【おことわり】
投稿に際して不具合がありましたため、一旦記事を削除の上、再投稿とさせていただきました。
東武ネタ4連発の最後は、今はなき日光軌道線のネタを行かせていただきます。
墨田区東向島にある東武博物館には、日光軌道線で活躍していた連接車200形が生体保存されています。博物館での保存とはいえ屋外での展示であり、博物館閉館時にも公道上から撮影できる場所となっています。
実は今回取り上げる写真は、昨年11月に撮影したものですが、このままだとお蔵入りになってしまうことから、勿体無いので今回アップすることにしました。
まずは正面から。
おとなしい姿
この車両は昭和29(1954)年、観光客の増加に伴い収容力を増やすために導入されたものですが、観光輸送のみならず、沿線の精銅所の工員輸送にも威力を発揮しました。もともと日光軌道線自体が、古河合名(現古河電工)の精銅所と国鉄の日光駅を結び貨物輸送を行うこと、旅客輸送として精銅所への工員輸送をすることを目的に、古河合名と日光町(当時)の合弁で「日光電気軌道」を設立して建設、その後東武に買収されたものです。
日光軌道線は、日本で一番標高の高い場所を走る路面電車であり、山沿いの風光明媚な場所を走る路線として人気を博しましたが、次第にモータリゼーションの波に呑まれるようになりました。決定的だったのは、第一・第二いろは坂開通により、バスが直行できるようになって自家用車を使用しない観光客でもそちらを利用できるようになったため、日光軌道線の利用客が激減、結局昭和43(1968)年2月25日限りで廃止されています。
廃止後、100形電車は岡山電気軌道に移籍し3000形として活躍しましたが、200形は引き取り手がなく、この203号を除いて解体されてしまいました。
ちなみに、この203号は、以前は東武動物公園に静態保存されていましたが、平成元(1989)年の東武博物館開館に伴い、こちらに移転しています。
200形を紹介する銘板
昭和40年代には路面電車の廃止が進みましたが、やはり連接車は引き取り手がないようです。
連結部の造作を2点、車体の連結面と台車部分の写真をあえてノーキャプションで。
やはり特徴的ですね。
日光軌道線が廃止されて来年で50年となりますが、当時を知る人も車両も少なくなっています。今残っていれば、一種の保存鉄道のような生かされ方もあり得たと思いますが、それは仕方がないのでしょう。
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