以前の記事でも取り上げたことがありますが(下記関連記事参照)、東急の事実上の創始者にして総帥であった五島慶太は、「広尾」「天現寺橋」という土地に、並々ならぬ関心を抱いていたようです。それが、
東横線は世が世なら広尾発着だった!?
という、今から考えれば突拍子もないと思えるような説ですが、ではその「天現寺橋」とはどのような場所なのか?
7月23日、実際に見てきました。
「天現寺橋交差点」の地図はこちら↓
外苑西通りと明治通りの交差点で、渋谷区広尾と港区南麻布との境目でもあります。
港区側から渋谷区側を望んだ写真がこちら↓
正面が恵比寿、右が目黒、左が西麻布
折しも「品97」新宿駅西口行きのバスが、西麻布へ向かって右折していきます。
かつての都電7系統
思えばここは、都電の3つの系統が行き交う拠点でもありました。7系統(品川-飯田橋)、8系統(中目黒-築地)、34系統(渋谷-金杉橋)。7系統と34系統は、現在の都営バス「四97」→「品97」と「橋85」→「都06」となっています。「品97」はやや本数を減らしていますが、「都06」は今も変わらぬドル箱路線です。
街頭の地図↓
川が描かれている
この川の橋が「天現寺橋」なのでしょう。
では「天現寺」はあるのか…というと、ちゃんとあります。
多聞山天現寺
この「天現寺」、もともとは小日向御箪笥町にあった臨済宗大徳寺末の普明寺を引継ぎ、享保4年(1719)現在地に移築して多聞山天現寺と改めたのが始まりとか(天現寺HPの「起源・由来」より)。なお「多聞山」とは「毘沙門天」のことだとか。
以前の記事でも記していますが、このあたりは戦前でも閑静なエリアだったそうです。ではなぜ五島慶太がこの地に関心を寄せていたのか、それは有栖川宮の御用地に狙いを定めていたからではないか…と当時は結論付けましたが、そのことを示す証拠はありません。あるいは、このお寺にも関わりがあるんでしょうか。もう少し調べてみる必要がありそうです。
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