「あれから10年経ちました」シリーズ、JR、私鉄と来ましたので、今回はバスを取り上げようと思います。
バスは鉄道以上に地域性が顕著で、自分が居住していない、日常的に訪問する機会がない、というエリアでは関心はどうしても薄くならざるを得ませんので、今回は管理人の趣味的関心の対象である5つの事業者、都交通局、東急、関東、京王、川崎市を中心に述べていくことにいたします。他地域に関しては、必要に応じて言及するにとどめます。
まずこの10年を振り返ってみて思うのは、どの事業者も強力にノンステ化が推し進められたなーということです。10年前の段階では、まだ少数ながら昔ながらの床の高いバス(ツーステ)が残っていたのですが、この10年の間に、先ほど挙げた5つの事業者では全て退役してしまっています。勿論、完全ノンステ化がなされたか否かはまた別の話でして、ノンステではないワンステを使用している事業者も、東急・京王・川崎市などありますが、これはノンステの宿命である「詰め込みの効かなさ」を解消するための方策でもあります。そのため、東急ではワンステ車の配属は神奈川県内の営業所に限られ(ワンロマ車やリエッセなどを除く)、川崎市でも大工業地帯を抱える塩浜営業所が中心となっています。
これに対し、完全ノンステ化がなされたのが都交通局(都営バス)。都交通局は3年前の平成25(2013)年3月、つまり平成24(2012)年度限りでツーステ車を全て退役させました。最後のツーステ車は、23区では品川・深川・江戸川・臨海などに残っていましたが、これらは全て退役し、同時に一般路線車の完全ノンステ化が達成されています。
これによって、面白い現象が生じました。元々の都営バスのカラーリングは、車体下部がベージュ、上がアイボリーの地にグリーンのナックルラインが入るものでしたが、ノンステ車はそれに加えて、大きな曲線のオレンジ色のラインを入れ、ノンステ車をアピールしていました。しかし、全車ノンステに統一されたことで、その「ノンステ車のアピール」の意味がなくなってしまい、オレンジ色のラインまで入ったカラーリングが都営バスの基本のカラーリングということになってしまいました(オレンジ色のラインが入っていない、特別カラーの渋谷M128号車を除く)。そうなったら、オレンジラインのない色に戻せばいいのではないかと思うのですが、そういうことは都交通局もするつもりはないようです。
それと10年の間に変わったのは、バスの車両の行先表示。
昔は、というかつい最近まで幕が主流だったはずですが、現在はLEDが増えました。LEDだと、営業所を移転した際に幕を入れ替える必要がないなど、メンテナンスの手間が要らないので重宝され、幕式の行先表示をLEDに換装した車両も現れました(都営バスの現K・L代が該当する。M代は当初からLED)。都営バスも現在幕を堅持しているのは、現役最古参の現H代だけで、その現H代も退役が進み、恐らく今年度いっぱいで全て退役することになるでしょう。そうなれば、都営バスから行先表示が幕の車はなくなり、LEDに統一されることになります。
幕の放逐は他の事業者にも及んでおり、東武・国際興業などはまだ少数残っているようですが、東急・関東・京王・川崎市では幕車はほぼ全滅、横浜市でも先ごろ「最後の幕車の引退」のイベントが行われることが決定しています。
もっとも、これは東京圏だけかもしれません。他地域、例えば京都市バスは現在なお幕を堅持していますし、大阪市バスも幕車の残存率は結構高いように思われます。これは東西の差があるのでしょうか。
関東バスなどはもっと進んでいて、それまでの3色LEDからフルカラーLEDの導入にシフトし、さらに表示内容の充実や視認性の向上を図っています。一般路線バスにフルカラーLEDを導入したのは西武バスだったと思いますが(違っていたら指摘してください)、他事業者にもじわじわと広がりつつあります。
あとは、都営バス限定になりますが、平成25年春の改編が印象に残っています。このときの改編で「東98」の運行から撤退し(路線そのものは東急バスが単独運行で継続)、これによって東京23区で唯一、目黒区が都営バス路線の全くない区となってしまいました。また同時に「宿91」も新代田駅-駒沢陸橋間が短縮されてしまったため、世田谷区を走る都営バスの路線がほんの僅かになってしまったなど、やや寂しい改編ではありました。
また、この10年の間に営業所(大塚車庫)が消え、当ブログ開設前に消えた目黒営業所の営業所コードMに続いて、営業所コードGが消えました。大塚車庫の跡地には、かつての東京市電の車庫など歴史的な建造物が残っていたはずですが、あれはどうなるのでしょうか。
以上は一般路線バスですが、高速バスはこの10年の間に、所謂ツアーバス(都市間ツアーバス・脱法ツアーバス)の台頭により、都市間高速バスでも低価格化競争の波に洗われることになりました。これによって、正規の路線バスでも運賃を値上げすることができず、それまで高速バスの高い収益で地方の生活路線の赤字を埋めてきた、地方のバス事業者のビジネスモデルが成り立ち得なくなってきました。他方で、都市間ツアーバスは、ダンピングとしか思えない低廉な運賃を設定して若年層に売り込んでいたのですが、それに伴い運転手の労働条件の悪化をもたらし、疲弊した運転手が重大事故を起こす事例も発生するようになります。
流石に国交省も監督官庁として対策に乗り出さざるを得なくなり、4年前の平成24(2012)年、国土交通省自動車局が従来の「高速(乗合)バス」と「(高速)ツアーバス」を一本化した「新高速乗合バス」制度を定め、省令や通達の改正を行い、翌年に一本化されています。これにより、翌年の7月30日出発の便を最後に、それまでの都市間ツアーバス(脱法ツアーバス)は全てなくなっています。
脱法ツアーバスから新高速乗合バスに「昇格」したのはピンクのあの会社ですが、あの会社が高速バス運営事業者として振る舞っているのには、管理人は個人的に何とも言えない違和感を覚えてしまいます。その違和感の根源はどこなのか、ここでの明言は避けますが。
他方、運賃に関しては多くの事業者が、航空便のようにチケットの購入時期によって割引率に幅を設ける制度を採用し、廉価で移動したい層にも一定の配慮をしています。もっとも、これまでの夜行都市間高速バスの場合、ライバルはJRの夜行列車だったのですが、最近はLCCの台頭に伴ってそちらとのライバル関係が成立するに至っており、都市間高速バスを取り巻く状況は依然として厳しいものがあります。
廉価なばかりではなく、高級化路線もみられるようになりました。例えば、中央道の高速バスには上級クラスのシートを用意するようになっていますし、高速バスの雄「はかた号」には、何と個室になる「プレミアムシート」を用意しています。後者はLCCで東京(成田)から福岡に飛ぶよりも高額になりますが、一定の需要を掴んでいるようです。
10年のバスの変化を追い掛けましたが、やはりどうしても駆け足になりますね。
次回は航空の10年を取り上げようと思います。