-その12(№5582.)から続く-
今回は番外編その2として、AGTとは似て非なる「ガイドウェイバス」を取り上げます。
ガイドウェイバスとは、バス専用レーンの両側に高さを抑えた側壁を取り付け(ガイドウェイ)、それによってバスの走行を誘導し、ステアリング操作を不要にするシステムです。「ガイドウェイバス」というのは和製英語であり、英語では「Guided Bus」といわれます。
自動車…というかそれ以前の馬車の時代から、案内軌条を作って舵取りなどのハンドリングから運転者(馭者)の負担を軽減しようという発想は、驚くべきことに既に19世紀半ばにはあって、それは「ガイドウェイバス」ならぬ「ガイドウェイ『馬車』」というべきものでした。これは、牽引される馬車に案内輪を付け、案内軌条のとおりに走らせようとしたものです。1856年には英国で「ガイドウェイ馬車」の特許が取られ、その翌年にはリヴァプールで実際に営業運行に供する「ガイドウェイ馬車」が誕生したそうです。もっとも、動力源が機械ではない動物である馬車の場合、かえって馭者の負担が大きかったのか、あまり顧みられることはなかったようです。
この「ガイドウェイ馬車」の発想がよみがえったのが、第2次世界大戦終了後四半世紀を経た1970年。西ドイツ(当時)ダイムラーベンツ社が「ガイドウェイバス」のシステムを開発しました。このシステムは、バス専用レーンの内側に低い側壁を設け、車両(バス)の側にはその側壁をなぞる小型の案内輪が備え付けられ、それによってステアリング操作を不要にしたシステムです。1980年には、最初の営業路線としてのガイドウェイバスが、西ドイツのエッセンに開業、その後も西独の他都市や豪州にも広がりました。
このシステム、走っているのはバスですが、走行システムは鉄道、それもAGTに近いものであり、その意味でガイドウェイバスは、鉄道とバスのハイブリッドといえます。実はこの「鉄道とバスのハイブリッド」であるガイドウェイバスの性質が、日本でのガイドウェイバス普及に大きな壁となって立ちはだかることになりました。
日本におけるガイドウェイバスの歴史は新しく、当時の建設省が開発を開始したのが昭和60(1985)年。その4年後、平成元(1989)年に福岡市で開催されたアジア太平洋博覧会(よかトピア)で、840mの区間を期間限定で運行されたのが最初です。博覧会のアトラクションとはいえ、そこはきちんと軌道法に基づく営業特許を得ていましたから、日本におけるガイドウェイバスの嚆矢は、この「よかトピア」のガイドウェイバスとみて間違いないのでしょう。この路線、実際の運行は西日本鉄道(西鉄)が委託を受けて実施、「よかトピア」閉幕後は、車両は全て案内輪を取り外し一般路線バスとして使用されました。
それでは神戸ポートライナーのように、恒久的な路線としてガイドウェイバスができたのはいつかというと、前述した「よかトピア」閉幕から実に12年、干支が一周した平成13(2001)年の3月23日のことでした。これは、大曾根-小幡緑地間の「名古屋ガイドウェイバス・ガイドウェイバス志段味線」ですが、今のところ、日本唯一のガイドウェイバス営業路線となっています。
上記「志段味線」は「名古屋ガイドウェイバス株式会社」が建設・運営する路線ですが、この会社は、平成2(1990)年に事業化が決定したのを受け、平成6(1994)年に設立されたものです。愛称は「ゆとりーとライン」。ここもご多分に漏れず、正式名称で呼ぶ人は誰もいません。
「ゆとりーとライン」における実際のバスの運行は、名古屋市交通局・名鉄バス・ジェイアール東海バスに委託され、バス路線としてみれば3社の共同運行の体制でしたが、後に名鉄バスとジェイアール東海バスは撤退し、現在は名古屋市交通局のみが運行しています。
「ゆとりーとライン」は、大曾根-小幡緑地間に高架橋を建設、そこを案内輪つきのバスが走るというもの。管理人もかつて乗車したことがありますが、この高架区間は、運転手が一切ステアリング操作をしないという信じがたい光景もさることながら(勿論手は添えられているが)、驚いたのは立派な高架橋! これは、将来輸送需要が増大した暁には、AGTに転用できるように作ったのだそうです。
実はこの「AGTに転用できるように作った高架橋」は、「ゆとりーとライン」の建設費を高騰させてしまうことにもなりました。ドイツ・英国・豪州のガイドウェイバスは道路上または地平を走るため、軌道の建設費用が1kmあたり6億円くらいなのですが(豪州アデレードの場合)、こちら「ゆとりーとライン」は1kmあたり何と54億円超! アデレードの実に9倍の建設費となってしまいました。ここまで建設費をかけるくらいであれば、ガイドウェイバスではなく最初からAGTとして建設した方がよかったような気すらしてしまいます。
現在の日本では、ガイドウェイバスの路線はこの「ゆとりーとライン」だけですが、全国的な普及を阻んでいる要因は、恐らく建設費ではありません。海外他都市のように地平に軌道を敷設すれば事足りるからです。
それよりも日本でのガイドウェイバスの普及が進まなかった一番の要因と思われるものが、ガイドウェイバスに対する法律上の規制。前述した「よかトピア」でのガイドウェイバスの運行については、軌道法に基づく特許を受けました。これは、ガイドウェイバスが「鉄道」であるとみなされ、鉄道としての法律的な規制を受けることに他なりません。走るのはバスであり、バスに他ならないのに、鉄道としての扱いを受けてしまう。よりシビアなのは、運転士の免許。海外他都市では、ガイドウェイバスといえども「バス」としての特質に着目して、バス、つまり自動車の免許だけで乗務が可能としているのに対し、日本の場合は、鉄道(無軌条電車、つまりトロリーバスと同じ扱いとされる)とバスの両方の免許が必要とされています。このため、「よかトピア」が開催された福岡では、路面電車の運転免許(乙種電気車運転免許)とバスを運転するための免許(大型自動車第二種免許)を両方とも保持する乗務員が乗務していました。「ゆとりーとライン」でも、トロリーバスの運転免許(無軌条電車運転免許)とバスの免許の両方を取得した乗務員が乗務しています。つまり、日本でガイドウェイバスを運転するためには、トロリーバスと普通のバスの両方の免許を取得しなければいけなくなりますが、これは乗務員養成に大きな負担となります。こうなったのは、恐らくですがガイドウェイバスの「鉄道とバスのハイブリッド」という特質を、悪い意味で忠実になぞった結果なのではないかと思います。
その他、日本のガイドウェイバスが鉄道同様に扱われることの他のマイナス面としては、専用区間での最高速度が60km/hに抑えられることと、駅間にバスが1台しか走行できず続行運転ができないこと。これらは、前者がトロリーバスの法規に基づくこと、後者が鉄道の「閉塞」の概念を順守していることに起因するものと思われますが、「鉄道とバスのハイブリッド」とはいえ、今のままでは、両者の短所を単純に足し算しているだけのように思われます。やはり、バスの免許だけで運転・乗務できるよう、法改正しかないような。
バスとしてみた場合でも、実はガイドウェイバスの存在価値は低下しています。名古屋市の「基幹バス」を発展させたバス専用レーンの導入によって、BRT(バス高速輸送システム)の展開も可能になるからです。軌道がいいのであれば、現在は単なる路面電車ではないLRTの整備も選択肢としてあり得ます。BRTやLRTの整備で事足りるのであれば、わざわざガイドウェイバスを導入しなくとも…となるのは、当然の話ではないかと思います。
次回は最終回。今後のAGTはどのようにあるべきか、新たな整備路線はあり得るのか、そのあたりを論じていきたいと思います。
-その14に続く-
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