画像だけのアップになってしまい失礼しました。
住吉鳥居前で下車した管理人は、住吉公園駅の跡地を視察することに。
すると、住吉公園駅の駅舎はまだ残っていました。
残っている
管理人もこの駅の現役時代に乗り降りしたことはあるはずなのですが…あまり記憶にありません。乗り潰し目的だけでとっとと折り返してしまったからかもしれませんが。
駅舎の中には、飲み屋(お好み焼屋?)があったのですが、こんなものが↓
チン電プリクラ!
「チン電(ちん電)」とは阪堺電軌の愛称ですが、この写真撮影装置、筐体の色がモ161を模したのか、モスグリーンに黄色い帯となっています。
ちなみにこの駅、南海線の住吉大社駅の間近にあり、乗換駅と言ってもいい近さでした。昭和54(1979)年までは、同じ「住吉公園」を名乗っていたそうですが、それもよくわかります。
写真の灯篭の影に住吉公園駅があった
しかもこのとおり、指呼の間に同じ阪堺線の住吉鳥居前電停が。
(上の写真の道を手前側にバックすると、住吉鳥居前電停はすぐです)
この電停も至近距離(以前の記事から転載)
となると、それでは住吉公園駅の存在意義は奈辺にありや、ということになるわけですが、電車の折返しの機能があったようです。実際に昭和30年代には1日200本、一昨年のダイヤ改正直前でも66本の発着列車があったそうですが、「あべのハルカス」開業の一昨年3月のダイヤ改正で、平日5往復、休日4往復のみとなり、始発が住吉公園に到着する時刻が7時35分(平日・土休日とも)、住吉公園発の最終が8時24分(平日)、8時32分(土休日)と営業時間帯は1時間に満たなくなってしまい、「日本一終電が早い駅」として勇名を馳せる(?)ことにもなりました。
勿論そうなっても、指呼の間に住吉鳥居前電停があるので、乗客としては無問題なわけでして。それならいっそ廃止しよう、ということか、今年の1月31日で廃止されました。
なお、当ブログと相互リンクさせて頂いている「MAKIKYUのページ」で、廃止直前の住吉公園電停がレポートされておりますので(こちら)、現役時代をご覧になりたい方はそちらも合わせてご覧ください。
かつて乗り場があった場所は、こんなふうになっていました。
駐車場として利用されている
こちらは反対側、かつて踏切があった場所から望んだもの。
このままの状態が続くのか?
何だかんだ言っても駅前の一等地ですから、この手の土地の利用価値は高いものです。そのためいつまでも駐車場だけということはあり得ず、いずれ何らかの活用があり得るのではないかと思われます。そのときには、願わくば「住吉公園駅跡」と銘打った石碑でもどこかに残してほしいものですが。
上の写真から、反対側の合流地点を望んだもの。
こちらは砂利敷きのまま
こちらは活用されていないようです。
最後に合流点のあたりを。
この先、車のいるあたりで合流し、複雑な分岐を構成していました。
配線が単純になってしまった
住吉公園駅とそこにつながる路線が廃止されたのは、分岐部の保守が大変なのと、将来的に設備の更新に巨額の投資が必要になってくることが勘案された結果といわれています。確かに指呼の間に別の電停があれば、利便性の低下など無いに等しいですから。
もしかしたら、阪堺電軌が一昨年のダイヤ改正で、住吉公園発着の便を大幅に減便したのは、廃止に向けて利用客の動向その他リアクションを探ろうとしていたのではないでしょうか。ところが思った以上に反発がなかったため、それなら無問題だろうとして廃止を決断したのでは…と思います。
特徴ある電停が消えたのは残念ですし、管理人にとっては、これでまた「折角乗ったのに鬼籍入りしてしまった路線」が増えてしまったわけですが、今から乗ろうと思っても絶対に乗ることのできない路線に乗り、絶対に降りることのできない電停に降りることができたわけですから、それはよかったと思います。
この後は、前の記事のとおり、堺とらむに乗って浜寺公園へ行きました。