今回から全14回にわたり、キハ40系をフィーチャーする「キハ40系・888両のキセキ」の連載を開始いたします。よろしくお付き合いのほど、お願い申し上げます。
「キハ40系」はあくまで便宜上の名称であって、国鉄当局がそのような呼び方をしているわけではありませんが、鉄道趣味界では、キハ40・47・48の3形式(新造形式のみ)を包摂して「キハ40系」と呼ぶ場合が多いようです。キハ40系は、昭和52(1977)年から57(1982)年の5年間で、合計888両(※①)が世に出ました。
それでは、この3形式は、どのような経緯で世に出たのでしょうか。
時は昭和50年代初頭。
既にこのころ、ローカル輸送の気動車の主力であったキハ10系は老朽化が顕著になっており、かつ同系は無理な軽量化を行った結果として車幅が狭く、そのために座席が狭かったり、その座席の座り心地も劣悪だったりするなど、サービスレベルに難が生じていました。また、同系は両端に扉を配した2扉セミクロスシートですが、これが混雑時の乗降性の悪さとなって、現場としても使いにくい車両に成り下がっていました。ロングシート部分を増やして床面積を拡大しようとしても、それによって生じる重量増に台車が耐えられないため、そのような改造すらできない(技術的には不可能ではないが予算の関係でできなかった)という、八方塞がりの状況に陥っていたわけです。以前の記事で、工業製品の寿命には①物理的寿命②社会的寿命③経済的寿命④技術的寿命の4つがあると申し上げましたが、キハ10系に関しては、昭和40年代後半の段階で、①②④の寿命が到来してしまったといえます。
そこで、そのような状況を打破すべく、キハ10系、さらにはキハ55系やキハ20系初期車の置き換えを視野に入れた新型気動車の投入が決定しました。
これがキハ40系なのですが、以下のようなスペックを持っていました。
① 3形式とも、車体は2900mmの拡幅車体。
② キハ47(片運転台)は両開き扉を2ヶ所に配した近郊型仕様で乗降性に配慮、キハ40(両運転台)・48(両運転台)も扉付近はロングシートとして床面積を拡大。
③ 3形式とも、クロスシート部分のシートピッチを拡大して居住性を向上(キハ45系の1400mmを1470mmに)。
④ 踏切事故を考慮し高運転台を採用、あわせて運転席の面積を拡大し乗務環境に配慮。
⑤ エンジンはDMF15HSA(220PS)で、従来の国鉄型気動車に連綿と採用されてきたDMH17系から訣別。
⑥ 冷房は搭載せず。
⑦ 外板塗色は「タラコ色」こと朱色5号の単色塗り。
全体として、キハ40系の2年前に登場したキハ66・67に範を取ったものといえますが(①④。その他ブレーキ装置などは共通)、こちらは転換クロスシートではなくセミクロスシートの採用、特にキハ47はこの11年前に登場したキハ45系に類似したものとなっています。ただしクロスシート部分のシートピッチ拡大の代償ということか、キハ45系より座席数は減少しています(③。キハ45系は1400mmだった)。
国鉄がキハ40系の投入に着手した時期は、ちょうど国鉄の赤字が深刻化し、かつ労使関係も最悪というには生易しいレベルにまで荒れた時期でもあります。その影響が、キハ40系の設計にも現れています。
塗装作業行程の合理化を目論んだ⑦もそうですが、最も顕著なのは④の後段。これは、労働組合からの要求を当局が吞んだことは想像に難くありません。当時は新型車両を投入するとなれば、当局が会計検査院から睨まれるばかりか(※②)、労働組合からも「労働強化だ」ということで突き上げを食らうため、新形式を起こすことは必要最小限とされ、かつ乗務員の乗務環境にも配慮されることになりました。その結果が、他系列と比べて著しく拡大された乗務員室スペースというわけです。その他、当時の国鉄の設計は不具合の発生に対するリカバリーを重視しすぎる余り、装備が重厚長大化する傾向があり、キハ40系もそれは例外ではありませんでした。
これらの要因や、キハ20系・45系とは異なる拡幅車体の採用などにより、キハ40系の車体重量は増加したのですが、では重量増加に見合う機関出力の向上がなされたのかといえば、それは否(⑤)。むしろキハ20系・45系より後退したと評しても過言ではない体たらくでした。エンジンこそあのDMH17系から訣別してはいるものの、キハ66・67のような大出力エンジンは用意されず、DMH17系と比較しても僅かな出力増にとどまっており、しかもその僅かな出力増を、自重の増大で相殺、それどころかマイナスになっているという、根本的な問題を背負っていました。これは、当時の国鉄の考え方であった「気動車は特急用以外全車両、全系列混用可能」に従い、キハ40系といえどもこの例外になるわけにいかなかったことにもよるのですが、それならキハ58系と混結していたキハ65はどうなるんだという反論があり得るところで、あまり説得的な理由ではないような気もします。ただ、キハ181系やキハ65に搭載されていた大出力エンジンは、保守に難があったという話もあり(※③)、労働組合がそれを嫌ったのではないか、ということは想像に難くありません。
つまり、キハ40系は、登場の当初から「単位重量当たりの出力はキハ20系などに劣る=パワー不足」という、根本的な問題を抱えていたことになります。
そのような問題を抱えている車両ですから、冷房がなかったのも無理からぬことのように思えてきます(⑥)。
当時は一般路線バスにおいても冷房が普及し始めた時期であり、現場、特に中国・四国・九州といった地域の現場職員は、冷房付きの車両を望んでいたようですが、キハ40系に冷房がないことを知ったときの彼らの落胆ぶりは、大きなものがあったということです。
確かに、サービスレベルを考えれば冷房があるに越したことはないのですが、では冷房を搭載してしまったらどうなるか? 恐らくキハ58系のように、冷房用電源を供給する車両を用意しなければならず、単行運転は事実上困難になるものと思われます。ならば冷房用電源を自車に搭載すればいいのでは、となりますが、そうすると今度は著しい重量増となり、ただでさえ非力なキハ40系の単位重量当たりの出力が悲惨なことになりかねません。ならばバスのような、機関直結式の冷房装置ならと思いますが、これもエンジンに対する負荷の増加を招きます。
結局のところ、キハ40系は、搭載するエンジンを前提とする限り、冷房の搭載は「したくてもできなかった」のです。
このような問題を抱えながらも、キハ40系は、電車と遜色のない広い空間、明朗かつ快適な環境の客室を提供したことにより、冷房がないことを除いては、乗客からは好評をもって迎えられました。少なくともキハ10系に比べれば、飛躍的なサービスレベルの改善ではありました。
以上がキハ40系の「総論」。
次回と次々回は「各論」として、各形式の概要を見ていきます。
-その2に続く-
※①=この両数には、キハ40系と類似の車体構造を持つ郵便荷物輸送車(キユニ28・キニ28・キニ58)はカウントしていない。
※②=このころ、DD54の不具合が多発したことに業を煮やした当局は、車齢が新しいにもかかわらず同機を全機退役させることにしたが、これが予算の無駄遣いではないかということで、後日会計検査院から指摘され、国会でも取り上げられた。
※③=国鉄当局が「しなの」の電車化によって浮いたキハ181系を「ひだ」に投入してキハ80系を置き換えようとしたら、現場の頑強な抵抗に遭って断念したことがある。