。

同時に都営浅草線は反対側という案内も書かれています(1枚目)。これは間違える(間違えた)人対策でしょう。

 

そして2番出口を出て、振り向いて撮影した写真がこちら。

 

180319_141211_ed.jpg

「こちらから都営浅草線に乗れない」とは書いてない

 

以前は「150m先のA3出口をご利用ください」と書かれていましたが、乗換駅認定にあたって書き換えられました(以前の写真はこちらにありますので、見比べてみてください)。ICカード利用の場合だと、半蔵門線からの乗換か否かを問わず、ここの改札を通って日比谷線ホームを通り抜けることができるようです。

 

そして地上を歩くと、水天宮前駅7・8番出口が現れます。

8番出口から入り、振り向いて撮影したのがこちらの写真。

 

180319_141616_ed.jpg

乗換案内がある

 

…それは当たり前なんですが、乗換案内の矢印が左側にしか伸びていません。これは一見すると「?」と思いますが、7番出口から歩いて向かう人形町駅側の入口が工事で閉鎖中のためと思われます。

 

水天宮前駅の路線案内。

 

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ちゃんと水天宮前駅が乗換駅になっている

 

この乗換駅認定により、半蔵門線は、東京の地下鉄として唯一、他の地下鉄路線全てと乗り換えが可能となりました。半蔵門線以外は、1路線は乗換駅が無かったりして「全路線乗換」が不可能となっています。都営大江戸線が千代田線との乗り換えができるようになれば、大江戸線も他の地下鉄路線全てと乗り換え可能になるんですが。

 

水天宮前駅の構内案内。

 

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日比谷線乗り換えは渋谷方の出入口

 

水天宮前は東京シティエアターミナル(TCAT)と直結していますが、その改札口は前方(押上方)ですから、人形町駅方面はその逆になります。

 

地上乗り換えを実行してみての正直な感想。

 

…何で半蔵門線の水天宮前開業のときにこの取り扱いをしなかったんだろ。

せめて半蔵門線の押上延伸開業のときには乗換駅認定すべきだったのでは?

 

…とりあえず、実現したことを喜びたいと思います。

4419.新たに「乗換駅認定」された駅を見る その2 築地と新富町(1)

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今年3月17日から、新たに乗換駅認定となったのは、前回取り上げた人形町と水天宮前のほかにもう一組、築地と新富町があります。

水天宮前駅は平成2(1990)年の開業で、人形町駅はそれ以前から存在しますから、水天宮前駅開業28年後にこちらは晴れて乗換駅認定を受けたことになりますが、新富町駅は水天宮前駅よりも古い昭和55(1980)年の開業ですから、今年で何と38年。こちらも何故乗換駅ではないのかという声が少なからずあったものですが、新富町駅開業38年のときを経て、こちらも晴れて乗換駅となりました。

 

というわけで、3月24日、様子を見て参りました。

まずは築地駅に降り立ちます。

 

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確かに「有楽町線新富町駅」がある

 

これまでは付近の案内としてあるだけですが、乗換案内として掲載されています。

築地駅は改札口が2ヶ所あり(厳密に言うとA・B線別なので4ヶ所)、そのうち中目黒方にあるのが築地本願寺方面への改札口。もうひとつは北千住方にある入船橋・中央区役所方面への改札口ですが、有楽町線新富町駅への連絡改札口は後者になります。

その入船橋方面改札にあった有楽町線乗換案内がこちら↓

 

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ここにも乗換案内が

 

そして人形町駅と同じように、階段にも新富町駅への案内があります。

 

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これは目立つ

 

この出口を出て振り向いたところ。これは4番出口です。

 

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こちらからだと北千住方面ホームに出る

 

こちらから入ると、中目黒方面のホームに出るには改札内の連絡通路を通る必要があります。それを回避するには、道路の反対側の出入口から入る必要があります。このように、A・B線で出口が分かれている駅は、東西線までの建設年次の古い駅には結構あります。このような駅は、千代田線以降はなくなるのですが、これは駅の場所が深くなったこととも関係しているように思われます。

 

4番出口を出て、正面(有楽町線新富町駅方)を向いた写真がこちら。

 

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直線で分かりやすい

 

画像処理をしたため見えなくなってしまいましたが、写真左側のファミリーマートの看板のすぐ先に、新富町駅の出入口(4番出口)があります。道幅も広いので、人形町駅と水天宮前駅の間よりは歩きやすいように思われます。

 

次回は、新富町駅側の様子を取り上げます。

 

※ 当記事は04/01付の投稿とします。

4420.新たに「乗換駅認定」された駅を見る その3 築地と新富町(2)

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前回の続きです。

大通りをまっすぐ歩くと、新富町駅4番出口が見えてきました。

 

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分かりやすかった

 

ちなみに、新富町駅と築地駅両者の位置関係はこうなっています↓

 

 

 

 

 

有楽町線から日比谷線中目黒方面への列車に乗るときは、やや遠回りにはなりますが、新富町駅はこの4番出口ではなく6番出口を利用した方がよさそうです。理由は、連絡通路で余分な階段を上り下りすることになるから。

 

そしてこちらにも勿論ありました。築地駅への案内。

非常に目立つ階段の案内表示と、壁の案内表示、そして天井からの表示の3点をノーキャプションで。

 

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確かに新富町駅4番出口→築地駅4番出口へというのが最短距離ではありますが。あるいは、新富町駅4番出口から出て、途中で横断歩道を通って反対側にわたるのが楽なんでしょうか(^_^;)

 

こちらは改札前コンコース。改札内から改札外を撮影したものです。

 

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奥にも日比谷線への乗換案内が見える

 

ちなみにこちらは「明石町方面改札」。

新富町駅は計画段階の仮称が「明石町」だったのですが、地元の要望により現駅名になっています。後の白金高輪駅とか清澄白河駅とか、2つの地名を複合させた「複合駅名」にならなかったのは、幸いというべきか否か。駅名は不動産業界の利害が密接に絡むため、新線・新駅建設時にはその選定が難問とされています。

 

こちらは、新富町駅のホーム上の案内。

 

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紙が貼られて「日比谷線乗り換え」が書き加えられている

 

こちらの案内も万全です。

 

さて。

これらの駅、なぜこれまで乗換駅認定がなされなかったのに今回…といえば、それは当然「利用者からの要望が多かったから」ということなのでしょう。しかし、他にも乗換駅認定をしてほしい、してもおかしくない駅の組み合わせがいくつかあります。たとえば、メトロ・都営の相互だと銀座線新橋と都営三田線内幸町、千代田線湯島と都営大江戸線上野御徒町。メトロ同士だと銀座線京橋と有楽町線銀座一丁目。東京の地下鉄は都心部では数百メートル歩けば別の駅に行き当たるほど路線網が稠密であり、あまり増やすと運賃計算上収拾がつかなくなることも、安易な乗換駅認定をしたがらない要因でもあるのでしょう。こうなると、切り札は「ゾーン制運賃」しかないような気がしますが、メトロと都営ですら賃率が異なりますから、実現にはまだ高いハードルが立ちはだかりそうです。

とはいえ、これまで近くにありながらなぜか乗換駅とされなかった、人形町・水天宮前と築地・新富町の両駅が、晴れて乗換駅として認定されたことは、素直に喜びたいと思います。

 

余談。

日比谷線の03系も13000系も、築地駅での有楽町線乗り換え、人形町駅での半蔵門線乗り換えについて、自動放送・文字ディスプレイとも対応していませんでした(前者は本年3月19日現在、後者は同月24日現在)。


4421.路地裏の超特急~京急「快特」物語 その11 快速特急は「快特」へ~ダイヤの中心に

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その10(№4412.)から続く

「快速特急」が京急で走り出してから31年が経過した平成11(1999)年。
その年の7月31日、京急は従来のダイヤパターンを一新する「白紙ダイヤ大改正」を行いました。
その内容は次のとおり。

① 快速特急の呼称を「快特」に統一。
② 「通勤快特」を廃止(ただし列車としては残存)。
③ 日中時間帯の本線系列車のダイヤを、快特1:普通1とする。
④ ③に伴い、日中時間帯の都営線からの直通特急を快特に変更(SH快特)。
⑤ ③に伴い、急行((a)都営線-品川-京急川崎と(b)京急川崎-金沢八景-新逗子の2つの系統がある。一部京急川崎を跨いで運転される列車もあった)のうち(a)を羽田空港へ振り向け(b)は廃止。
⑥ ⑤の埋め合わせとして、品川-京急蒲田間で普通車を増発。
⑦ ⑤の埋め合わせとして、快特の品川-金沢文庫間で新逗子行きの付属編成を併結(当初は土休日のみ、後に平日にも拡大)。
⑧ 久里浜線直通の快特について、堀ノ内・新大津・北久里浜を停車駅に追加、久里浜線内を各駅停車に変更。
⑨ 「エアポート特急」を廃止し、「エアポート快特」に統一。
⑩ 早朝に横浜方面から羽田空港への直通列車を新設。

この改正で京急は、利用者にも定着してきた快速特急の略称「快特」を、晴れて正式な列車種別としています(①)。その反面、これまで親しまれてきた「通勤快特」の種別は消えました。しかし列車としては残存し、金沢文庫を境に特急から快特へ改められる形態となっています(②)。「通勤快特」の運行番号・列車番号に付けられるアルファベットは「B」でしたが(京急の運行番号・列車番号の付番ルールは、線内快特がA、線内特急がC、線内急行がD。都営直通列車は種別にかかわらず京急車がH、都営車がT、京成車がK。普通は数字のみ)、改正後もこの列車に付けられるアルファベットは「B」のままで、現在に至るまで変わっていません。
そしてこの改正で最も大きかったのが、ダイヤパターンの変更。
従来、日中時間帯の本線系優等列車は、都営線からの直通列車である特急と始発の快速特急が、10分間隔で交互に発車していました(品川駅基準)。その間を2本の普通列車が埋め(同)、20分サイクルで快特1:特急1:普通2の割合でした。それを、直通特急を快特に改め、10分サイクルで快特と普通の比率を1:1とするダイヤパターンを採用したものです(③。ただし品川-京急蒲田間では普通がもう1本、それと急行が入る)。このダイヤパターンの変更は、「本線系列車は原則として快特と普通のみとする」ことと同義であり、日中時間帯は快特が2本に1本都営線に直通するようになりました(④)。この列車は京急車でありながら運行番号のアルファベットが「H」ではなく「SH」とされ、ほどなく鉄道趣味界では「SH快特」と呼ばれるようになっています。しかし、都営線直通運用に充当できるクロスシート車は600形(Ⅲ)だけでしたから、都営線直通列車を快特にした結果として、せっかく2000・2100形で実現した「快特はクロスシート車」という原則が崩れてしまっています。それと同時に、急行が京急蒲田以南では走らなくなり(お正月の箱根駅伝開催日だけは、京急蒲田駅先の第一京浜国道の踏切対策として、京急川崎発着に変更していた)、逗子線が本線直通列車を失ってしまいました(⑤)。
そして、快特として走る列車は、都営線直通列車か否かを問わず、品川-横浜間で全て最高速度120km/hで運転されるようになっています。120km/hでの運転は、品川発着の「A快特」で既に平成7(1995)年から行われていましたが、都営線直通列車を特急から快特へ格上げするにあたり、最高速度を向上させています。
他方、この改正を機に、従来は横須賀中央-京急久里浜間ノンストップとなっていた快特の停車駅について、新たに堀ノ内・新大津・北久里浜を追加、これにより久里浜線内が各駅停車となっています(⑧)。
以上は本線系統ですが、空港線関係では初めて横浜方面から羽田空港への直通列車が設定されたほか(⑩)、「エアポート特急」を途中京急蒲田のみ停車の「エアポート快特」に統一、空港連絡列車としての使命をより明確にしました(⑨)。

ここでちょっとした余談を。
この改正の実施当時、京急蒲田駅は未だ高架化がなされておらず、地平にありました。しかも、横浜方面から空港線への直接の乗り入れが可能になるのは、この3年後に京急蒲田駅構内に渡り線が設置されてからのこと。では⑩で挙げた、横浜方面から羽田空港への直通列車がどうやって空港線へ入っていたのかというと、何と京急蒲田駅の品川方へ一旦引き上げ、その上で下り線に転線して空港線へ入っていたということです。流石にこんな方法では、沢山の列車を運転できるわけもなく、早朝のみの運転にとどまっています。しかしこの列車は、横浜方面から羽田空港への直通列車として先鞭をつけることになりました。

これらの改正内容によって、京急のダイヤにおいて本線系・空港連絡輸送を問わず、「快特」が主役の座に就いたことになります。
しかし、ダイヤ改正の常として、光あれば影あり。
この改正で、「快特」ではないただの特急は、朝夕のみの運転となってしまいました。また急行が全廃されたのは前述のとおり。これらにより、特急は停車するが快特が停車しない駅、急行のみ停車していた駅では、利便性が低下したのは否めません。快特自体も、堀ノ内以遠の久里浜線内各駅停車化により、品川-久里浜間の速達性は低下してしまいました。この辺りは賛否両論あるところですが、堀ノ内停車により浦賀方面との接続が改善され、久里浜線内の利便性向上及び合理化が達成されたことは確かですから、速達性より沿線全体での利便性を取ったということでしょう。当時の京急は、日中時間帯の特急運転取り止め及び全時間帯での急行運転取り止めによって不利益を被る駅利用者に対しては、快特をダイヤの中心に据え速達性を向上させ、停車駅で普通車に接続させることで、十分にカバーできると考えていたようです。

このような「影」の部分こそあるものの、この改正に伴い、快速特急改め「快特」が名実ともに京急のダイヤの主役になったことは、まぎれもない事実です。
そのようなダイヤが、平成14(2002)年以降、さらに磨きがかけられることになるのですが、次回はそのお話を。

-その12に続く-

※ 次回以降、内容及び回数を変更する可能性があります。何とぞご了承ください。

4422.新たに「乗換駅認定」された駅を見る 番外編 日比谷線六本木駅の掲示物

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今回は小ネタですが、新たに「乗換駅認定」された駅シリーズの記事の番外編&落穂拾いとして、3月19日に日比谷線六本木駅で拾った掲示物の写真をアップしたいと思います。

 

まずはB線ホーム(※)の路線案内。

 

築地と人形町にご注目

 

築地と人形町ばかりではなく、最近乗換駅認定がなされた秋葉原駅(都営新宿線岩本町駅と)も注目したいところです。

 

この路線案内から、築地と人形町を接写。

 

上からシールが貼られている

 

流石に一から作り直すわけにもいかないのか、両駅の案内にはシールを貼って対応しています。

なお、一から作り直さないのは、2年後に神谷町-霞ヶ関間に「虎の門新駅」開業が予定されているため。恐らく、新駅開業を機に、路線案内、路線地図を一から作り直すことになるものと思われます。

 

こちらは、シールを貼って対応した路線地図。

 

1枚のシールで全てカバーしている

 

築地と新富町、人形町と水天宮前もそうですが、秋葉原と岩本町も含めて、「地上乗り換え」の注意書きが入っているのは驚きました。右上に少ししか写っていませんが、都営浅草線・都営大江戸線の蔵前駅も「地上乗り換え」の注意書きが入っています。流石に蔵前を乗換駅にするのはどうなのかと思いますが…あの両駅、銀座線京橋と有楽町線銀座一丁目、あるいは銀座線新橋と都営三田線内幸町よりも離れています。この話は以前の記事のコメント欄で出てきましたが、なぜ蔵前を乗換駅にしたかについては、都営浅草線の蔵前駅の移転計画もあったことも関係しているようです。しかしその計画はいつの間にか立ち消えになったようですが。

 

※ 東京メトロでは前身の営団地下鉄時代から「上り」「下り」の表現を用いず、建設が始まった方向をA線、その逆方向をB線とする。ただし、A線・B線の言葉は旅客案内には使われない。

 

◇「新たに『乗換駅認定』された駅を見る」シリーズの記事

その1 人形町と水天宮前(№4418.)

その2 築地と新富町(1)(№4419.)

その3 築地と新富町(2)(№4420.)

4423.【普通車にトイレ】中央線快速グリーン車連結、3年後に実現へ【グリーン車に両開き扉】

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2020年からのサービス開始をアナウンスしていたものが、諸事情により延期されていた、中央線快速へのグリーン車連結。

このたび、JR東日本から正式なアナウンスがあり、当初計画から3年遅れた2023年度末から、グリーン車連結・サービス開始とのことです。

 

中央快速線等へのグリーン車サービス開始時期および車内トイレの設置について(PDFファイル注意)

 

・ 2020年度のサービス開始を目指していた中央快速線等へのグリーン車サービス導入は、バリアフリー等の他施策との工程調整や関係箇所との協議等により、サービス開始時期を延期していました。
・ このたび、2023年度末のサービス開始に向け、工事に着手します。
・ また、お客さまサービス向上を目的に、中央快速線の列車および青梅線の一部列車にトイレを設置することとし、2019年度末以降の使用開始に向け、設置工事に着手します。

 

JR東日本公式より)

 

中央線快速に対するグリーン車の連結は、今から3年前に大々的にぶち上げられたものですが(当時のJR東日本のプレスリリースはこちら。PDFファイル注意)、その後諸事情により延期される旨アナウンスされました(こちら)。その遅れた理由として、「バリアフリー等の他施策との工程調整や関係箇所との協議」が挙げられていますが、ホームドア設置の絡みがあったのかもしれません(JR東日本のホームドア設置の取り組みは こちら。PDFファイル注意)。

 

遅れることになった中央線快速へのグリーン車連結ですが、現行のE233系編成にグリーン車2両を挿入する形態となり、貫通編成は12連、分割編成は6+4の10連から8+4の12連となるという基本計画は変わりません。

変わった(というより明らかになったと言うべきか)のは、①グリーン車の客用扉を両開きにすること②普通車にトイレを設置することの2点。

 

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いよいよ実現に向けて動き出す

 

これが実現すれば、国鉄時代に策定された「通勤五方面作戦」で唯一グリーン車連結が果たされていなかった(※)中央線快速ですが、五方面全てでグリーン車連結が果たされることになります。

しかし、グリーン車の客用扉が両開きですか…。

完成予想図を見る限り、現行のE231・233系の二階建てサロをそのまま両開きにしたような形態ですが、もしかしたら、平屋部はE231・233系のサロとは異なり、デッキが作られないかもしれません。それどころか、平屋部の区画はロングシートになるのではないかと、管理人は予想していますが、どうなるでしょうか。

 

普通車へのトイレ設置ですが、こちらはE231・233系の近郊タイプ(基本編成10連について2~3ヶ所。グリーン車除く)とは異なり、グリーン車に隣接する6号車の1ヶ所だけで、付属編成には設けられないようです。付属編成には設けられないことからすると、もしかしたら、青梅・大槻には12連の大編成のまま直通するのかもしれません。

 

さらにもっと気になるのが、中央線の御茶ノ水-三鷹間で緩行線と完全に分離されるのかということ。

 

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早朝深夜は中央線各駅停車が走るが

 

現行の運転形態は、早朝深夜には総武緩行線電車は御茶ノ水折返しになり、東京駅から中央線電車が各駅停車として直通するものです。

もしグリーン車組込みがなされた後も現行の運転形態を維持するのであれば、緩行線側のホーム、具体的には水道橋~西荻窪間各駅のホームを延伸しなければならなくなりますが、果たしてそこまでやるかどうか。やるとして、その場合グリーン車をグリーン車として営業するのかどうか。

これらの問題があるので、中央線快速へのグリーン車連結がなされた暁には、恐らくですが快速線と緩行線の運転形態は、早朝深夜を含めて完全に分離されるのではないかと思われます。

なお、これらとは別に、東西線直通列車(地下鉄東西線との相互直通運転)が廃止されるのではないかと噂されていますが、それは現時点では分かりません。

 

2年後の東京五輪には間に合いませんが、さらにその3年後に実現することとなった、最後の一方面へのグリーン車連結。

現行のE233系編成に連結されるのか、あるいは新形式が登場して同系が他路線へ転用されるのか、そこも含めて注目していきたいところです。

 

◇関連記事

№3011.グリーン車の五方面作戦、完成へ~中央線快速にグリーン車連結へ(前編) 

№3012.グリーン車の五方面作戦、完成へ~中央線快速にグリーン車連結へ(後編) 

 

※ かつて中央線では新宿発着の普通列車の一部に、115系にサロ165を組み込んだ編成が充当されていた。しかしこれは急行「かいじ」の間合い運用でありイレギュラーなので、グリーン車連結の履歴には含めていない。

※ 当記事で使用している写真は、全て以前の記事からの転載です。

4424.【鉄仮面の次は】東海道新幹線、700系引退へ【カモノハシが退役】

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当ブログでは「Nのつかない700系」と呼びならわしてきた700系が、遂に2020年度をもって引退することが、正式に決定しました。前々から、「2020年度引退」はアナウンスされてきていましたが、正式に決まると「遂にその時が来たのか」と思ってしまいます。

 

カモノハシ700系引退へ 東海道新幹線、20年3月に

 

JR東海が東海道新幹線(東京-新大阪)で運行する車両「700系」を2020年3月のダイヤ改正を機に引退させる方針を固めたことが7日、分かった。先頭のくちばしのような形状から「カモノハシ」との愛称で親しまれてきたが、高速化に対応できず、登場から21年で東海道区間から姿を消す。JR西日本が管轄する山陽新幹線(新大阪-博多)では改正後も運行を続ける見通し。

700系は1999年3月に運行を開始。先頭の形状は、空気抵抗を低減するために考案され、斬新なデザインは子どもらの人気を集めてきた。車内の座席周辺の空間が広く、比較的ゆったり座れるのも特徴だ。現在は主に「こだま」の車両で使われている。

JR東海は20年3月のダイヤ改正後、東海道区間を最高時速285キロで走れる車両に統一するため、同区間を最高時速270キロで走る700系の運用を終えることにした。具体的な引退日は未定で、「さよなら運転」も実施されるとみられる。

 

産経ニュースより)

 

管理人個人的にはこの一文「先頭の形状は、空気抵抗を低減するために考案され、斬新なデザインは子どもらの人気を集めてきた」というところには、是非とも突っ込みたいんですが(^_^;)

前段は正しいですが、後段はどうなんでしょうね。「カモノハシ」かどうかは別として、子供に人気があったのは500系じゃなかろうかと思うんですがそれは

 

…それはさておき。

 

以前の記事でも触れていますが、700系の退役は、ある2つのものが新幹線から消えることを意味しています。それは

 

① 座席で煙草を吸える車両

② 側面の行先等の表示が幕の車両

 

です。

それが如実に分かる写真がこちら↓

 

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号車表示を見比べていただきたい

 

写真右側の9号車の号車表示には禁煙マークが入っていますが、10号車のそれには禁煙マークがありません。これは「座席で喫煙できる車両」の証です。

かつては普通席・グリーン席問わず全車両で喫煙できたものですが、昨今の禁煙志向の高まりに伴い、東海道新幹線では普通席が15・16号車、グリーン席が10号車のみとなっています。現在の主力となっているN700系は、客室内全面禁煙とされ座席での喫煙はできなくなっていますが、その代わりに編成内の何ヶ所かに喫煙ルームが設けられています。

客室内全面禁煙・喫煙ルームありなのは東海道・山陽・九州新幹線だけで、同じ新幹線でも東北・北海道・上越・北陸・秋田・山形新幹線は完全禁煙(喫煙ルーム無し)になっています。このあたりは、煙草に関する会社ごとのスタンスの違いが見られます。

700系が全車退役した後、座席で喫煙が可能な列車は近鉄特急のみになります。しかしこちらも客室内全面禁煙に舵を切っており、もしかすると700系退役と同時期に、近鉄特急からも座席で喫煙可能な車両が消える可能性があります。

 

こちらが700系普通車の内装↓

 

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古さは感じない

 

普通車は、やや横幅が狭いものの、シートピッチ・リクライニングの角度とも十分で、快適性は全く問題ありません。しかし、コンセントが車端部にしかないことで、乗客の多くはN700系使用列車を選択するようになってしまいました。どこかで見かけたのですが、700系を見た鉄道にはおよそ詳しくなさそうなカップルが「あれ旧型だよね」「あれコンセントが無いんだよ」などと会話をしていたくらいですから、モバイル機器がいかに人口に膾炙しているかを考えれば、700系が「乗客には選ばれなくなった」となっても、無理からぬことと思われます。

 

ところで、上記のニュース記事の中に、気になる一文が。

 

JR西日本が管轄する山陽新幹線(新大阪-博多)では改正後も運行を続ける見通し。

 

JR西日本区間、つまり新大阪以西では700系の活躍が継続するということです。

とはいえ、16連のB編成については「東海道新幹線の車両を285km/hで走れる車両で統一する」ということであれば、東海道新幹線への乗り入れは停止されるでしょう。恐らく、いくらJR西日本所属といえども、B編成も退役するのは確実ではないかと思われます。

残ると思われるのは、こちらの車両↓

 

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「レールスター」は残る?

 

こちらは8連で山陽区間の「こだま」に重用されていますから、JR西日本にとってはまだまだ利用価値があるのでしょう。ただし、コンセントが無いことがどう利用者から評価されるかは別の問題ではありますが。

 

今は定期列車では「こだま」でしか走らなくなり、時折臨時の「のぞみ」に充当されるのみとなった700系。

管理人も最後にもう1度くらいは臨時「のぞみ」に乗りたいものですが、300系のときみたいに、当日駅に行ったらN700に差し替えられていたりして(^_^;)

 

◇関連記事

(700系に関するもの)

№3509.「喫煙車」も死語になる? 退役へのカウントダウンが始まった700系

№3807.追われゆく700系「のぞみ」の旅路

(座席で喫煙できる車両に関するもの)

№3602.やはり「喫煙車」は「絶滅危惧種」だった~近鉄でも特急を全席禁煙化へ

 

※ 当記事で使用した写真は、全て以前の記事からの転載です。

4425.廃止1週間後の「園02」の沿線をたどる その1 世田谷区民会館

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東急バス「園02」(田園調布駅-用賀駅-世田谷区民会館)が廃止されて、ちょうど1週間。

そこで、管理人は「園02」の面影をたどり、「園02」と引き換えに走り始めた「渋22」に乗ってみることにしました。

 

まずは世田谷区民会館へ。

管理人が乗って来た「反11」の車は、世田谷区民会館到着後すぐに回送になって出て行ってしまったため、世田谷区民会館バス停にはバスが1台しか停まっていない、やや寂しい光景に。

 

停まっているのは「渋52」

 

↑の写真の右端に見えるバス停のポールですが、当然のことながら「園02」が消されていました。

 

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「園02」の表記はなくなっている

 

バス路線の廃止のときは、廃止路線だけをテープを貼るなどして隠すだけで済ませるのが通常なのですが、世田谷区民会館では「園02」廃止を機に、掲示物を全て一新したようです。

こちらが昨年11月の時点での同じ場所↓

 

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このときは「園02」があった(以前の記事から転載)

 

「園02」がなくなったので時刻表が3段から2段になり、それによってスペースができたためか、バス停の案内地図が貼られています。

 

そして現在なお残る「園02」廃止の告知の看板。

 

180407_170449.jpg

内容は田園調布駅などにあったものと同じ

 

ブレブレですみません。以前の記事からの転載ですがこちらをどうぞ。

 

DSC_1098.jpg

こちらの方がはっきり写っている(^_^;)

 

この掲示物には、

 

① 「園02」廃止

② 「渋22」(渋谷駅-三軒茶屋-農大前-用賀駅)新設

③ 「等13」(等々力-駒沢-世田谷区民会館-梅ヶ丘駅)増便

 

が記されています。

 

では、「等13」がどれだけ増えたのかと思って見てみれば…。

 

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時間帯が広がっただけ

 

平日12本、土曜7本、休日6本ですか(´・ω・`) 管理人は、増便というから1時間当たり2本くらい走るようになるのかと思っていたのですが…甘かった。

これ、完全に世田谷区役所へのアクセス路線に特化していますね。

 

このあとは、冒頭の写真に写っている「渋52」で渋谷駅へ。

そこで遭遇した小田急バスは何と!

 

フルカラーLED!(バス車内から撮影)

 

小田急バスにもフルカラーLEDですか…。

そういえば東急バスはまだフルカラーLED搭載車は現れていません。鉄道車両とは異なり無理に搭載する必要は無いかもしれませんが、視認性で優れているのは事実です。しかし、聞くところによると、フルカラーは3色LEDよりも格段に高価なのだそうで、だからこその3色LED維持なんでしょうか?

東急バスのフルカラーLED搭載車を見てみたいものです(もしかしたら既に存在しているのかもしれないが)。

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