-その25(№4108.から続く-
485系の退潮傾向、今回は九州のそれを見ていくことにいたします。
民営化当初、JR九州には324両の485系が国鉄から承継され、「有明」「にちりん」「かもめ」「みどり」に活躍していました。
しかし、平成に入ってからの度重なる新型車両の投入と、九州新幹線の開業により、485系は徐々に勢力を縮小していきます。
まず、平成4(1992)年7月に787系が門司港・博多-西鹿児島間の系統に投入、列車名を「つばめ」と改めます。このとき、「有明」改め「つばめ」は787系と783系に統一され、まず485系による熊本-西鹿児島間の定期運転がなくなりました。その2年後、787系のさらなる増備によって、博多-熊本間の特急になっていた「有明」から485系が放逐されています。
このころは、初期型で車齢の高い車が淘汰されただけで、まだ「RED EXPRESS」化されたリニューアル車からは廃車は出ていません。
その「RED EXPRESS」化された車からも廃車が出るようになったのが、平成7(1995)年のこと。この年、真っ赤に塗り込められて鉄道趣味界で激しい賛否両論を巻き起こした、ボンネットスタイルの先頭車も全て退役しています。
この年には、「にちりん」の宮崎-西鹿児島間を別列車として独立させた「きりしま」の運転が始まり、車体色を深緑色にした485系の専用編成が用意されました。同時に、「にちりん」の博多・小倉-大分間の系統に883系が導入され、同系を使用した列車は「ソニックにちりん」と改称されました。
「ソニックにちりん」は、その2年後の平成9(1997)年3月22日のダイヤ改正で、全て「にちりん」を外して「ソニック」と改称し、「にちりん」は大分以遠へ運転する列車の愛称として存置されました。
平成9年3月改正の当時、実は「ソニック」は全列車883系で統一されてはおらず、1往復(下りの始発と上りの最終)だけが485系で運転されていました。これは、南福岡から485系を出し入れするためでしたが、485系と883系では、最高速度やカーブ通過の制限速度など、走行性能に歴然たる差があるため、博多-大分間の所要時間は、485系使用列車が30分近く遅くなっていました。そのためか、時刻表ではこの列車には「レッドエクスプレスで運転」という注意書きがあり、鉄道趣味界ではこの列車を「真正のものではない(嘘の)ソニック」という意味ということか「ウソニック(嘘ニック、嘘のソニック)」などと呼んでいたようです。
長崎・佐世保線系統では、単独運転の「かもめ」は「KAMOME EXPRESS」の8連(のち7連)、「みどり」「ハウステンボス」と併結する列車は「RED EXPRESS」仕様の5連を使用していましたが、一時期一部列車に787系「つばめ」編成の使用(当時連結されていたビュフェも営業)がなされた後、平成8(1996)年の時点で、単独運転の列車が783系に統一されました。これにより、485系の「KAMOME EXPRESS」編成は退役、同列車に充当される485系は「RED EXPRESS」仕様の編成のみとなります。
このときはまだ、「みどり」「ハウステンボス」の両列車は依然485系で運転、これらにさらに「かもめ」の5連を併結した13連は、依然として同系の黄金時代を思い起こさせる長編成でした。
しかし、平成12(2000)年3月、485系は大きく勢力を縮小させることになります。
このとき、「白いかもめ」こと885系が投入され、単独運転の「かもめ」は1往復(783系)を除いて同系に置き換えられました。そして「みどり」「ハウステンボス」の両列車が、それぞれ783系の専用編成に置き換えられ(『かもめ』885系置き換えで捻出された車を種車として改造)、あわせてこれらと併結される「かもめ」も783系に置き換えられたため、「かもめ」「みどり」から485系が撤退、同系は長崎・佐世保には定期列車としては姿を見せなくなりました。昭和51(1976)年の長崎本線・佐世保線電化完成から、24年後のことでした。
上記「白いかもめ」用の885系は、間合いで日豊本線の「ソニック」にも進出、この関係で485系使用の「ウソニック」が消滅しています。
そして「にちりん」は、東九州自動車道開通に伴う大分-宮崎間の利用低迷により、一部の列車で系統分割が実施されました。大分・宮崎県境の佐伯-宮崎間を廃止、大分-佐伯間を「ソニック」の延長で埋め、延岡-宮崎・宮崎空港間を「ひゅうが」としています。そして「ひゅうが」には、「きりしま」と同じ485系の3連が用意されました。「ひゅうが」運転開始により、使用車両が「きりしま」と共通化されるため、「きりしま」専用車のカラーリングとロゴが実態とそぐわなくなってしまいました。そこで、「KIRISHIMA EXPRESS」のロゴを「K&H KIRISHIMA&HYUGA」に変更し、車体色も緑から「ハウステンボス」の赤地に青・緑・黄のブロックパターンに改められています。これは、「ハウステンボス」が783系に置き換えられたことで捻出した485系編成を転用したからという理由もあります。
以上により、平成12年3月の時点で、485系使用列車は「にちりん」「ひゅうが」「きりしま」のみとなり、同時に昭和50(1975)年3月から四半世紀にわたって485系の牙城となっていた、南福岡の同系から定期運用が消滅しました。同時に、昭和40(1965)年11月以来、481系の「つばめ」「はと」の時代から数えれば35年間顔を出し続けていた博多駅からも、485系は姿を消したことになります(ただし臨時列車は別)。
その後の九州の485系は、九州東岸を中心に活躍することになりますが、平成15(2003)年には「にちりん」に別府発着系統が出現(特急料金は『ソニック』と通算)、その5年後には「にちりん」は全て別府又は大分発着となりました。これにより、小倉駅からも485系の姿は見られなくなってしまいました(臨時列車を除く)。
そして遂に、九州新幹線鹿児島ルートが全通した平成23(2011)年3月12日のダイヤ改正で、九州での485系最後の使用列車となっていた「にちりん」「きりしま」「ひゅうが」は、全て「有明」などから捻出された783系・787系に置き換えられました。
これをもって、九州における485系の定期運用は全て消滅しました。同系が博多駅に顔を出さなくなってから11年後、481系が「つばめ」「はと」として九州に乗り入れるようになってから46年後のことでした。
車両としての485系は、国鉄特急カラーに戻された2編成が、その後も団体列車や臨時列車などに活躍を続けましたが、昨年までに惜しまれながら退役、これによって九州から完全に485系が消えました。
最後の九州の485系は、3連又は5連の短編成で、グリーン車や食堂車を組み込んだ10連以上の編成からしたら、比べ物にならないくらいささやかなものでしたが、それでも時代のニーズに応えるべく、姿を変えながら特急として走り続けたことは、大いに賞賛すべきことだと思います。
次回は、北陸・北近畿からの撤退に至るまでの道のりを見ることにします。
-その27に続く-