地元の本屋で見かけて即買い。
東急の懐かしい写真が見られるとあって、ほとんど衝動買いでした。管理人が子供のころの写真がたくさんあって、懐かしさと共に読みました。
しかし。
この本には、以前話題になった、ある「写真の取り違え」があります。
それが、以下のツイートのとおり。
東急電鉄沿線アルバムがやっと届いたんですけど
— 電車とエヌの博物館 (@mu345sugi) January 5, 2021
懐かしい駅舎紹介で大倉山駅の写真が
神戸市交通局の大倉山駅w
そんなことあります?? pic.twitter.com/xSSc45geK5
「東急電鉄沿線アルバム」購入したんですけど、大倉山駅の写真が神戸市営地下鉄の同名駅の方になってる……。
— トミー (@SaekiTominaga) December 26, 2020
解説からして「大時計が付いたモニュメントが置かれている」と書かれている始末でどうしてこうなった感が。 pic.twitter.com/0ENqmVXtCj
そうなんです。
この本は「東急の」本であるにもかかわらず、同名にして異なる駅である、「神戸市営地下鉄の大倉山駅」の写真を載せているのですよ。しかも、「大時計がついたモニュメント」っておい…。大倉山駅は丘陵地の途中にある駅で、改札部分は線路の下にある準高架駅です。ましてこちらの大倉山駅には、「大時計がついたモニュメント」などありません。
この話はTwitterでかなり騒がれていましたが、まさかそれから半年後、管理人がこの本を手にすることになろうとはw
それと、内容にも誤りがあります。
その誤りとは、デハ3150・3200(初代)をそれぞれ「元池上電気鉄道のモハ200・モハ300形」としていること。デハ3150・3200はいずれも、目黒蒲田電鉄が投入した車両です。
旧池上電気鉄道が導入した車両は、木造国電の払下げ車(これは後のデハ3300などの種車になった)の他で純然たる新車といえば、デハ100形5両とデハ200形3両しかありません。しかもこのデハ100・デハ200は、昭和17(1942)年の「東京急行電鉄」成立後にデハ3250形という形式こそ付与されたものの、同車はデッカー系の制御装置を搭載していたため、旧東横・目蒲系の車両との混用ができませんでした。そのことが仇となり、終戦後の昭和23(1948)年には8両全車が地方私鉄に譲渡されています。
確かに現役時代末期、デハ3150・3200は池上線にほぼ集結していたようですから、その印象が強かったのかもしれませんが、池上電気鉄道が投入した車両であるというのは、明白な誤りです。
さらに中延駅の記述についても、「都営浅草線との乗り換えは公道を渡る必要がある」との記述が出てきます。これも間違いではないですが、誤解を招く表現です。確かに「公道を渡る」必要はあるといえばありますが、それは一方通行の、商店街につながる狭い道だから。そして、もし「公道を渡る」というときの「公道」が第二京浜国道(国道1号線)を指すのだとすれば、それは誤りです。確かに駅の構外に出る必要がありますが、第二京浜国道を渡る必要はないからです。
大倉山駅の写真の取り違えもそうですが、こういう明白、単純な誤り、あるいは紛らわしい表現を誰も指摘しなかったというのは、どういうことなのでしょうか。ことによると、製本の過程におけるチェックが働かなくなっているのではないかとも思えます。
昨今、「作り手の劣化」が叫ばれることが多くなっていますが、単に「売らんかな」精神による粗製乱造なのか、あるいは本当に作り手の劣化がのっぴきならないところまで来ているのか、それは分かりませんが、後世に残るものを、しかもお金を取って売ろうというのなら、それなりの正確性を持ってもらわないといけません。
相互リンク先管理人様のご意見↓
以前に「鉄道本はどこに向かうべきなのか」を当ブログで論じたことがありますが、この体たらくでは先細りはやむを得ないでしょうな。
それ以前に、こんな本を出していては、宮田道一さんや荻原二郎さんが、草葉の陰で泣きますよ。
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