以前の「橋14」表示が残っているバス停ポール(現在はもうありません)のように、既に廃止になったバス路線の系統案内表示が残っていることが、実は結構あります。
管理人は、その話を聞いて昨日(7月23日)見てきたのですが、思いがけずノーマークのところでゲットしてしまいました。
それは、「品97」品川駅高輪口行きが発着する「新宿追分」のバス停。
場所はこちら↓(ガラケーの方ごめんなさい)
地図の「B4」という字のあたりにバス停があります。
その上で、写真をご覧ください。
「田70」!
まだ田70が残っていますぜダンナ。
「田70」は新宿駅西口~田町駅東口(港区スポーツセンター)を結ぶ系統で、途中青山一丁目駅までは現在の「品97」と同じルート、青山一丁目駅からは外苑東通りに進んで六本木、麻布十番、三田の慶応義塾大学の前を通って札ノ辻陸橋でJRを乗り越え、田町駅東口へ達していました。ちなみに「品97」の元は四谷発着の「四97」で、四谷発着を新宿発着に建て替えたものです。
なぜこうなったかというと、平成12(2000)年12月の都営大江戸線全線開業による都営バス路線の大リストラで、「田70」がその対象になったから。都交通局は「田70」を廃止し、「四97」を新宿発着に建て替えて「品97」と改めました。
つまり、「田70」は、廃止されて15年以上が経過するのですが、それでも残っているというのが凄いですね。もっともこれは、行燈型のバス停ポールの外板に印刷されていて、おいそれと交換することができないことから、残ったままになっているのでしょう。しかしそれなら、せめてシールくらい貼ってもいいと思いますが。
実は、管理人にとっての「本命」はこちらでした。駿河台下。
地図はこちら↓
地図で言うと、ピンの真上のバス停マークがそうです。
こちら↓
現在地は赤いバス停マークだが、その左側には…
拡大してご覧いただくと、「茶81」という文字があるのが確認していただけるかと思います。
ちなみに、当時の「茶81」渋谷方面行きのバス停はこのあたりにありました↓
旧カザルスホールの前
現在は日大の施設になっているようですが。
「茶81」は渋谷駅と御茶ノ水駅を結んでいた系統で、兄弟系統に「茶80」(都電10系統代替)がありました。しかし「茶80」は昭和54(1979)年の都営バス路線の大リストラの際にあっさり廃止され、「茶81」のみが孤塁を守って来ました。「茶81」が残ったのは、平河町・一番町経由であり、四ツ谷・市ヶ谷経由の「茶80」と経由が異なっていたからですが、それも平成元(1989)年の半蔵門線三越前開業で乗客が激減し、末期には1時間に1本というレベルまで落ち、結局平成12(2000)年の大江戸線全線開業の際、大江戸線とは全く無関係であるにも関わらず廃止されてしまいました。
管理人はこの「茶81」を頻繁に利用し、たまに「都01」用の車が来ると得をしたような気分になったものです。あれから15年以上も経つんですね(´・ω・`)
しかし、それでも残る「茶81」の表示。
このほか、都営バスでは東陽町駅前のバス停案内に「都07」になる前の「錦14」の表示が残っているそうなので、見に行ってこようと思います。
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№3086.新橋駅に残る「バス停ポール」
※ 現在はこのバス停ポールから「橋14」の表記は消えています
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3651.廃止後15年、今なお残る廃系統の表示
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