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3010.北陸特急劇場 その4 北陸線電化進展による特急陣容の変遷(後編)

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その3(№3003.)から続く

前回「前編」では対東京の列車について述べましたので、当記事「後編」では対大阪・名古屋の列車について述べて参ります。

前回述べたとおり、北陸本線の電化は、昭和44(1969)年までずれ込みましたが、それでもこの年の10月1日には、北陸線全線の電化が完成しました。
それまで長野経由で気動車による運転だった「はくたか」を上越線経由に変更して電車化したのもこのときですが、同じ昭和44年10月には、「雷鳥」を1往復増発して4往復にするとともに、初めて大阪-新潟を直通する特急列車を1往復設定、これを「北越」と名付けます。編成は勿論「雷鳥」などと共通の485系11連。しかし当時は何故か定期列車ではなく、毎日運転の臨時列車とされました。この時期は、東北の「やまびこ」などで、毎日運転の臨時列車が多数設定されていますが、「北越」もそれに倣ったものだったでしょう。
「北越」は昭和45(1970)年3月に晴れて定期列車となり、この年の10月には、さらに「雷鳥」が1往復増発され、5往復体制となります。
他方、「ヨン・サン・トオ」で2往復化された「しらさぎ」は、「雷鳥」系の充実を尻目に、しばらく無風状態が続いてきましたが、昭和46(1971)年4月に1往復増発され、3往復体制となりました。

そして迎えた昭和47(1972)年3月の、山陽新幹線岡山開業に伴う全国的なダイヤ改正。
この改正では、「雷鳥」がさらに増発され5往復体制になったのに加え、北陸特急劇場の舞台に、新たな名優がふたり上がることになりました。ひとりは前回触れたとおり489系ですが、ではもうひとりの名優とは?
その「名優」こそ、寝台・座席両用の583系でした。583系は、この改正の直前まで昼行の「つばめ」(名古屋-熊本)と夜行の「金星」(名古屋-博多)のペアの運用で昼夜を分かたぬ活躍をしていたのですが、新幹線が岡山に達したこの改正を機に、「つばめ」の名古屋-岡山間をカット、同時に「つばめ」は岡山-博多・熊本間の列車とされたため、夜行の「金星」とペアを組む昼行の列車がなくなってしまいました。そこで昼間の有効活用ということで、名古屋発着の「しらさぎ」に活用されることになりました。583系にとっては、これが初めての北陸特急の運用。このとき以降、583系も長きにわたり、北陸特急劇場の主要キャストを務めるようになります。

さて、北陸特急劇場の舞台に上がった新たな名優がいる一方で、その舞台を降りる名優もいます。
それが言うまでもなくキハ80系なのですが、北陸線をはじめとする日本海縦貫線の電化の進展に伴い、遂にその舞台を降りる日が来てしまいました。
同じ昭和47年、新幹線岡山開業から半年ちょっと経過した10月、羽越線村上~秋田間の電化が完成、これによって日本海縦貫線の全線電化が完成します。国鉄ではこれに伴って、3月に続いて2回目のダイヤ改正を10月2日に実施しました。全国規模のダイヤ改正が1年で2回行われたのは、国鉄~JRの歴史上、この年が唯一の例となっています。
日本海縦貫線の全線電化完成によって、全線を走破する「白鳥」が気動車のままでいる必要はもはやなくなり、遂に485系特急電車に置き換えられます。
ただしその編成は北陸特急の485系や「白山」用の489系とは全く異なり、M車を4ユニット組み込み(全2者は3ユニット)、それでいてグリーン車を2両組み込むという、当時の国鉄在来線昼行列車としては最長の編成となっています。
485系は(489系も)この年に投入された分から仕様変更が行われ、先頭車クハ481は流麗なボンネット型を捨て、分割併合を前提とした貫通型に変更され、搭載機器が多数にわたり已む無く床置型クーラーを搭載していたモハ484も屋根上に集中型クーラー1基を搭載する仕様に変更されました。これらの仕様変更によって、クハ481・モハ484とも従来車より定員が増加しています。このため、これら両形式は、番代区分を新たに「200番代」とされました(モハ485とサロ・サシは従来車の続番)。
電車化された「白鳥」には、これら200番代の新仕様の車両が優先的に充当されましたが、「白鳥」の基地は向日町でも金沢でもなく青森とされました。これは、当時の「白鳥」の編成からグリーン車1両を抜くと、そのまま「はつかり」「やまびこ」など東北線系統の特急列車の編成になったため、編成構成を共通化したのでしょう。

ともあれ、10月のダイヤ改正(実際にはそれに先立つ9月下旬)から、「白鳥」はキハ80系から485系電車に置き換えられました。気動車時代と変わらない片道1000kmを超える道程は、「世界最長距離を走る電車列車」となっています。
また、「白鳥」の走る大阪-青森間は、直流→交流(60Hz)→直流→交流(50Hz)と電化方式が目まぐるしく変わるのですが、当然のことながら485系はこれら全ての電化方式に対応、大阪-青森間を苦もなく駆け抜けます。「3電源方式のオールラウンダー」485系が登場して4年、同系の「白鳥」への充当は、遂に本当の意味で同系の性能を遺憾なく発揮する列車に充当されたといえましょう。
ちなみに、この改正では上野から羽越線を経由して秋田を目指した特急「いなほ」もキハ80系から485系電車に置き換えられていますから、この改正で日本海縦貫線を行く気動車特急が見られなくなっています。

こうして、昭和47年9月、昭和36(1961)年の華々しい登場から11年間にわたって、北陸特急劇場に主役として君臨し続けてきたキハ80系気動車は、遂にその舞台を降りることになりました(※)。

※=このときは、キハ80系が完全に北陸線から消えたわけではなく、名古屋から高山線を経由して金沢まで同系による特急「ひだ」が乗り入れていたが、「ひだ」は名古屋・岐阜と北陸を直結するための列車ではないので、当連載に言う「北陸特急」の範疇には含めていない。

なお、10月の改正では「雷鳥」が増発され8往復体制に、翌年3月には「北越」の大阪・金沢-新潟間の列車が各1往復増発され、北陸特急の陣容はさらに充実していきました。

このころ、国鉄は琵琶湖西岸に東海道~北陸線のバイパスルートとなる湖西線の建設を進めており、昭和49(1974)年に完成します。開業当初は地ならしということか、普通列車だけの運転でしたが、昭和50(1975)年3月の全国ダイヤ大改正に伴い、大阪~北陸の優等列車をそちらに移すことになりました。
それによって、北陸特急にも変化が生じるのですが、そのお話はまた次回。

-その6へ続く-

※ 当記事は、以前に書き貯めた記事の自動公開です。

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