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4283.キハ40系・888両のキセキ その10 JRへの承継~四国編

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その10(№4271.)から続く

JR四国には、キハ40系が53両国鉄から承継されました。
JR四国のキハ40系について特筆されるのは、
① 形式・番号の変更を伴う改造を施された車両が1両もないこと
(後述の『伊予灘ものがたり』を除く)
② JR他社で実施されたような機関換装が行われた車両が1両もないこと
(ただし機関の燃焼効率を高め実質的に出力アップを図るべく、直噴化の改造は全車に施されている)
③ カラーリングもJR四国のオリジナルカラーに統一されたこと
です。

JR四国のキハ40系に対しては、冷房化についても早い段階で着手されていて、民営化直後の昭和62(1987)年から、床下にサブエンジンと三相200Vの発電機を取り付け、屋根上にインバータークーラー2基を搭載する方式で冷房改造を進め、翌年7月までに完了しています。これは連載の最初の方で取り上げましたが、キハ40系が投入された当初、同系に冷房が搭載されていないことにひどく落胆したのが、四国・九州など西方の国鉄管理局だったといわれています。あるいはこのときの四国地区の落胆が、かくもペースの速い冷房改造に結びついたのでしょうか。
さらに平成元(1989)年から、キハ40についてワンマン運転対応改造が行われました。他社であれば対応の機器を搭載するくらいですが、JR四国ではこれに加えて便所の撤去も施工、同時にロングシート部分の拡大、旧便所部分への側窓増設、屋根上の水タンク撤去が行われ、外観にも変化が生じています。一方、キハ47については、他社のようなワンマン運転対応改造は行われず、冷房化の他は便所の改良(汚物処理装置の搭載)にとどまりましたが、それも平成5(1993)年までに完了しています。
民営化後早い段階で着手されたといえば、カラーリングの変更もそう。JR四国は会社発足後、コーポレートカラーであるスカイブルーを生かしたオリジナルカラーへの変更を強力に推進し、キハ40系についても平成2(1990)年ころまでに変更が完了しています。ただしその後、平成20(2008)年には、ファンサービスということか、キハ47-114・-1086の2両が登場当時の朱色一色に戻されました。

JR四国では、同社発足時普通列車に使用されていたキハ20系・58系の老朽化が顕著になっていたためか、会社発足後早い段階から、新しい普通列車用気動車の投入を積極的に行ってきました。平成2(1990)年にはワンマン運転に対応した1000形の投入を開始し、8年後の平成10(1998)年までの間に、56両というまとまった数が投入され、キハ20系・58系を置き換えています。その間の平成5(1993)年には、予讃線の高松-松山-伊予市間の電化が完成し、この区間の普通列車は大半が電車化され、四国内における普通列車用気動車の運用範囲が縮小してしまいました。
このころまでは、四国のキハ40系はまだ全車健在だったのですが、それが崩れるきっかけとなったのが、平成18(2006)年から開始された1500形投入です。1500形は、平成26(2014)年までに全部で34両が投入されました。これにより、1500形投入開始3年後の平成21(2009)年には、普通列車の編成両数の見直しとも相まって、キハ40系に余剰車が発生、同年度末の平成22(2010)年3月にはこの余剰車が除籍され、キハ40系に初の廃車が発生しました。特にキハ47形は、他社のようなワンマン運転対応改造がなされていなかったため、使いにくさもあって優先的に廃車されるようになります。
昨年の時点で、JR四国におけるキハ40系の稼働車は、全部で24両(『伊予灘ものがたり』の2両を除く)とほぼ半減しています。運用範囲も高徳線を中心とするものに限定され、松山・高知の両駅では、同系の普通列車を見ることが出来なくなってしまいました。

上記の例外となるのが、予讃線の伊予長浜回りの旧線(通称・愛ある伊予灘線)を走る観光列車「伊予灘ものがたり」向けに改造された、キハ47の2両。これは、余剰により平成23(2011)年に廃車されたキハ47-501・-1501を改造し、キロ47-1401とキロ47-1402とグリーン車に格上げ改造を施したもの。この2両は、改造に際して車籍を復活させました。
ちなみに、種車の-501と-1501という車号から分かるとおり、この2両は寒冷地仕様。当初投入されたのは新潟地区でしたが、その後、昭和60(1985)年に四国に転属してきたものです。今ではとても考えられませんが、国鉄時代にはこのような「広域転配」は当たり前にありました。今の目で見ると、寒冷地仕様の車を温暖な四国へ持ってきたところで、オーバースペックなのでは…という気もしなくもないですが、たとえオーバースペックであろうと、当時は「全国転配が可能であること」が重要だったのです。
余談ですが、横軽対策(EF63との連結ではなくラックレール区間の通過対策)を施した車両であるキハ57も、信越線急行の電車化後は各地に散らばりましたが、なぜか四国にも渡り、JR発足前後まで健在だったのも、今考えると何とも面白い話です(管理人は四国でキハ57に乗ったことがある)。
なお、JR四国に所属してその後JR九州に移籍し、観光列車に改造された車が2両あり、それがキハ47-176とキハ47-1505。この2両は内外装とも絢爛たる装飾が施され、「JRKYUSHU SWEET TRAIN「或る列車」」として、主に長崎地区で運用されています。

変わったところでは、キハ40-2147が簡易電気検測車に改造されています。
JR四国は自前の電気検測車を保有しておらず、自社線の信号設備等の検測を行うためには、JR他社から電気検測車を借り入れる必要がありましたが、そうすると車両の借入費用がかかります。そこで、JR四国は、その借入費用を節減するため、会社発足翌年の昭和63(1988)年に検測機器を搭載し、簡易電気検測車に改造したものです。
この車、客室設備に全く変更はなされませんでした。そのため、JR四国は、この車を営業列車に使用しながら自社各線の信号・踏切機器等の検測を行っています。

1500形の増備は平成26年で終了しており、かつ近年はJR四国の経営状況が芳しくないことも相まって、普通列車用気動車に新型車両が投入される見込みは、しばらくはないものと思われます。
となれば、少数になったとはいえキハ40系の活躍がこれからも続くものと思われますが、車齢も高くなってきており、そのまま使い倒すのか、はたまた機関換装あるいは内外装の刷新など何らかのリニューアルがなされるのか、そのあたりも注目したいところです。

次回はJR九州のキハ40系を取り上げます。

-その12に続く-
 


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