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4108.485系・その栄光の生涯 その25 本格的な終幕へ~常磐・会津からの撤退

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その24(№4098.)から続く

 

21世紀に入ると、顕著になった485系の退潮傾向。

寂しいことですが、今回から3回に分けて、常磐+会津、九州、北陸+北近畿における、485系の活躍が終幕へ向かう状況を見ていくことにいたします。

 

これらのうち、常磐系統では他の系統に先駆けて、21世紀に入る以前に定期列車から完全に485系が撤退しています。その要因としては、常磐道を走る高速バスとの競争と、JR東日本の中では同系の最も古い車両が集められていたことによります。何しろ483系のユニットまでありましたからねえ…。

そのような要因があったため、新型車両の投入が急がれたのも道理。

早くもJR発足2年後の平成元(1989)年には651系がデビューし、同系による「スーパーひたち」の充実により、平成4(1992)年までには「あいづ」の出し入れの運用を除いてグリーン車が不連結とされ、全てモノクラスの7連に統一された…ここまでは、以前に触れました。

 

651系デビュー後も、485系は「スーパー」のつかない、主要駅停車型の「ひたち」に運用され、平成5(1993)年から、7連を2本併結した14連の威容を見せるようにもなっています。485系の14連といえば、九州で見られた「かもめ」「みどり」「ハウステンボス」の「3階建て」の14連が有名ですが、こちらは多層建て列車ではない、単独列車としての14連ですから、意味合いは違ってきます。しかし、食堂車がないのは仕方がないとして、グリーン車もない普通車のみの14連とは…。東北・常磐の特急として、長大編成でブイブイ言わせていたころの12・13連、あるいは山陽~九州系統での11連の方が、列車の「格」としては上だったような気がします。

「あいづ」用編成のみとなったグリーン車組込み編成も、平成5(1993)年12月のダイヤ改正で「あいづ」の上野-郡山間が廃止されると、グリーン車が編成から抜かれ、再び全車モノクラスの編成に戻されてしまいました。

 

そして、485系を本格的に置き換える車両が常磐系統に登場します。

これがE653系で、平成9(1997)年に登場、485系と同じモノクラスの7連を組み、「フレッシュひたち」として走り始めました。

E653系は、シートピッチこそ910mmの「詰め込み仕様」ではあるものの、背もたれの厚みを薄くし、かつ座席の下を空洞にして、実質的にシートピッチを拡大しています。また、同系の座席は単なるフリーストップ型のリクライニングシートというにとどまらず、背もたれだけでなく座面も動くもので、快適性は(座席が取り換えられて改善されたとはいえ)485系とは雲泥の差といえました。

さらに651系とは異なる特色は、E653系が「汎用性」を重視していたこと。JR発足後の交直両用の車両が、交流20000V電源への対応が全て50Hz(東日本・北海道)又は60Hz(北陸・九州)いずれかのみの対応だったのに対し、E653系は50Hz・60Hz双方への対応とされました。勿論、JR東日本の路線には交流20000V60Hzの電化路線は存在しませんから、このような仕様は不要なのですが、これは、北陸方面への特急に充当されることを目論んだものといわれています。しかし、実際には同系は、JR西日本時代の北陸本線は勿論、第三セクター転換後のえちごトキめき鉄道日本海ひすいラインにも、乗り入れ実績はありません。「北越」への充当もあるのかと、管理人は密かに期待したものでしたが…。

 

このような車両が出てきてしまっては、485系には引導を渡されたのも同然といえました。E653系は、最初は7連が投入されましたが、翌年には4連付属編成が投入され、これらによって全ての485系「ひたち」運用を置き換えました。485系による「ひたち」の運転は、平成10(1998)年12月限りで終了しています。これによって定期運用を失った勝田所属の同系は、状態の悪いものは廃車、良いものは他区所に転属し、翌平成11(1999)年には、485系の配置は訓練車編成1本を除いてなくなりました。

これで勝田の485系の歴史は終わった…となるところですが、何とその3年後の平成14(2002)年、6連と4連が1本ずつ転入し(うち1本に関しては出戻り)、団体・臨時列車用として活用されることになりました。6連は元上沼垂の車ですが、4連は何と「ビバあいづ」用の6連から中間電動車ユニットを抜いたもの。この2編成は、白地に紺色のストライプを窓下に入れ、先頭車にはイルカのイラストをあしらった独自のカラーリングとなり、臨時快速・急行列車として東京地区にも姿を見せています。

しかしその後、E657系の投入などにより、E653系の運用に余裕が出てきたことなどから、平成25(2013)年までに、これら団体・臨時列車用の485系も淘汰されてしまいました。

 

専用車両を供出した「ビバあいづ」ですが、勝田に転属する以前の平成10(1998)年12月の時点で、既に「インビテーションカー」の使用が停止され、同車は普通座席車として復元改造に着手されます。それと同時にこの編成は「ビバあいづ」の運用を解かれ、代わりに「ひたち」色の勝田の編成がT車を抜いた6連で使用されました。この編成は、本家「ひたち」がE653系に置き換えられ、485系が放逐されたあとも「ビバあいづ」で運用されていましたので、列車名こそ「ビバあいづ」でありながらも、身なりは「ひたち」。よって、この編成が最後まで見られた「ひたち」カラーの485系となりました。

その後、「ビバあいづ」編成は「インビテーションカー」を座席車に復元した上で復活し、本来の「ビバあいづ」運用に就きますが、列車としての「ビバあいづ」は、平成14(2002)年12月のダイヤ改正で「あいづ」に変更されました。「ビバあいづ」編成の運用離脱に伴い、「はつかり」廃止で運用に余裕の出た青森から485系6連を仙台に迎え入れ、この編成が以後「あいづ」に使用されるようになります。

しかし、平成15(2003)年の10月、「あいづ」は使用車両をそのままとしながら、列車種別は快速に格下げされ「あいづライナー」となりました。

 

平成17(2005)年には、会津地区の観光キャンペーン(会津デスティネーションキャンペーン)の一環として、「あいづライナー」に485系を改造した編成(モノクラス6連、グリーン席は普通席に復元、シートピッチ拡大など)を投入しています。このとき投入された編成は、白地に車体裾部をオレンジ、窓下に臙脂色の帯を入れるというカラーリングでしたが、この編成が東武直通用に転用された後、別の編成が用意されました。この編成は、会津の郷土玩具「赤べこ」をキャラクターに用い、車体を赤一色としてキャラクター「あかべぇ」をあしらったもので、「あかべぇ」編成と通称されました。

「あかべぇ」編成は、平成23(2011)年には国鉄特急カラーに戻された後も健在であり、485系全体の中でも末期まで運用が残りましたが、流石に老朽化が無視できなくなり、遂に平成27(2015)年3月14日のダイヤ改正で、この編成を使用する快速「あいづライナー」は廃止されました。同時に、仙台から485系の配置がなくなっています。

 

これで、常磐・会津地区から485系が消えました。

次回は、九州における勢力縮小の軌跡を眺めることにします。

 

-その26に続く-


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