高砂線。
三木線。
北条線。
鍛冶屋線。
これらはいずれも、加古川線の支線、あるいは培養線として機能してきました。タイトルにある「播丹鉄道」とは、これら「加古川線ファミリー」を建設・運営していた会社ですが、戦時中に「加古川線ファミリー」は国鉄に買収され、いずれも国鉄線となっています。
その後、加古川線の支線は全て「特定地方交通線」に指定され、高砂線は昭和59(1984)年11月末に廃止、三木線と北条線は昭和60(1985)年4月1日から第三セクター三木鉄道・北条鉄道として転換、鍛冶屋線はJR発足後の平成2(1990)年4月1日に廃止されています。
こうして加古川線は「ファミリー」を失ってしまったのですが、鉄道として存続したはずの三木鉄道は、平成20(2008)年4月1日に廃止されてしまい、加古川線支線の中で鉄道として存続しているのは、北条線(北条鉄道)だけになってしまいました。
では、これら「ファミリー」、特に一度は鉄道として存続したはずの三木線と北条線が明暗を分けたのはなぜなのか。昨年9月の訪問をもとに、考えてみたいと思います。
まずは三木鉄道の三木駅跡から。
ここは神戸電鉄粟生線などとセットで乗り潰したいと思っていたのですが、廃止されてしまい、乗る前になくなってしまいました。
現在は旧三木駅に当時の駅舎などが残っているのですが、今回神鉄乗り歩きの際に、旧三木駅跡だけでも見て来たいと思っていました。
そこで神鉄三木駅を下車後、地図で旧三木駅跡を確認すると…。
遠 い
んですよ…(^_^;)
それでも延々街中を歩き、15分くらい歩いたでしょうか、ようやくたどり着きました。
しかしこのとき、9月であるにもかかわらず、めちゃくちゃ暑かったんですよね。参りました(汗
そしてたどり着いたのは、きれいに保たれた旧三木駅跡。
この建物の中は鉄道の歴史館とカフェになっていまして、北条線~北条鉄道の歴史を示す写真などが展示されていました。
そして駅の横からは、線路が!
さらに、車止めも残されています。
列車が絶対に来ない車止めは侘しいですね…。
これだけ見回って、三木駅前を通る神姫バスに拾ってもらい、神鉄三木駅に戻りました。だって暑いんだもの(汗
この路線は、貨物輸送が目的で建設・開業したため、本来の旅客の流れとは異なるルートになっていたのが致命的だったといえます。もともと神戸の都心部へは神鉄の利用が多かったのですが、国鉄から切り離されると運賃が割高になったことと加古川直通がなくなったことから利用がさらに減り、路線廃止のやむなきに至ったということです。
結局、ある程度の沿線人口があっても、その路線が旅客流動の実態にフィットしていない鉄道は生き残れないのではないか。そう思った旧三木駅跡の訪問でした。
このあと、神鉄で粟生へ。粟生からは「加古川線ファミリー」支線の中で唯一鉄道として残っている北条鉄道(旧国鉄北条線)を訪問します。
(2)へ続きます 。
※ 当記事は01/22付の投稿をします。