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5029.平成の間に変わったもの その4 趣味活動の成果の発信方法

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その3(№5021.)から続く

今回は、「鉄道趣味活動の成果の発信方法の変遷」を取り上げます。
インターネットがまだ影も形もない昭和の時代においては、愛好家が自らの成果を世に出す方法は、2つしかありませんでした。1つは、鉄道雑誌の「読者投稿レポート」のような読者投稿欄に投稿して採用してもらうか、鉄道雑誌で記事を書かせてもらうこと。もう1つは、同人誌を出版して頒布すること。当時は発信といえば紙媒体しかありませんから、一般人に過ぎない愛好家が自己の趣味活動の成果を発信するには、それらしかありませんでした。
このような時代は、昭和のころから平成の初期まで続くことになります。

それが変わり始めたのが、パソコン(PC)の普及と、それによる通信網の構築でしょう。
平成初期から「パソコン通信」が出現し、そこでは当然ながら、様々な趣味のコミュニティができあがります。勿論鉄道趣味についてのコミュニティも立ち上がり、そこで趣味活動の成果を発信したり、撮影地や宿泊地、車両運用などの情報交換をしたりすることができるようになりました。しかしこのころはまだ、現在のようにオープンなネットワークではありませんでしたから、趣味活動の成果の発信とはいうものの、その成果を目にできる人は、雑誌よりもずっと限られた範囲となっています。
それでも、これまで全くの見ず知らずだった愛好家同士がつながる機会が提供されたことは、パソコン通信の大きなメリットでした。このような「コミュニティ」としての機能は、後にMixi、さらにその後のLINEなどに受け継がれています。

平成一桁台末期に入ると、「Windows95」を搭載したPCが普及し、特段PCに関する知識のない人であっても、PCを操ることができるようになります。そのことと、このころからインターネットの利用が可能になったことで、それまでの、どちらかといえば「閉じたコミュニティ」であったパソコン通信とは異なり、文字通り全世界に向かって発信することが可能になりました。このころをもって、愛好家たちは、ようやく自己の趣味活動の成果を自由に発信できる手段を得たことになります。2000年代初頭の平成13~14年ころになると、愛好家が私的に作成したファンサイトが、それこそ雨後の筍のごとく出現し、百花繚乱の体をなしました。このころの私設サイトの特徴は、掲示板が併設されていたこと。勿論これは、愛好家同士の交流、特にサイト管理人と閲覧者との交流を図ったものです。ただ、サイト管理人の不用意な発言、「荒らし」に対する対処を誤ったことなどによる「炎上」、あるいは管理人自身が個人情報保護に頓着しないことなどで生じた、所謂「身バレ」も少なからず見受けられ、ネットリテラシーという点では問題も生じました。
ただし、当時は通信速度が遅く、PCのメモリ容量も少なかったため、画像、つまり写真を掲載することは思うに任せませんでした。
それと当時の私設サイトの問題点は、サイトの構築にはPCの知識が必要であり、しかもページの更新にはそれなりの技術と根気が必要であること。そのため、私設サイトの開設には、このような技術的な障壁があったことも事実です。

その「技術的な障壁」を事実上取り払ったのが、平成16(2004)年ころから出現した「ブログ」。これは「ウェブログ」の略語で、特にサイト構築の知識がなくとも、写真や文章を掲載することができることが大きなメリット。既にシステムが用意されており、それを利用することで簡単にページを作成できるということで、その手軽さから、鉄道趣味界に限らず爆発的に普及しました。これはインターネット関連企業などがサービスとして提供しているもので(ブログサービス)、無料のところが多くあり、それも普及を後押しした要因でした。ブログサービスのビジネスモデルとしては、提供を無料とし、そこに出現する広告を表示、あるいは閲覧者に広告をクリックしてもらうことでサービス提供元が収益を得られるもので、これは現在でも変わっていません。
管理人も、ブログサービスがなければブログを開設することはなかったと思います。
ともあれ、ブログサービスが世に出た時点で、鉄道愛好家は本当の意味で「事故の趣味活動の成果を発表できる場」を得たと言えるかもしれません。だからこそあれだけの鉄道趣味系ブログが林立したのだと思います。
また、ブログサービス出現のころから、インターネットの通信速度・PCのメモリ容量も向上し、大容量の写真や動画も添付できるようになりました。勿論、個人サイトであっても、数は減ったものの、作り込んだ非常に美しいものが増えています。

しかし、ブログの天下は長くは続きませんでした。
平成21(2009)年からTwitterが出現しましたが、これは140文字以内という制約はある者の、画像や動画(ただし短時間だが)も添付できるというもの。勿論、発信の容易さはブログ以上。これによって「実況中継」がより容易になりました。
それでも、写真を見せるのはブログの方がいいのでは…と思っていたら、今度は手軽な写真投稿サイトとしてInstagramが出現、「撮り鉄」各位の中にはそちらに乗り換える人もいました。
これらTwitterやInstagramの普及を後押ししたと思われるのが、Twitter出現のころから出現し、その後普及したスマートフォン(高機能携帯電話。スマホ)。従来型携帯電話でも写真を撮影することはできるので、それを即アップという芸当はブログでもできましたが、多くのスマホでは従来型を凌ぐレベルの写真を撮影することが可能となっていることや、Instagramが写真に特化した投稿サイトであることから、そちらを利用する愛好家も増えています。
このように、ブログ以上にお手軽な発信手段が出現したことにより、ブログユーザーがブログの更新を取り止める例も増えていきます。その結果ということか、かつてブログサービスを提供していた業者も、多くが提供を停止したり、提供を停止しないまでも新規登録を停止したりしています。昨年、ヤフーがYahoo!ブログの提供を中止する旨を発表し(今年12月15日限り。したがってそれまでに引越しをしていないブログは、現在は見ることができなくなっている)、鉄道趣味界は騒然としましたが、もしかしたらこのようなことは他の提供元でも起こるかもしれないと思っています。

さらに、ブログ・Twitter・Instagramといった、インターネットツール共通の問題となり得るのが、投稿記事(情報)の消滅。これの要因は大別して「投稿者本人の死亡又は管理不能」と「サービス提供元の消滅」があり得ますが、前者の問題はインターネット普及以前にも起きていた問題ですから、趣味活動の成果が属人的であることを考えれば、勿体ないとは思うものの、仕方がないともいえます。
しかし、後者の問題は、発信者(管理者)が存命であっても成果の発表の機会が奪われるということです。これについてはどのように対処すればよいのか、今のところ管理人にはわかりません。

このように、インターネットの出現とその後の進歩は、鉄道趣味の成果の発信方法を大きく変えました。
どのような発信方法でも、インターネットである限り「世界中から見られている」ことは忘れたくないものです。ひとたびやらかせば、全世界に拡散されますから、それは十分に気を付けなければいけません。

「平成の間に変わったもの」について、撮影・乗車・模型・発信方法と4つのテーマを取り上げましたが、どれも初期と現在とは全く変わってしまいました。30年の時の流れの長さと残酷さに思いを致さざるを得ません。
今年は平成→令和への「御代替わり」がありましたが、令和の御代においても、ますますの鉄道趣味の隆盛を望みたいものです。

-完-


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