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4211.キハ40系・888両のキセキ その2 キハ40系一族①~キハ40各番代

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その1(№4201.)から続く

 

今回と次回は、キハ40系の「各論」として、各車種のスペックを取り上げます。今回はキハ40、次回はキハ47とキハ48を取り上げます。予告編とは若干順番を違えますが、何卒ご容赦を。

キハ40系の特徴として、便所の有無を形式ではなく番代で区別していること、それまで別形式を立てていた北海道用の形式についても、番代区分で対応し形式を別けていないことが挙げられます。これは言うまでもなく、前回触れた会計検査院と労働組合対策のためでもありました。キハ40系は、便所の有無、地域に応じた仕様の差異(酷寒地向け・寒地向け・暖地向け)、さらに扉の差異(片開きか両開きか)により、13種に分けられます(新造車の区分であり改造車は含まない)。

 

キハ40-100(※)

昭和52(1977)年から57(1982)年までの5年間にわたり、計150両が製造されたキハ40系の酷寒地向け、便所付きの両運転台車です。キハ22が酷寒地向けでありながら東北北部にも投入されたのに対し、こちらは北海道にのみ投入されています。

客用扉は片開きのものが2ヶ所、それも両端に寄せられ、客室の保温のためデッキを設けています。外観上は、これも客室の保温のためですが、一枚上昇式の二重窓とされている点が、他車と異なる特徴となっています。なお、便所への出入りですが、扉がデッキ部分に設けられているため、客室からだと、一旦デッキに出てから入ることになります。

101~116と117以降の車両でボックス席の構成が異なっていて、前者は扉間にボックス席が6組、後者は1組の席が半分にされて5.5組とされ、車体の中央部分からやや扉に寄ったところに半分の小窓が設けられるという、特徴的な外観となっています。ただし、同じ酷寒地向けとされるキハ22やキハ24(キハ23の酷寒地仕様車)に比べると、ロングシート部分が増加しており、床面積が拡大されたことの反射として、座席定員はこの2形式に比べると減少しています。これは、ラッシュ時の運用を考慮したものと思われます。デッキ近くのロングシートは、同時期に登場した50系客車にも通じるものがあります。

なお、キハ40には0番代が存在しませんが、この理由について、キハ40という形式自体が2代目だからだといわれています。ではその初代キハ40は何かというと、鋼体化客車オハ62系を改造した気動車の両運転台車。後年加悦鉄道に移籍し、キハ08として働いた車両がそれですが、2代目は初代とは何の関係もありません。

余談ですが、この鋼体化客車改造気動車、片運転台車も存在し、それは「キハ45」という形式でした。しかし、こちらは昭和41(1966)年にキハ45系が登場したとき、キハ45-1~からナンバリングしています。この差異はどこから来るんでしょうか?

 

キハ40-500

こちらも100番代同様、昭和52(1977)年から57(1982)年までの5年間にわたって94両が製造されました。両運転台・便所付き・デッキ付き2扉で扉が片開き、セミクロスシートであること、便所の設置と便所への出入りの方法は100番代と同じですが、大きく異なるのは、2段ユニット窓を採用したこと。ただし103系・113系などの通勤型・近郊型電車に見られる上段・下段とも上昇するものとは異なり、165系などの急行型電車やキハ65で採用されていた上段下降・下段上昇となっています。

501~520は101~116と同じ、扉間にボックス席6組が展開する仕様ですが、521以降は117~と同様、展開するボックス席は5.5組となっています。こちらもやはり、キハ23に比べると座席定員はかなり減少しています。

 

キハ40-2000

こちらは100・500番代よりやや遅れて、昭和54(1979)年から昭和57(1982)年までの間に148両が製造された、キハ40の暖地向けバージョンです。この番代は、便所の扉の向きも含めて、寒地向け500番代521~と同じ室内構成となっていますが、最大の違いはデッキがないこと。これは、温暖な土地で使用するため車内保温の必要性が高くなく、デッキを設けることにより乗降性に難が生じることを回避しています。

何故この番代だけ、他の2者に後れを取ったかというと、当初、国鉄当局は両開き2扉のキハ47を両運転台にしたバージョンの車両の投入を検討していたからです。これが幻と終わった「キハ41」ではないかといわれています。

キハ47の両運転台バージョンは、便所の設置を考えなければ、設計は容易ではありました。しかし、営業サイドから便所の設置の要望が出され、それに基づいて設計を検討したところ、運転台と便所への暖房用のダクトの立ち上げが困難となることが判明してしまいます。そのため、「キハ41」の構想は放棄されてしまいました。

そこで、国鉄当局は、暖地にもキハ40-500に準じた車両を投入することにしたので、この2000番代が登場したということです。

ちなみに、後年、JR西日本がキハ47を両運転台に改造し、形式をキハ41と改め、播但線などで運用していますが、経緯はかなり異なるものの、当初の計画が実現したことにはなります。もっともこの車両、運転台を新設した側は、改造前の連結面と変わらない切妻であり、これがかなり特徴的な顔をしていて、オリジナルの先頭部とは似ても似つかない顔になっています。あの特徴的な顔、国鉄時代に多く見られた電車の先頭車化改造車と同様、連結面を切り落としてそこに新造した先頭部分を接合したそうですが、それならオリジナルの先頭部と同じ顔を作ってやってもバチは当たらなかったのではないかと…。

 

このようにして、北海道から九州まで、日本の津々浦々にキハ40が配属され、ローカル輸送に従事することになりました。

しかし問題は、やはりパワー不足。

北海道など降雪地域は、降雪時の走行には排雪抵抗が増加するため、列車のスピードがそれだけ落ちるか、機関にかかる負荷が増えるかのいずれかになります。しかし、もともとがパワー不足のキハ40系に関しては、平坦線区ならまだしも、勾配線区では著しい走行性能の低下を余儀なくされました。そのため、単行で済むような輸送量しかない路線であっても、パワー不足と冗長性を考慮して2両での運転を余儀なくされるという、当時の国鉄の旗印になっていた合理化とは正反対の方向に進まざるを得なくなってしまいます。降雪地帯以外でも、勾配線区での運用にキハ40系を充当すると、身軽なキハ20系よりも走行速度が落ちるという問題が生じています。

このような問題があったため、キハ40投入により、確かにキハ10系やキハ55系の淘汰は促進されたものの、勾配線区での車両の置き換えは思うに任せませんでした。キハ20系の2エンジン搭載車・キハ52が21世紀、それも2010年代まで生き延びたのは、キハ40系のパワー不足も遠因になっています。

この問題の解消には、国鉄時代最末期に投入されたキハ53-500などの改造車、あるいはキハ54などの新世代気動車の投入を待たざるを得ませんでした。

 

次回は、キハ47・48について取り上げます。

 

-その3に続く-

 

※=本連載では、番代区分を示す際に「キハ40-500」という、電車と同様のハイフン付きの表記をします。勿論正式表記にはハイフンは入りませんが、分かりやすさを優先しました。ご了承ください。


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