冒頭の写真は以前の記事からの転載ですが…。
この写真のポスターに記載されているとおり、昨年12月20日で東武大師線は開業90周年を迎えます。
こちらは西新井駅ですが、大師前駅では「大師線90周年」を記念する、ミニ写真展が開かれておりました。ミニ写真展といっても、駅ホームの壁に展示してあるものですが、それでも興味深い写真が多数あったように思います。
それでは以下の4点の写真を、一気見しましょう。キャプションはつけません。
いかがでしょうか。
ところで「大師線」といえば、有名な話ですが伊勢崎線と東上線との連絡を目論んだ「西板線」の夢の跡でもあります。大師前まで開業したのはいわば、「西板線」としての第一期開業区間で、その後は鹿浜~北区神谷町~東十条~ときわ台駅と達する予定でした。
しかし、鹿浜付近で荒川放水路を渡る鉄橋が架橋できず(関東大震災などによる資金不足と、放水路のルートが確定していなかったこと)、荒川放水路が完成した後は建設予定地に住宅が立ち並んでしまい用地買収に困難が予想されたことなどにより、建設計画は頓挫してしまい、現在に至ります。東武は自社の社史で、「西板線」が開業に至らなかったことを痛恨事と記しており、会社的にも禍根を残す結果だったようです。
ただ、実際に「西板線」が開業していたとして、それでは池袋からの日光・伊勢崎方面への列車が運転されていたでしょうかね? というのは、西新井駅は大師線が浅草方面へ向かって入線するため、日光・伊勢崎方面への列車はスイッチバックを余儀なくされます。そうなると、直通列車は運転されなかったか、運転されても池袋発着の西新井折返しになったような気がします。
その「禍根」を払拭するためなのか、現在でも「西板線計画」が語られることがあります。ただし大師線を生かすのではなく、竹ノ塚付近から分岐させて新線を建設するというもの。またこれとは別に、「西板線」はほぼ環七通りに並行するルートを走ることから、環七通り及び環八通りの直下を走る「メトロセブン」「エイトライナー」計画があります。もっともこれは、環七通りの直下を直進するのではなく、一旦赤羽に進んで環八通りの下を進むルートになるので、東武東上線との接続は上板橋付近になります。
この構想が実現すると、大師線の存続問題が浮上します。大師線と「メトロセブン」との関係は、西武豊島線と都営大江戸線の関係と同様になります。西武は豊島線を存置する判断をしましたが、東武はどうなるのか。
100周年を迎えるとき、大師線はどうなっているのでしょうか。案外、車両以外は今と変わらないような気もしますが、8000系がまだ走っていたりして。