2012年3月14日。
今日は、東海道新幹線に「ひかり」「こだま」以外の第3の種別「のぞみ」が走り出して、ちょうど20年の節目に当たる日です。
そこで、今回は「のぞみ」の「成人式」を寿ぎ、管理人自身の「のぞみ」との関わり合いを中心に20年を振り返りたいと思います。
「のぞみ」は、ある日突然誕生したのではなく、国鉄時代から進められていた「スーパーひかり」構想が基になっています。
それに基づいて開発されたのが300系だったのですが(この車両の来歴やスペックなどについては、ここでは省略します)、300系を使って、それまでの最高速度220km/hを一気に50km/hも引き上げた270km/hで運転する列車とされました。それまでと列車の速度が明らかに異なることから、「のぞみ特別料金」ともいうべき、特急料金の引き上げも行っています。
最初は、東京と新大阪をそれぞれ朝と夜に1本ずつ走らせるという、実にささやかなものでしたが、本数的にはささやかだったにもかかわらず、朝の下り1本が大きな話題を呼びました。
それは、停車駅を新横浜のみとし、名古屋・京都を通過駅扱いにしたことです。これは、大阪地区で朝9時に客先の会社に飛びこめるようなダイヤを組む必要上、新大阪8時半到着を義務付けられたからですが、この両駅の通過は東海道新幹線開業後初ということも、話題性を増した原因でした。京都はビジネスよりも観光の割合が高いとして、このダイヤには特に異議を唱えなかったのですが、名古屋はJR東海の本社所在地でもあり、しかも我が国第3の都市圏であるにもかかわらず通過というのは怪しからぬとして、「名古屋飛ばし」が大きな話題になりました。この「名古屋飛ばし」、翌年に「のぞみ」が毎時1本の運転になった後も継続されましたが、平成9(1997)年11月に東海道新幹線に500系が乗り入れるようになり、新横浜・名古屋・京都停車でも新大阪に8時半に到着するダイヤが組めるようになったためか、列車ごと廃止されてなくなりました。
朝晩1本のみだった「のぞみ」も、翌年には早くも博多直通を果たし、毎時1本の運転となり、「ひかり」と主役の入れ代わりを始めます。その後、料金が割高にもかかわらず、スピードが評価されて「のそみ」の乗車率が上昇し、そのため東海道区間のみで増発されるなどした後、足の遅い0・100系が東海道区間から消えた平成15(2003)年以降は、「のぞみ」が主役のダイヤになり、現在に至っています。
管理人が初めて「のぞみ」に乗ろうとしたのは、平成4(1992)年、当時の山陰ワイド周遊券で中国地方の未乗路線を潰した帰りだったのですが、このときは広島から名古屋行きの「こだま」に乗車、その後「大垣夜行」で帰りました。広島発名古屋行きの「こだま」は、当時夜1本だけ走っていたのですが、これに乗ると終点の名古屋で「大垣夜行」に乗り継げたほか、京都(だったと思う)で「のぞみ」にも乗り継ぐことができました。結局、高い特急料金に二の足を踏み、「のぞみ」に乗らずに「大垣夜行」のボックス席で帰ってしまいました。
実際に「のぞみ」に乗ったのは、その1年後の平成5(1993)年11月です。このときはJR西日本所属のF編成で、窓側ではないC席に乗ったのを覚えています。確かに速かったのですが、乗り心地があまり良くなく、これ以後しばらく「のぞみ」は利用していませんでした。
ただ300系に乗る機会は多く、「ひかり」も300系使用列車を選んで乗っていました。このころ、0系置き換えのために300系の投入を進めていましたから、「ひかり」にも同系使用列車」が増えていったんですね。ありていに言えば、安い特急料金で(当時は東京-新大阪間の差額が950円、名古屋まででも750円だった)「のぞみ」に乗っている気分を味わいたいがために、300系使用の「ひかり」を選んで乗っていたということです。
あとは、平成8(1996)年に山口から神戸に向かう際、小郡(当時)→新神戸を当時の「のぞみ504号」に乗ったこと。小郡駅には駅弁がなく、食べ物が車内販売のサンドイッチしかなく、非常にひもじい思いをしたのを覚えています。車内はガラ空きでした。実はこのとき、新大阪止まりの「ひかり」が100系「グランドひかり」の運転で、食堂車も営業していたのですから、そちらに乗れば食事にはありつけたのですが、新神戸到着が23時を回ってしまうので敬遠してしまいました。今にして思えば、そのとき乗らなかったのが悔やまれてなりません。管理人には100系食堂車での食事の経験がありませんので。
300系の「のぞみ」利用はこのくらいでしたが、700系の「のぞみ」に初めて乗ったのが平成14(2002)年の4月でした。このときは高山・名古屋・大阪を回る出張で、帰りに差額分自腹を切ってグリーン車に乗車。緑系を基調とした内装はカジュアルな印象で、茶系統でシックにまとめられた300系よりも軽い印象しかないので、グリーン車の内装に関する限り、300系に軍配が上がる気がします。普通車は700系の場合青系の明朗な色使いなので、茶系統の300系よりこちらの方が好きですが。
JR西日本から乗り入れてくる500系には、私は平成12(2000)年3月に乗っています。このときは九州への旅で、当時残っていた筑豊線の客車列車に乗るため、小倉までグリーン車をおごったのですが、このとき印象に残っているのは、切符を改めに来たアテンダントさんが、「長距離のご利用ありがとうございます」と最敬礼してくれたこと。それも道理で、当時乗った10号車は、名古屋で早くも大量下車、新大阪までにほとんど下車してしまい、小倉まで通したのは管理人だけだったからです。
山陽区間に入れば、待ちかねた300km/hの運転区間。確か姫路を過ぎて300km/hに達すると、旅客機のパイロットのように運転士さん直々の「列車はただ今300km/hで走っております…」なるアナウンスがありました。管理人はそのアナウンスに耳を傾けながら、悠然と紫煙を燻らせたことです(当時管理人は喫煙者だった)。
その後も「のぞみ」は「ひかり」との料金差が大きかったため、仕事であってもあまり利用しませんでしたが、やはり平成15(2003)年の「のぞみ」大増発以後、そうも言っていられなくなりました。
N700の「のぞみ」に乗ったのは平成19(2007)年。このときの顛末は当ブログでも記事にしていますが、グリーン車でも満席に近かったのには驚きました。やはり「新車効果」があったのだろうと思います。N700系は地味な車両と思われがちですが、実際に乗っていて一番快適なのはN700なんですよね。ビジネスマンの評価が高いのも分かるような気がします。
管理人が最後に300系「のぞみ」に乗ろうとした昨年9月。時刻表では300系使用が明示されていた列車が、当日になってみると700系が来てしまい、落胆しましたが、それだけ300系が減ってしまったのだと思い知らされました。
今年2012年は、「のぞみ」登場から20年、300系量産車登場からも20年。さらに700系も、試作車登場から15年、量産車登場からでも13年となります。そして今年、その300系の完全淘汰が完了します。
今後は「N700A」が導入され、700系の淘汰が進められるのでしょうが、次に「のぞみ」に節目が訪れるとすれば、それは中央リニア新幹線の開業時ではないかと思います。そのときにどうなるのか、管理人も生きてこの目で確認したいものです。
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