久しぶりの「廃線跡・未成線」カテゴリ。
今回取り上げるのは、「東京都港湾局専用線」の踏切の跡。
場所はこちら↓(ガラケーの方ごめんなさい)
ここは「三ツ目通り」という、交通量のかなり多い幹線道路ですが、ここで専用線が交差していました。
地面が盛り上がっているのがお分かりいただけるだろうか?
写真では分かりにくいかもしれませんが、この部分は踏切の跡。線路が消えた今もなお、踏切の後は地面の盛り上がりとして残っています。
こちらが、踏切跡地から豊洲方面を望んだ写真。
複線相当分の用地が伸びている
この土地は現在も、線路こそ撤去されたものの、廃止後30年近く経過した現在なお、空き地のままです。
「管理地」の立て札を撮影。
現在も都有地
これは別にこの土地に立ち入って撮影したわけではなく、コンデジのレンズを金網の隙間に通して撮影したものです。
この土地は、法的には東京都の持ち物です。「東京都港湾局専用線」だから、当然といえば当然ですが。
ということは、踏切(だった場所)の反対側も当然…。
こちらも都有地
しかし、豊洲側と異なるのは、こちらには線路が残っていること。
線路が見える
このあたりは線路の両側が一段高くなっているんですが、もしかして越中島貨物駅ってこのあたりまであったんですかね?
当時の用地の一部は、駐車場になっています。
駐車場として活用されている
これら東京都港湾局専用線(豊洲・晴海地域)の用地は、路線廃止後一部が住宅地に転用されたものの、かなりの部分が残っているとのことです。
もし残っていたら、新金線や越中島貨物線の旅客線化に弾みがついたかもしれません。バブル期にあった「臨海副都心構想」が現実化していれば、東京東部や千葉県・埼玉県から都心を通らずに臨海部へ直行できる交通機関として、その重要性は増していたことは間違いありません。
しかし現実には、「臨海副都心構想」は「世界都市博覧会」の中止と共に雲散霧消、オフィス機能の集積は進まないままでした。それでも沿線にはマンションが林立し、それなりに人口が集積したのですが、今度は総武線亀戸方面にしか出られないということで、旅客線として活用する価値は低くなってしまいました。今でも新金線は葛飾区議会で、越中島貨物線は江東区議会で旅客線化への働きかけが議論されていますが、一時期よりはトーンダウンしたように思われるのは、「臨海副都心構想」の頓挫と無関係ではないように思われます。
世が世なら、亀戸駅に隣接した高高架に作られた駅に、次世代型LRTが発着し、その電車が豊洲・晴海方面へ達していた。
あるいは、LRT化された東武亀戸線の電車が、地下化された亀戸駅を介して、越中島経由で豊洲・晴海方面へ達していた。
以前に当ブログでは「東武伊勢崎線の新橋乗り入れ構想」を取り上げたことがありますが、それが形を変えて実現していた可能性すらあったわけで、それが実現しなかったのは、何とも勿体無かったような気もします。
三ツ目通りの不自然に盛り上がった路面は、晴海に残された鉄橋共々、昭和の鉄道風景の遺構になってしまったのでしょう。
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