しばらく間が開いてしまいました。
10月3日、草津温泉探訪(ただし入浴せず)を終えて長野原草津口駅に戻った管理人は、そのまま「草津4号」で帰宅の途に…ではなく、長野原草津口1523発の万座・鹿沢口行き533Mの客となりました。
それにしても、長野原草津口駅の駅員氏、管理人が万座・鹿沢口までの切符を見せたら一瞬固まっていたなw 明らかに地元民に見えない乗客が「草津4号」ではない列車に乗ろうとしたからか?
533Mは211系の4連。直流電動機の音を聴きながら、吾妻川に沿ってさらに進みます。
長野原草津口から2駅。交換設備のある羽根尾で上り列車と交換。
交換列車を待つ間に
ホームに降りて、周囲を見回してみました。
かつて万座・鹿沢口に到着してお客を下ろし、折り返しを待つ間、車両がここ羽根尾駅の電留線に留置されていたそうですが、構内を確認したところ…。
1線を除いて撤去されていた
線路はほとんど撤去されてしまい、更地になってしまっていました。現在は長野原草津口以遠には優等列車が乗り入れてこないので、ここに使わない電留線があっても意味がなく、それで撤去されてしまったのでしょう。
そして日がかなり傾いた1544に、電車は万座・鹿沢口に到着。路線は1駅先の大前まで達していますが、大前に達する列車は、午前中の2本と夕方~夜の2本の合計4本だけ。あとの列車はここが終点となります。
線路は続いているが
吾妻線は大前で途切れていますが、実はその先、長野県の豊野(飯山線の始発駅)まで延伸する計画があったようです。現在の長野原草津口-大前間もその計画に基づいて建設されたものですが、大前-豊野間の建設計画は、早々に凍結されてしまいました。これは国鉄の財政力が落ちてきたせいもあるのですが、その他の理由として、大前以西の土地は地熱が高く、そのような区間でのトンネルの建設や列車の運行が危険であることが考慮されたという指摘もあります。
浅間山に関する掲示物
駅構内にはこんなものがありました。噴火や地熱に関して説明されています。
この「地熱」の問題は、北陸新幹線の当初計画である、長野から北アルプスをトンネルで抜けて富山駅へ達する計画が放棄された理由にもなっています。自然のパワーに驚嘆すると同時に、日本列島が火山帯の上に乗っかっていることを実感させられる話でもあります。
さて、万座・鹿沢口駅は、長い間駅名に「・」がつく駅として有名でした。
駅名標にも「・」がつく
これだけではなく、ひらがな書きの駅名にも、律儀に「・」が。
これにも「・」がつく
この駅が50年前に開業したときは、「・」のつく駅として、趣味的にもかなり注目されました。なぜこのような駅名になったのかについては、万座温泉と鹿沢温泉の旅館組合で綱引きがあり、決着がつかなかったため、折衷案としてこうなったといわれています。
もっとも、開業から50年経過した今となっては、「栂・美木多」(泉北高速鉄道)、「愛・地球博記念公園」(リニモ)、「元町・中華街」(横浜高速鉄道)など、珍しくも何ともなくなってしまいましたが。
さて、この駅は、高架橋の上にある1面1線の駅。
見ようによっては新線区間に見える
それも道理で、長野原草津口-大前間は50年前の昭和46(1971)年に開業したから。つまり鉄建公団の新線であり、そのため線形がよく、盛り土ではなく高架橋が選択されているためです。
さて、この駅は、かつては駅名が示すとおり万座温泉・鹿沢温泉、さらには軽井沢・志賀高原方面へと通じる観光ルートの玄関口として賑わったものですが、なぜ特急列車が来なくなったのか、駅を見てみるとその理由がよくわかるような気がしました。
写真の点数が多くなったので、続きます↓
【おことわり】
当記事は10/15付の投稿とします。