1月10日の京王詣での記事に戻ります。
京王れーるランドを後にした管理人は、高幡不動へ。今回は駅ではなく、駅名の由来となった「高幡不動尊」へ向かいました。理由は、京王の歴史を語るに外せない、ある歴史的な「ブツ」がここの境内にあるから。
高幡不動駅前のロータリーに出て、駅舎を背にして右側の道が、高幡不動尊への参道となっていますので、その道を進みます。
すると、横断歩道の向こうに荘厳な建造物が現れます。
高幡不動尊
上記の「ブツ」を見に来て帰るだけではあまりにも失礼なので、一応参詣することにしました。
この中で護摩祈祷が行われる
お詣りを済ませたあと、改めて「ブツ」を。↓の写真の左側の石碑がそうです。
右は土方歳三像
高幡不動尊は東京都日野市に所在しますが、日野市といえばあの「新撰組」のゆかりの土地。それでここに新撰組の志士・土方歳三の像があるわけです。
では左側の石碑は?
はい、これこそが京王の歴史を語るに外せない「ブツ」。
玉南電気鉄道の記念碑
なんです。
玉南電気鉄道とは、現在の京王線の府中-京王八王子間を建設・運営するために設立された会社ですが、なぜこんな会社を設立したかといえば、以下の理由がありました。
① 上記区間をそのまま京王電気軌道(当時)の路線として延伸した場合、多摩川橋梁の建設について資金不足が懸念されたこと。
② ①の理由により、路線建設に際して国から支給される補助金を当てにしたこと。
③ 補助金の受給対象となるためには、軌間を1067mmか1435mmのいずれかにする必要があり、京王電軌の既開業区間の軌間(1372mm)を採用できなかったこと。
このような次第で、京王電軌とは異なる軌間で建設・開業した玉南電気鉄道ですが(開業は大正14(1925)年3月24日)、同社が京王のダミーであることは明々白々であり、あまりにもあからさまな補助金狙いであることが当局に露顕したためか、補助金申請は却下されてしまいました(表向きの理由は『国有鉄道の路線と並行する競合路線だから補助対象にするのは不適当』というものだった)。結局、玉南電気鉄道は路線開業から2年も経たない昭和元(1926)年12月27日付で、京王電気軌道に合併されました。その後、旧玉南区間は1372mmに改軌され、翌昭和2(1927)年6月1日に完成しますが、この時点では車体の大きい旧玉南の車が府中以東へ入線できなかったため、直通運転開始はさらに翌年までずれ込みました。
ともあれ、京王線の府中以西が玉南電気鉄道によって建設されたという歴史的経緯に鑑み、ここに記念碑が建っているわけです。
しかし、この記念碑の前に出店が出ていたのは、何とも無粋だったなあ…。
※ 当記事は01/30付の投稿とします。