今回はJR九州を取り上げます。
JR九州では、全旅客会社の中で真っ先に新型特急車両(783系)を投入しましたが、同時に、その783系と485系との格差が顕著になってしまいました。勿論、会社発足直後から、指定席車に充当する車両を中心に座席の取り換えなど、改善を行ってはいたものの、それでも783系使用列車に乗客が集中するという現象がみられました。
そこで、JR九州は485系の全面リニューアル工事に着手することになります。
手掛けたのは、デザイナーの水戸岡鋭治氏が代表を務める「ドーンデザイン研究所」。氏のアイデアにより車体をJR九州のコーポレートカラーの鮮やかな赤に塗り込め、金色と白の特急マーク(チャンピオンマーク)を金色一色、屋根を黒とし、さらに白の文字で列車名や車両形式・車号など様々なロゴを配するという、リニューアルの基本メニューが決められました。勿論、内装も徹底的に手が入れられ、座席の取換え(普通席はフルリクライニングシート、グリーン席は横3列の大型リクライニングシート)、グリーン車及び普通車喫煙車に空気清浄機の設置、その他内装のリフレッシュが施されています。
手始めに、平成2(1990)年に長崎本線の特急「かもめ」に充当される8連について、上記のメニューを盛り込んだリニューアルを施し、「KAMOME EXPRESS」として就役させました。このグループは、完全な赤一色ではなく窓回りを黒く塗っており、連窓風の外観を作り出しています。
この車両、愛好家は勿論のこと、利用者や沿線住民も度肝を抜かれました。なぜかというと、それまでの日本の鉄道車両にはないデザインだったから。車体を赤一色に塗り込めるのは、名鉄のパノラマカーなどの前例がありますが、あれは朱色に近いスカーレットなのに対し、こちらは鮮やかな真紅。しかも列車名や形式・車号、さらにはJR九州の社名を英字ロゴにして車両のあちらこちらに配するデザインは、非常に斬新なものでした。
「KAMOME EXPRESS」では、先頭車クハ481-200の貫通扉は埋め込まれ、非貫通型のクハ481-300と同じような顔に仕立てられました。これまでにも、他所のクハ481-200の貫通扉については、開かないように溶接されたり、1枚板をはめ込まれたりするなど、機能を停止したものが多かったのですが、この改造で初めて、完全に貫通扉をなくした車両が現れました。ただしヘッドマークのサイズだけは、貫通扉があった当時と変わらないままで、そこが生粋の非貫通型との相違点となりました。
この「KAMOME EXPRESS」、一般利用者からは「赤いかもめ」として親しまれることになります。
翌平成3(1991)年には、博多-佐世保間を走る「みどり」に、同じようなリニューアルが施され、こちらは「MIDORI EXPRESS」と銘打たれます。
しかし今度は、列車名が「みどり」であるにもかかわらず、「KAMOME EXPRESS」と同じように車体色を真っ赤に塗り込めたものですから、こちらは「赤いみどり」なるニックネームを頂戴してしまいました。「みどり」なのに「赤い」とはこれいかに? 何とも訳の分からない現象が出来したものです。
この「赤いみどり」化に先立ち、同列車の運転開始から先頭に立ってきたクロ481は、昭和62(1987)年から順次「にちりん」などに回され、代わってクハ改造のクロハが連結されるように変更されていました。「みどり」編成には、元「くろしお」用のMG・CPを持たない簡易貫通型のクハ480が連結されていることも多かったのですが、「KAMOME EXPRESS」用のクハ481-200と同様、このクハ480の貫通扉も完全に埋められてしまいました。これによって、貫通扉が露出したクハ480の特徴あるマスクは、九州においては見ることができなくなっています。
さらに平成4(1992)年には、大村線沿線にテーマパークが開業したことに伴い、大村線早岐-ハウステンボス間を電化、博多-ハウステンボス間に特急「ハウステンボス」が運転されることになりました。
そこで485系が整備されたのですが、今度はかつて「有明」に使っていたThscM’Mcの3連について、ThscをTcに変えた3連をその「ハウステンボス」用に仕立て、「ハウステンボス」を表す「HUIS TEN BOCH」のロゴを配したのは勿論、独自の塗装を施しました。その独自の塗装とは、赤を基調としながらも、緑・青などのブロックパターンを配するというもので、もはや派手を通り越してサイケデリックとしか言いようのないものになりました。「ハウステンボス」用の編成は、後にT車を連結して4連になっていますが(このとき増結されたサハ481は一部を除いてモハ485の電装解除車)、このT車は黄色のブロックパターンを配しており、サイケデリックさ加減はかえって増しています。
以上とは別に、平成2(1990)年から「みどり」と併結運転を行う「かもめ」用の5連について、上記3者と同様のリニューアルを施し、こちらは「RED EXPRESS」となります。「RED EXPRESS」は上記3者とは異なり、使用列車を限定しませんので、「かもめ」以外にも使用されました。後に「にちりん」用の6連も「RED EXPRESS」化され、ボンネットスタイルの先頭車も赤く塗り込められましたが、流石にこれには、鉄道趣味界からも少なからぬ反発があったようです。
運用の面で言えば、昭和63(1988)年から「かもめ」「みどり」の博多-肥前山口間併結が一部で復活していましたが、「ハウステンボス」登場後は博多-早岐間で「みどり」と「ハウステンボス」の併結運転が恒常化し、その中にはさらに博多-肥前山口間で「かもめ」とも併結運転を行う列車も存在したため、国鉄~JRを通じて初の「3階建て」列車が出現することになりました。しかも編成も3列車で14両と、485系使用列車としてはかつての「白鳥」や「ひばり」を上回る最長編成となりました。
←長崎・早岐・ハウステンボス TcM'MTsM'MTcTcM'McTcM'MThsc 博多・佐世保→
(のちにTscM'MM'McTcTM'McTcM'MThscの編成も)
しかし単独列車としての14連ではなく、食堂車もない14連というのは同列には並べられないのでは…と考えてしまうのは、管理人が「国鉄脳」だからでしょうか(^_^;)
このように見てくると、九州の485系がいかにも意気軒昂に見えるのですが、実際には783系の投入の4年後、平成4(1992)年7月15日には787系の投入・「つばめ」運転開始と引き換えに485系が熊本-西鹿児島間の運用から撤退するなど、縮小傾向も見られるようになります。同じ平成4年には、「にちりん」の下関乗り入れが廃止され、九州の485系が本州へ顔を出す機会が再びなくなりました。その2年後の平成6(1994)年には、博多-熊本間からも撤退し、鹿児島本線鳥栖以南では、485系が定期列車としては走らなくなりました。
さらに平成7(1995)年、883系が博多・小倉-大分間で「ソニックにちりん」として運転を開始すると、「にちりん」が宮崎で系統分割され、宮崎-西鹿児島間は新たに「きりしま」として運転されるようになります。「きりしま」用には485系のリニューアル車が用意されましたが、この車両のカラーリングはこれまでの赤とは異なり、深い緑色をまといました。赤の多い485系の中では、かえって強烈な存在感がありました。
個性的な新型特急車両に押されながらも、実に5種類ものリニューアル車が覇を競っていたJR九州。
次回は、最も多くの485系を引き継いだ、JR東日本のリニューアル車を見ていきます。
-その22に続く-