今回は、時系列が前後してしまいますが、山形・秋田両新幹線の開業と、それに伴う485系の動きを取り上げます。
山形新幹線の工事、即ち奥羽本線福島-山形間の改軌工事が佳境に入ってきたのは平成2(1990)年ですが、この年の初頭の段階では、「つばさ」はなお上野発着の1往復を含め、奥羽本線で気を吐いていました。
しかし、この年の9月、福島-山形間の特急・急行の運転が全て取り止められることになりました。当時この区間を走っていた寝台特急「あけぼの」や夜行急行「津軽」は他路線経由に変更、「つばさ」も福島-山形間がカットされます。
しかし、「つばさ」をただ山形発着にしても、新幹線との接続が図れない。
そこで、山形-仙台間を仙山線経由にして、「つばさ」を何と仙台発着に変更、仙台-山形・秋田間の列車として運転が継続されることになります。勿論、上野発着の列車も1本だけ残り、上野-仙台間の東北本線を走るようになりました。これにより、東北本線福島-仙台間に、「ひばり」などが廃止されて以来、8年ぶりに電車特急が戻ってきたことになります。また、これに合わせてのことか、それまで14系客車で運転されてきた急行「津軽」が、485系9連(グリーン車連結)に置き換えられたことも注目されました。
平成4(1992)年7月1日、山形新幹線が開業し「つばさ」が新幹線列車として東京-山形間を走り始めると、在来線「つばさ」は、山形-横手・秋田間の特急「こまくさ」として走り始めます。このときの山形新幹線の料金体系は、福島駅で新幹線と在来線特急を乗り継いだときと同じ料金を収受する形態になっており、山形で「つばさ」と「こまくさ」を乗り継いでも、在来線区間では特急・グリーン料金が通算されることになっていました。半面、「つばさ」の新幹線区間と在来線区間を跨いで利用するときは、グリーン料金は福島を境に合算することになっており、東京-米沢とか東京-山形の利用のときは、グリーン車には割高感がありました。
なお、「こまくさ」の485系は、その後カラーリングを国鉄特急色から白ベースに青・ピンクの帯の、爽快感のある配色に改めています。
そして、山形新幹線開業と引き換えに上野発着の「つばさ」は廃止され、これで昭和57(1982)年11月以来続いてきた「あいづ」との編成の共通運用も解消されることになりました。しかし、このときは「あいづ」は上野発着で残っています。
それでは「あいづ」の車両はどうしたかというと、「ひたち」を担当する勝田が担当することになりました。勝田では「ひたち」用の7連(TcM'MTM'MTc)のT車をTs(グリーン車)に変更したTcM'MTsM'MTcの編成を用意、これを「あいづ」に充当することにしました。秋田から勝田への運用の持ち替えは、7月の山形新幹線開業を前にした3月14日のダイヤ改正を期して行われ、こちらは10年ぶりの「ひたち」との共通運用の復活となりました。この関係で、スーパーのつかない485系のただの「ひたち」に、上野-勝田間の1往復だけ、グリーン車連結列車が復活しています。
しかし、この時点では、夜行急行の「津軽」(秋田担当)も残っていたので、「あいづ」はこちらと共通運用にすれば…と当時の管理人は思っていたのですが、JR東日本はそうしなかった。その理由は恐らく、「津軽」の命脈がそれほど長くない、早晩廃止するつもりでいたことかもしれません。実際、「津軽」は翌年の12月1日のダイヤ改正で、あっさり廃止されてしまいました。もっとも、最末期は485系ではなく583系が使用されましたが。
「津軽」だけでなく、管内の夜行列車に大鉈が振るわれた、平成5(1993)年12月1日のダイヤ改正ですが、実はこのとき、ひっそりと「あいづ」の上野-郡山間が廃止され、磐越西線内のみの運転に改められ「ビバあいづ」と改称されています。この「ビバあいづ」には専用の改造車が用意されたのは、前回述べたとおりです。
この「あいづ」廃止に伴い、「つばさ」登場の昭和36(1961)年から32年間にわたって継続してきた、上野発着の東北本線在来線特急の歴史が閉じられました。同時に、勝田からグリーン車組込み編成が消滅し、485系使用「ひたち」は再び全列車モノクラスとなりました。
その後はしばらく、JR東日本管内の485系は無風で推移しますが、今度は田沢湖線・奥羽本線を改軌して新幹線列車を直通させようという構想が動き始めます(秋田新幹線)。こちらも平成8(1996)年には該当区間の改軌工事が佳境に入ったため、この区間を走る特急「たざわ」の盛岡-秋田間が、この年の3月に全列車運休とされました。
それでは秋田へのアクセスは…となりますが、JR東日本は北上線を使い、北上-横手-秋田間に「秋田リレー」なる特急列車を走らせ、新幹線からの秋田方面へのアクセスを確保しました。ただし北上線は非電化のため、「秋田リレー」は気動車特急となりましたが、これはJR東日本で初めての、かつ今のところ最後の気動車特急となっています。「秋田リレー」の車両は、秋田新幹線開業までの「つなぎ」であることが明白だったためか、JR東日本は、一般用のキハ110系を特急用に整えた300番代を用意しました。
もっとも、列車としての「たざわ」は消えたわけではなく、同列車が秋田以遠へ運転していたスジは残され、秋田-青森間の2往復のスジが「たざわ」として運転されることになりました。秋田-青森間では往年の「むつ」と同区間で、しかも田沢湖の最寄り駅にすら行かない「たざわ」号では、名が体を表さない列車名となってしまいましたが、これも秋田新幹線開業後に改めるつもりだったので、そのままにしておいたのでしょう。
そして平成9(1997)年3月22日、秋田新幹線が開業、山形新幹線「つばさ」と同じように、「こまち」がかつての「たざわ」のルートをなぞるようにして、東京から秋田に達しました。
これに伴い、「秋田リレー」は廃止され、車両も一般型と同様に改造され、現在までローカル輸送に従事しています。
秋田-青森間の列車として生き延びた「たざわ」も、やはり「名が体を表さない」ことからか、列車名が改められました。以前の「むつ」を掘り起こすのかと思ったら、意表をついた「かもしか」。この名前は、長野-松本-飯田間の急行列車に冠していた名前で、長野から秋田・青森へ引っ越して来たような感じで、何ともなじめない感じがしたものです。
「かもしか」は、485系の最小単位となる、ThscM'Mcの3連。「たざわ」時代の5連は供給過多なのかもしれませんが、この短さは、かつて同じ区間を「白鳥」や「いなほ」として長編成で走っていたのと同じ485系とは思えないものです。
さらに平成11(1999)年には、山形新幹線が山形から新庄まで延伸、それと引き換えに「こまくさ」は全列車が廃止となり、これにより在来線特急「つばさ」の系譜を継ぐ列車は全滅することになりました。
1990年代も後半になると、流石の485系も淘汰の動きが出てくるのですが、それでも北陸の同系は、新型特急車両に押されながらも、まだまだ意気軒昂でした。
次回は、そのような北陸の動きを取り上げます。
-その24に続く-