Quantcast
Channel: さすらい館
Viewing all articles
Browse latest Browse all 4315

4010.485系・その栄光の生涯 その15 国鉄改革直前のさらなる効率化

$
0
0

その14(№4001.)から続く

 

「60.3」の段階では、方針が決まっていただけで具体的な姿が見えていなかった国鉄の分割民営化ですが、翌年に至るとその具体的な姿が固まってきました。そこで国鉄は、翌年の新会社移行を前提としたダイヤ改正を、昭和61(1986)年の11月1日に実施することになります(以下「61.11」)。その内容は、前回以上の効率化を目指すのは勿論のこと、列車のダイヤや車両の配置・運用も、新会社移行を前提としたものとされました。

「61.11」の概要は以下のとおり(485・489系に関する事項のみ)。

 

① 「たざわ」短編成化のためモハ485-1000に運転台を取り付け、クモハ485-1000として就役。「たざわ」は通常期5連化(TscM'MM'Mc)。

② 青森・秋田のクハ481の一部を半室グリーン車のクロハ481に改造。これにより「たざわ」にグリーン席が出現、「はつかり」「いなほ」「つばさ」にグリーン席が復活。

③ 秋田-青森間「むつ」を廃止。

④ 「ひたち」11連から電動車ユニット1組を抜き、9連に変更。編成数増加のため、非貫通の300番代先頭車が勝田へ。「全編成ボンネットスタイル」が崩れる。

⑤ 「あさま」用として489系9連が金沢から長野へ転属。先頭車は貫通型200・600番代。

⑥ 「くろしお」を381系に統一し485系を放逐。放逐された485系は福知山と南福岡へ。

⑦ 「雷鳥」の「だんらん」非組込み編成からT車を抜き9連化。

⑧ 新潟・上沼垂に485系9連を配属、「白鳥」と一部の「雷鳥」「北越」を移管。

⑨ 福知山線電化開業に伴い一部が福知山に配属、「北近畿」で運用開始。編成はTcM'MM'MTcの6連。

⑩ 「にちりん」の一部を下関発着に変更。

⑪ 「かもめ」「みどり」を完全分離運転。

⑫ 博多-熊本間の「有明」に485系史上最短の3連(ThscM'Mc)が出現。この運用のため、改造車クモハ485-100とクロハ481を用意。

 

前回試みられた「短編成・高頻度」はさらに深度化され、今度は「たざわ」が通常期5連を組むこととなり、改造により制御電動車クモハ485-1000が登場しました(①)。ただし前年に「有明」用に登場したクモハ485-0とは形態が異なっています。

短編成化は他地域にも及び、「ひたち」の11連→9連化(④)、「雷鳥」の「だんらん」非組込み編成の9連化(⑦)などが見られます。ただし、モハ481・480の電動車ユニットを全て淘汰したのとは異なり、この時点でもなお、モハ483・482のユニットは4組が残存しており、後にJR東日本に承継されています。

他方、短編成化を推し進めた結果、多くの列車からグリーン車がなくなってしまい、優等車の需要に応えることができなくなってしまいました。そこで国鉄は、青森・秋田の485系編成の先頭車について、グリーン席を設け合造車にする改造を施しました(クロハ481-1000)。これで、「たざわ」は勿論、「はつかり」「いなほ」「つばさ」にもグリーン席が設けられました(②)。

「61.11」の目的は、新会社移行を前提としたものであったことは前述したとおりですが、それは車両の配置にも表れていました。以前は485・489系の配属がなかった上沼垂と長野に初めて配属されたこと(⑤⑧)などは、その典型例。これは、例えば大阪-新潟間「雷鳥」は、新会社移行によって東日本会社と西日本会社との相互直通運転の形態になるところから、両社の車両の走行キロ数が同等になるように配慮されたものでした。ただ、これによって、気動車時代以来13年ぶりに復活した「白鳥」の向日町での担当ですが、僅か1年7か月で消えることになりました。

なお、上沼垂へ配属された485系は、向日町から転属していったものが大半ですが、前回向日町に転入してきた1000・1500番代の車両は、一部を残して殆どが上沼垂へ転属となっています。また向日町では、10連の「だんらん」非組込み編成からT車が抜かれ、上沼垂の編成と揃えられました。抜かれたT車は、勿論改造の種車に有効活用されています。

ちなみに、前改正で登場した「むつ」ですが、今改正で廃止されました(③)。登場から廃止まで僅か1年7か月。これは485系充当列車の中では最も短命な記録です。ただし「むつ」の名誉のために付け加えれば、「むつ」は乗客が少ないから廃止になったわけではありません。「むつ」のスジを「たざわ」とつないで盛岡-秋田-青森間の列車としたため、独自の列車名を名乗る必要がなくなったからです。

 

1年7か月で終わったといえば、381系使用列車との圧倒的な所要時間の差で物議を醸しまくった「くろしお」運用も然り。他区所から短編成化により捻出された381系により、同列車は381系に統一されました(⑥)。

そして「くろしお」運用終了により日根野から放逐された485系は、新たに同系が配属される福知山と、一部は九州南福岡と、それぞれ転属することになりました。珍車クハ480は殆ど九州地区へ転属しましたが、その大半はMG・CPを搭載してクハ481-800と形式を改めています。

この改正では福知山線・山陰本線の宝塚-福知山-城崎間が電化され、それまでの気動車特急・急行に代わり、電車特急が走り始めました。地元は新車381系の導入を望んだそうですが、国鉄当局が用意したのは中古の485系。地元の落胆いかばかりかと思いますが、こればかりは当時の財政事情から仕方ありません。当初はグリーン車のない6連でしたが、こちらも東北地区同様、クハ481にグリーン室を設ける改造を後に施しています。

 

九州では「にちりん」に下関発着列車が登場し、九州の485系が11年ぶりにデッドセクションを越え、直流区間に顔を出すようになるなど、趣味的に興味深い動きもあったものの、効率化の方が目立っていました。たとえば、「かもめ」「みどり」の併結運転を全列車取り止め、完全分離運行となったのもその表れです。1両も車両を増やすことなく、博多-肥前山口間の乗車チャンスを拡大できるわけですから。

その結果、「みどり」は4連のミニ編成のまま、博多から佐世保まで通すことになり、博多駅にあの4連が発着する様は、同駅に11連の本州直通特急がひっきりなしに発着していた11年前までと比べれば、隔世の感一入といったところです。

しかし、4連で驚くのはまだ早かった。

博多-熊本間の「有明」には、何と「みどり」よりも短い3連が登場! これは、並行する福岡-熊本間の高速バスに対抗すべく頻度を確保するためですが、改造により先頭電動車を作り、さらにクハにはグリーン室を設ける改造を施しています。このとき作られた先頭電動車は、形式こそ前年登場したクモハ485ですが、その続番(0番代)ではなく100番代に区分されました。理由は、0番代にはMG・CPが搭載されていたのですが、短編成用に割り切って搭載を省略し、客室スペースを増やしたからです。

 

前回と今回で見てきたとおり、485系には多種多様な改造車が出現し、当時の鉄道趣味界を賑わせました。

そこで次回と次々回は、そのような485系の「改造車列伝」をお送りします。そして、「61.11」の直後に「にちりん」の下関乗り入れをめぐって起きた椿事についても、その中で取り上げることにいたします。

 

-その16へ続く-


Viewing all articles
Browse latest Browse all 4315

Trending Articles